【閑話】フレアのお忍び漫遊記 前編
フレアのお話しです。
フレア・マーキュリー・ケーニスタ。
国家最大の事件として知られる『偽愛し子の乱』により荒れた、旧ケーニスタ王国を纏め上げた新生ケーニスタ帝国の初代女帝である。
まだ十代の少女と呼んでいい年齢でありながら、新たな亜人と人族、そして魔族と魔物の多種族国家として建国されたアルセイデス公国の女王、『魔王キャロル』の朋友であり、少女らしい柔軟な発想で、敵対貴族を市民の前で高笑いをあげながら丸焼きにした姿は、親が幼い子供に『悪い子のところには皇帝陛下が来るよ』と言われるほど語り草になっている。
「平和ねぇ」
「………そうですか?」
皇帝専用の愚民の街を見下ろせるテラスで、生き血のように真っ赤なワインを口に含んでいたフレアの言葉に、信奉者から見事側近に格上げされたリリアが、テラスの外で立ち上がった火柱に若干額に汗を滲ませながら首を傾げる。
フレアはもう一人の『悪役』であるキャロルと同様に、生まれた時から死の危険に曝されてきた。
産まれた瞬間に雷鳴が轟き、高名な占星術士から『覇王の器』だと言われ、いずれこの国の王となる定めと予言されたフレアは、猜疑心の強い国王派の者達に、常に命を狙われ続けた。
物心つく頃には襲ってきた暗殺者の見所のある者を精神的にも肉体的にも屈服させて調教し、四歳で母親と契約していた精霊を奪い、景気づけに保養地の人間を皆殺しにした事件で、フレアの名前は恐怖の象徴として国内のみならず周辺国へ響き渡った。
現在も潜伏する旧王都貴族家から放たれた刺客を、増強された暗殺者メイド隊がことごとく蹴散らし、今もテラスの外で燃え上がった火柱は、その警戒網さえも突破した伝説級の暗殺者が炎の大精霊に焼き尽くされた結果だ。
そんな敵対貴族達も、フレアの血の粛清によって大部分が消去されている。
「……視察に出掛けますわ。リリア、伴をなさい」
「は、はいっ、フレア様っ!」
生まれてから常に命の危険に曝されてきたフレアにとって、死の危険が少なくなるのは、暇が出来ると同義であった。
あの先王ですら務まった王務が、国が荒れているとは言えフレアにとっては片手間仕事でしかなく、フレアの配下達は狂信的な仕事中毒者なので、フレアには政敵を抑えることぐらいしか仕事が無い。
暇つぶしが出来る相手と言えば、朋友である『魔王』くらいだが、彼女はやり残したことがあると、この国から逃げ出した元宰相を追って海を渡ったイスベル大陸まで喧嘩を売りに行っている。
そんな愉しそうなこと、フレアは出来れば自分も『魔王軍の幹部』の役目を貰い、国の一つや二つ火の海に沈める、バカンスに出掛けたいと思っていたが、その魔王から、今の状況で二人ともこの地を離れるのは宜しくないと、至極真っ当な理由で説得されてしまった。
フレアにとって魔王である彼女は、フレアが殺そうとしても死なないただ一人の友人であるので、彼女がイスベル大陸の兵器をお土産に持って帰ってきてくれるのを、大人しく待つことにしたのだ。
美しきかな乙女の友情。
その代わりと言うことではないが、気晴らしに国内の視察程度なら許されるのではないだろうか?
視察に出る。女帝のその言葉に一瞬で慌ただしく準備を始めた信奉者や暗殺メイド部隊は、彼女の次の一言で動きを止めた。
「お忍びで出掛けるわ」
「……は?」
お伴は側近のリリアただ一人。もちろん暗殺者メイド隊は離れた影の中から見守ってはいるが、フレアは美しい銀髪を赤く染めて1本の三つ編みに纏め、リリアは元々顔つきが地味なのでそのまま、二人は豪商の令嬢とお付きの少女という設定で、辺境にある領地の一つへと向かうことになった。
「……わたくしの扱い、酷くありませんか?」
「気のせいよ」
ケーニスタ帝国の辺境領は、旧アルセイデス公国のように百年前の戦争で疲弊し、ケーニスタに取り込まれた小国が含まれる。
それ故にそれらの領地は偽愛し子の事件で王都から冷遇され、あっさりとフレア側に付いたのだが、どちらかと言えば中立に近い位置にある。
新生アルセイデス公国は、魔王の庇護の下、魔の森の広大な土地を領地として組み込み建国されたが、それを知った辺境領の一つが、国の混乱のどさくさに紛れてケーニスタ帝国から独立しようと画策していた。
もちろん表向きは皇帝に忠誠を誓っている。
だがそのアルタ領の辺境伯は、古くから交友のある隣接するソルベット王国に密使を送り、独立の後ろ盾を得ようと交渉していたが、いまだにソルベット王から良い返事は貰えていない。
「あっ、フレ…お嬢様、アルタの城下町が見えてきましたよ」
「まぁ、みすぼらしい町ね」
その日、アルタ辺境領は最悪の日を迎えることになる。
***
「さすがにまだパッとしねぇな」
アルタ辺境領の城下町で、傾奇者ほど派手ではないが小綺麗な冒険者風の男が、街並みを見て落胆したように溜息じみた声を漏らす。
見た目の年齢は二十歳を少し超えたあたりであろうか、無精髭を生やし粗野な感じだが目付きは理性的で鋭く、顔立ちは野性的ながら美男子に入る部類で、町娘達がチラチラと興味ありげに視線を向けていた。
「スーケリー殿下、そのようなことを往来で仰っては……」
その横から商人風の中年男が近づき、囁くように声を掛けると、冒険者風の男は顔を顰めて振り返る。
「お前も『殿下』は止めろ……。そもそも第八子で庶子でもある俺には、継承権すらないからな」
中年の商人は、所謂『草』と呼ばれる、その地に時間を掛けて根付き情報を集める他国の間者だった。
そんな中年の商人から『殿下』と呼ばれるスーケリーとは何者なのか?
