10.シェリナの苦悩。
***前回のあらすじ***
騎士への任命試験を終えたクリスティアナは、エメリックに案内され、セドリックの執務室へと向かった。
以前と異なる周囲から向けられる視線は、どこか滑稽に思えた。
クリスティアナの赤の騎士団への入団が決まり、セドリックから説明を受けたが、セドリックからの視線も、何処か変わったように思えてクリスティアナは困惑するのだった。
シェリナ=オッドは、書きかけていた手紙を書く手を止めた。
一体、何が悪かったのか。
一体、何故ああなってしまったのか。
思い出すだけで涙が零れそうになる。
あの日、私のパートナーを務めるとロンバート殿下から申し入れがあった時、私は酷く慌てた。ロンバート殿下はクリス様の婚約者だったのだから。そのクリス様を差し置いて、どうして私がロンバート様のエスコートを受けることが出来るのだろう。
「それは、出来ません、ロンバート様」
「何故?クリスに何か言われたのか?」
「いいえ、ですがロンバート様はクリス様のご婚約者でしょう?どうぞエスコートはクリス様に」
「クリスは親が決めた婚約者だ。婚約は破棄する。それなら問題ないだろう?大丈夫、任せておけ」
此処最近のロンバート様は、何か焦っている様だった。
幾ら言っても聞いては貰えず、夜会の当日、エスコートをしてくれるはずだった父を押しのける様に、私を迎えに来て、そのままパートナーに収まってしまった。
まさかその後、クリス様を断罪しようなどとは。
もっと毅然とお断りしていたなら。
もっと穏便に話を進めて下さったら。
どんな立場であろうと、ロンバート様の傍に居たい、その気持ちは変わらないけれど、クリス様がどんなに傷ついたか、ロンバート様はどんな罪に問われてしまうのか、そう考えるだけで胸が痛んだ。
今更クリスに合わす顔が無い。寧ろどんな顔をして会えばいいのか。こんな私にロンバート様を愛しているという資格がどこにあると言うのか。
あんなに、優しくして下さった方に、取り返しのつかない濡れ衣を着せてしまった。つん、と鼻の奥が痛くなる。泣く資格など無いというのに、零れ落ちた涙が、書きかけの手紙に幾つも染みを作っていった。
***
ロンが──ロンバート様が、王太子であらせられると知ったのは、皮肉にも私を疎ましく思っていた令嬢達から詰め寄られたからだった。
初めてロンバート様に出会った時も、私は彼女達に呼び出され、学園から出て行けと詰め寄られている時だった。下位の貧乏貴族で、魔力も少ない私は、せめてと勉強だけは頑張った。それが余計に癇に障ってしまったらしい。追いつめられ、中庭の噴水へ突き落された時、止めに入ってくれたのがロンバート様だった。
2度目に会ったのは、私が園内の片隅の四阿に居る時だった。
滅多に人の来ない奥まった場所にひっそりと佇む四阿は、私のお気に入りで、お昼休みも一人でそこで食事をしていたのだ。
ロンバート様は、ただ自分の事を、「ロン」と名乗った。
私と居る時のロンは屈託なく良く笑い、勉強が難しいと言っては子供の様に膨れ、楽しい話を色々と聞かせてくれて、一緒に本を読んだり勉強をしたりした。人目を避ける為に通っていた四阿が、いつしかロンに会う為に通う場所になった。
私の心はロンの事でいっぱいだった。
憂鬱だった学園での生活が、心躍る場所になった。時には私を街へと連れ出し、プレゼントだ、と、はにかんだ笑みを浮かべて可愛い花の髪飾りを買ってくれたりした。会う時はいつも二人だけだったから、ロンが王太子殿下だなんて思いもしなかった。判った時には、私の心はロンを諦める事など出来ない程に、ロンに心を奪われていた。
そんな折に、いつもの様にロンに会うために四阿へと急いでいた私を、足止めしたのはいつもの令嬢達だった。
「あなた、自分が何をなさっているか判っているの?」
──最初は、何を責められているのか分からなかった。
「わたくし、知っていますのよ?貴女が王太子殿下と逢引きなさっているのを。市街で手を繋いでデートだなんて、どうやって王太子殿下に取り入ったのかしら?」
──デート?私が?誰と?男の人と二人で市街。そんなことをした相手は、一人しかいない。
──ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
「まさか貴女、王太子殿下がご婚約なさっている事を知らないわけでは無いでしょう?」
「婚約者の居る殿方に馴れ馴れしく。浅ましい」
──嘘。
「それとも貴女、下賤の身でありながら、クリスティアナ様から王太子殿下を奪う気かしら!
身の程知らずね。まるで娼婦の様!」
──嘘でしょう? 嘘よね? 嘘。
「貴女の様な子、ロンバート殿下が本気で相手にするとでも思っているの?」
──嗚呼───。
ロンバート、王太子殿下。ロン。 彼が、クリスティアナ様の婚約者───。
私は、足元から何かが崩れていく音を聞いた気がした。
その後は、令嬢達が何を言っているのか。
私の耳には何も、入ってこなかった。
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