【閑話】フレアのお忍び漫遊記 後編
「……だから言ったじゃないか」
真正面から入ろうとするレアお嬢様をもちろんスーケリーは止めた。だがもちろん、そんな意見は受け入れられるはずがなかった。
あっと言う間に兵士達に止められ、騎士達に取り囲まれる三人。その瞬間、お嬢様が口元に笑みを浮かべているのを見て彼女を止めることが無理だと判断したスーケリーは、自分が矢面に立ってでも場を何とか収めて話し合いで済ませようとした。
どうしてこうなってしまったのか自分でも分からないが、妙なところで生真面目さを発揮してしまう、うっかりなスーケリー。
指揮官が直々に尋問をするらしく、騎士に付いてくるように命じられ、スーケリーはお嬢様が何かしでかすのではないかとチラリと振り返るが、レアお嬢様は予想に反して大人しくそれに従っていた。
「……(ごくり)」
ただ、鍔広の日除け帽子から覗くその口元に愉しげな笑みが浮かんでいるのを見て、スーケリーはさらなる嫌な予感に苛まれた。
「ほほぉ……どこぞのご令嬢か知らんが、このような遊びは感心しませんな」
バルトロは連れられてきた三人、特に立場的に一番上らしい令嬢の顔半分を隠していても分かる美しさと、たわわな肢体をジロジロと無遠慮に視線を向けながら下卑た笑みを浮かべた。
「どこの者だ? 隠し立てすると為にならんぞ?」
バルトロが作らせた訓練場を見渡せる屋根付きの舞台から、バルトロはふんぞり返るように三人に命じる。
それに対して目の据わった地味な少女が前に出ると説明を始めた。
「こちらは、布地問屋ポーラ商会のご令嬢であるレアお嬢様にございます。私は使用人のカク。後ろの男は護衛役の“うっかりスケべえ”にございます」
「……スケべえ?」
「うっかり者ですのでご容赦を」
「う、うむ。珍妙な名だな」
バルトロだけでなく周りの騎士達からも一斉に侮蔑と同情の視線を向けられて、いたたまれない気持ちで下を向くスーケリー。
いかに任務の果てに消えても惜しくない人材として任務に当たっていても、こんなアホな理由でこれ以上目立つわけにはいかず、必死にスーケリーは叫び出したいのを我慢する。
「ふむ。ポーラ商会か……」
その商会のことはこの辺境伯から数年出たことのないバルトロでも知っている。
王都でも有名な王室御用達と名高い布地問屋で、上級貴族家の夫人や令嬢なら、一度ならずその系列店で作られたドレスを身に纏う。
この度の動乱でも、数多くの豪商と言われた王都の商会が屋台骨が傾くほどの損害を出した中、ポーラ商会を含めた少ない商会だけがさらに利益を上げ、地盤を確かなものにしていた。
「その方、確か王都には詳しかったな。どうだ?」
「はっ」
傍らに控えていた、元近衛騎士でも年嵩の男が騎士の礼を取り一歩前に出る。
「確かに娘がいたと記憶にあります。そのご令嬢も、どこかで……おそらくは豪商の令嬢と言うことで、何処かの夜会で見かけたのかもしれません」
この元近衛騎士の男も伯爵家の六男ではあったが、とてもではないが公爵家のご令嬢のご尊顔をマジマジと見られる立場ではない。
そして公爵家の令嬢も近衛とは言え一介の騎士に声を掛けることもなく、騎士はわずかに印象を覚えていただけだが、こんな美しいお嬢さんがいたのなら、どうして声を掛けていないのか自分でも不思議に思い首を捻った。
そして元近衛騎士の男は知らなかった。
ポーラ商会は十年前に、公爵家のとあるご令嬢に乗っ取られ、長年資金と情報を提供する信奉者の一つになっていることを。
「そうか、そうか。なるほどのう」
バルトロは目の前の娘を、裕福でワガママな令嬢が、気まぐれで地方へ保養がてら漫遊に出たのだと考えた。
王都で力の有る商会だとしても、辺境伯の伯父である自分に逆らえるはずがない。それどころか、バルトロが求めれば娘を喜んで愛妾として差し出すはずだ。そうなれば、豪商であるポーラ商会の資産も自分の好きに使え、アルタ辺境領の軍備も大幅に増強できるはず。
あくまで何の確証もない“はず”でしかないが、バルトロはそれを信じて疑うことはなかった。
ならば早速、この娘と無理矢理でも事に及んでしまおうとバルトロが思い付いた時、不意に今まで黙っていたその令嬢が口を開いた。
「随分と、ご立派な騎士様が揃っていますわねぇ」
「お、おう、そうだろう。皆、儂を頼ってやってきた者達だからなっ!」
その令嬢が自分達に好意的だと感じて、バルトロは自慢げに胸を張る。
「そちらの殿方達は王都に詳しいようですが、王都の騎士様で?」
「そうだっ。騎士の中でも精鋭揃いである近衛騎士団の者である」
「まあ、それはそれは……。でも、王都はいまだ大変なのでしょう? そちらのお仕事は宜しいので?」
「ふんっ、其方も知っておろうが、あんな皇帝を僭称する小娘になど従えるものか。ここにおる皆は、崇高な志を持って集まったのだ」
「まあっ、どのような?」
絶妙な合いの手に、ずっと誰かに話したかったバルトロは、聞き上手な若い娘の声に気を良くして自慢げに語り出した。
「ここだけの話だが、このアルタ領は近いうちに独立する予定だ。ソルベットの愚図共も我が甥もなかなか首を縦に振らんが、あんな小娘に我らを抑えられるものか。ソルベットの支援などなくとも、すぐにでも独立して見せようぞ。お主のポーラ商会も早くあの小娘共を見限ったほうが良いぞ?」
「それはそれは、良いことを聴かせてもらいましたわ」
スーケリーはバルトロの言葉を聞いて、別に煽らなくても時間の問題で反乱が起きていたのかと、安堵すると同時に今の状況に落ち込んだ。
そんなアルタ辺境領の騎士達は、美しいご令嬢に嬉しそうに褒められ、バルトロもそうだが、元近衛騎士だろうか多くの騎士が自慢げな笑みを浮かべ、それに釣られたように令嬢が小さく嗤う。
「王都から逃げ出した騎士達を使うなんて、滑稽ですこと」
ご令嬢が嗤い混じりに漏らした一言に、その場の空気が凍り付く。
この場からどうやって穏便に離脱しようか考えていたスーケリーなどは、顔色が真っ青になっている。
「……それはどういう意味かな?」
額に青筋を浮かべ、ひくつく頬でそう告げるバルトロに、レアお嬢様が愉しそうに首を傾げた。
「あら、ご存じありませんの? カクさん、教えて差し上げなさい」
「はい、お嬢様」
その場に居る騎士全員から向けられる射殺すような視線の中で、カクさんが暗い笑みを浮かべながら前に出る。
「王都を襲撃したアルセイデス公国軍と偽愛し子の戦闘に於いて、多数の上級魔物も襲来しました。その際、下級騎士達は奮戦しましたが、一部の上級騎士は戦場を無断離脱して消息不明になっております。それと旧王家に組みして犯罪まがいの愚行を繰り返していた一部の貴族家はお取り潰しや処刑となりましたが、その際にその血筋である近衛上級騎士の一部が逃走しており、現在は指名手配をされております」
「「「「………………」」」」
淡々と語られる事実にある騎士は顔色を悪くし、ある騎士は怒りと羞恥に顔を赤黒く染め、自分を慕ってやってきた騎士達が役立たずだと貶されたバルトロは、茹であがったタコのように顔を真っ赤してプルプル震えていた。
「……儂を愚弄して、世間知らずの小娘とてただで済むと思うなっ!」
怒りに震えるバルトロの様子に、スーケリーが慌ててお嬢様の袖を引いて止めようとしたが、その手は横からカクさんに払われ、その間にレアお嬢様はトドメの言葉を言い放つ。
「あら、小娘にしか強くでられない…の間違いでないこと?」
「者共っ! この小娘共を捕らえよっ! 手足をへし折っても構わんっ! 男は斬り殺せっ!」
「「「「はっ!!!」」」」
怒りを漲らせた騎士達が武器を抜いて三人を取り囲む。
「レアお嬢さん、何て事してくれたんだっ!」
「あなただけ特別待遇よ。良かったわね」
「良くねぇよ!?」
律儀にツッコミを入れるスーケリーにニヤリと笑い、お嬢様は迫る騎士達に向けて軽く腕を振る。
「カクさん、スケべえ。懲らしめてやりなさい」
「はいっ!」
「マジかよっ!?」
文句を言いながらも剣を抜き、スーケリーはお嬢様に向かってきた騎士と切り結び、その腹を蹴って吹き飛ばす。
「おのれ卑怯なっ!」
「戦いに卑怯も何もあるかっ!」
その間に、本来お嬢様を守るはずのカクさんが幻術のような魔術を使い、壮絶な笑みを浮かべながら騎士の鎧の隙間を短剣で後ろから貫いていた。
「ぐあああっ!?」
「いいわ……この感触っ!」
どこか危ない目付きで危ない発言をしているカクさんはともかく、スーケリーも騎士よりは腕が立つとは言え、たった二人ではジリ貧になるのも目に見えていた。
「リリア、戻ってらっしゃい」
それを察したのかお嬢様は、わざわざ付けた偽名ではなく彼女の名を呼ぶと、危ない目付きをしていたリリアが真顔になってお嬢様の下に戻る。
何か打開策があるのかと、スーケリーも騎士を弾き飛ばしてそちらに向かうと、お嬢様の横に立ったリリアが訓練場に響き渡るような声を張り上げた。
「控えおろうっ! この方をどなたと心得るっ。畏れ多くも新たなるケーニスタ帝国支配者、皇帝フレア・マーキュリー・ケーニスタ陛下にあらせられるぞっ!」
「………………は?」
スーケリーの間抜けな声が漏れるその中――
フレアの帽子と赤く染めていた髪の染料が燃え上がり、その中から輝くような銀の髪が正に炎のようにたなびいた。
彼女を取り巻く燃え上がる炎がさらに勢いを増して、その上空に雄山羊の角を持つ炎の巨人――火の大精霊、魔人イフリートが姿を現す。
「「「「…………」」」」
魂が抜けたように唖然とするスーケリー。良く分からないなりに言われたとおり素直に平伏する一般兵士達。その中で、王都での愛し子との戦いや、前国王と王太子殺害を目撃、または伝え聞いていた元近衛騎士達は、土気色の顔でダラダラと異様な汗を流しはじめ……
「「「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」」」
まるで乙女のような悲鳴をあげて、元近衛騎士達が一斉にその場から逃げ出した。
「お、おい、貴様ら――」
状況を把握できていないバルトロが困惑気味の声を上げた瞬間、翼のように炎を纏った少女――女帝フレアが見下ろすように間近で嗤っていた。
「消えなさい」
優しげな声に思わず呆けたような顔をするバルトロ。
「お、おまえ――」
ポンッ……
時勢を読めず小さな権力に酔っていた男は、フレアのデコピンによって一瞬で燃え尽き、わずかな黒い塵となって風に消える。
「リリア」
「お任せを。フレア様」
フレアが名を呼ぶと、リリアが軽く頷いてパンッと軽く手を叩く。
その瞬間、どこかから湧き出すようにメイド服を着た女性達が逃げ出した騎士達の背後に現れると、その首に当てたナイフを一斉に横に引き、その周辺に赤い霧が花火のように舞い散った。
「まあ、綺麗ね」
その後、数十個の桶に詰めた“あるモノ”を届けられたアルタ辺境伯の城では、夫人と子息達が卒倒し、アルタ辺境伯は真っ白に燃え尽きた顔で、皇帝陛下に永遠の忠誠を誓ったという。
(早く逃げないと……)
なし崩し的に最後まで付き合わされたスーケリーは、フレアがアルタ辺境伯を物理的にも精神的にも追いつめている最中、こっそりと彼女達の監視をかいくぐって逃げ出していた。
スーケリーが立てたケーニスタ帝国への企みは頓挫し、逆に証拠はないとしても辺境伯の口からソルベット王国が関与していると知られ、同盟間で立場の弱い国王は惚けるにしてもこれからは全ての行動が監視され、アルセイデス公国・ケーニスタ帝国・魔族国家ベリアスの同盟三国に対して、ただでさえ弱い発言力がさらに弱くなるだろう。
そして事が起きたにも拘わらず、不可抗力だったとは言え皇帝の前で辺境伯の口を封じることも出来ず、スーケリーも国元に帰ればそのまま幽閉されかねない。
「……どうするかなぁ」
国に戻れないのならこのまま同盟四国以外の国で、このまま冒険者として生きてもいいかもしれない。
母のことは気になるが、スーケリーが戻らなければ殉職と言うことでそう悪い事にはならないのではないだろうか。
「良し、それで行こう」
決めたら即行動とばかりに、荷物を抱えてまずはこの領から出ようとしたスーケリーは、城下町に戻った瞬間、数名の暗殺者メイドに捕縛されていた。
「……え?」
カシャン……ッ。
見るからに堅そうなミスリル製の手枷を付けられ呆然とするスーケリーの前に、手枷に繋がれた鎖の端を持った、燃えるような銀髪の少女が現れる。
「あら、スケべえ。どこに行くのかしら?」
「ふ、フレア……陛下」
顔色をなくして呟くスーケリーに、フレアはそのまま鎖を引いて歩き出す。
「帰るわよ」
「「「「はっ」」」」
「ちょっと待てぇえっ!!」
素直に従うリリアやメイド隊の中でスーケリーが叫ぶと、フレアが肩越しにチラリと振り返る。
「私のケーニスタは人手不足なの。ある程度国政に詳しくて、裏切らない程度にお人好しな“戦利品”を拾ったのですもの。使わないと損でしょ?」
「お前……」
言っていることは酷いが、自分を射る強くて綺麗な碧い瞳を、スーケリーは綺麗だと思った。
「それに、あなたはソルベットの弱みを知っているし、私を裏切らなければ、あなたのお母上の身柄も確保してあげてもいいのよ?」
「やっぱ、待てぇええええっ!!」
そうしてケーニスタ帝国での最初の反乱は未遂に終わり、それから数ヶ月後、空白だった宰相の地位に『スケべえ』と呼ばれる男が就き、ソルベット王国との交渉で弱みを突き優位に立てたと言われている。
その数年後、初代女帝陛下は数人の世継ぎを産んだと言われているが、彼女は皇配を得ることはせず、子供らの父親は不明のままであった。
フレアのロマンスとか無理難題をリクエストして戴きましたが、こんなんなりました(笑)
次回は、イスベル大陸、魔王の襲来。イスベル大陸側から見た絶望をお届けします。
次は一日間を置いて木曜更新予定です。