「ですが……」
「いいからお前も仕事に戻れ。長年の努力を無駄にする気か?」
「わかりました。……お気を付けて」
商人風の作った笑みを浮かべる中年男に、スーケリーが背中越しに片手を振って応えると、彼はまたかすかに溜息を吐いて町を歩き始めた。
スーケリーはこの国の内情を調べに来ていた。
彼以外にも中年商人のような草や間諜が何十人も潜入しているが、今回のように他国から一つの領が独立する後ろ盾を求められるような事柄では、百人の部下の言葉よりも『王族』として教育された者の『眼』が重視される。
実際はこんな辺境の独立を支援しても、女帝どころか魔王さえも敵に回しかねず、旨味どころか厄介ごとにしかならない。だが、父王は、妹の忘れ形見がケーニスタの王族である利を活かせず、ケーニスタの動乱で動く機を逸した為に何も得ることも出来ず、その甥によって魔族との同盟まで結ばざるを得なくなった。
それ故に父王は、この独立騒ぎで何かしらケーニスタと女帝の弱みを握れないかと、子の中で才はあっても継承権を与えられない、居なくなっても構わない手駒としてスーケリーに白羽の矢を立てた。
(そう簡単に弱みを握れたら苦労はないけどな……)
その外見とは裏腹に、スーケリーは理性的に何が祖国の利になるか考える。
一度は土地が枯れたとは思えないほど作物は順調に育っているが、その収穫が出来るようになるまで、この領地は国からの支援がないと立ち行かない。
それでも混乱に乗じて独立したいというのは、アルタ辺境伯に野心があるからだ。
ならばいっそのこと、弱みを捜すのではなく、弱みそのものを作ってしまえば良いのではないだろうか。
支援をチラつかせて焦りを煽りアルタ辺境伯の勇み足で反乱を起こさせる。
ケーニスタは魔族軍との戦争で稼働できる王都の戦力が激減しているし、周辺の領地も多くの兵を出すことは出来ない。
頼みの綱である魔族軍も、遠方からでは時間も掛かり、そもそも周辺国に睨みを利かす為の同盟なので、国内の反乱に兵を出すかどうかも怪しい。
そこを同じ同盟国である祖国が兵を出して鎮圧し、治安維持と称して実質支配すればこの領地を奪えるのではないだろうか。
この国の女帝は、恐ろしく冷酷で優秀な人物だと聞いているが、どれだけ優秀でも所詮は成人したばかりの小娘だ。戦力の不足は個人の資質では埋まらない。
事はそう簡単ではないが、父王の望む嫌がらせをして、結果的に領地も返さなくてはいけなくなるかもしれないが、交渉が上手く行けば軍の派遣費として大量の金を得て、国としても恩を売ることが出来るだろう。
(とりあえず、その方針で動くか……)
スーケリーは今回の件について王族として裁量権を貰っている。それは国に伺いを立てるだけの時間がないことと、もし失敗してもスーケリーが即座に切り捨てられる立場だったからだ。
そういう時の為に、父王は下級貴族出身のメイドに産ませたスーケリーを、王族の一人として迎え入れたのだから。
だかスーケリーは常識がある故に理解できなかった。
魔王軍の戦力の大半が、『魔王』たった一人の力であることを。この国の女帝が、その魔王が認めた、たった一人の『化け物』であることを。
方針は決まったが、スーケリーが乗り込んでアルタ辺境伯を直接煽るわけにはいかない。おそらくはアルタ辺境伯の配下に独立を主張する強硬派がいるはずで、その人物を動かすのが手っ取り早いと考えた。
だが、冒険者風を装っているとは言え、冒険者一人が軍事施設や貴族の居る場所を動いていたら、かなり怪しく見えるだろう。
冒険者が怪しまれない為には誰かの伴をするのが自然だが、あの『草』である商人に頼むのは簡単だが、彼はこの国に溶け込む為に長い時間を掛け、この地で家族さえも作っている。それを危険に曝すのはスーケリーには気が引けた。
ならばどうするか――
「……おっ」
その時、スーケリーの視界に、裕福な商人の令嬢らしき赤い髪の娘と、そのお伴をしている薄幸そうな少女の二人連れが目に付き、彼は少しだけ悪い顔でニヤリとほくそ笑んだ。
「あの嬢ちゃん達に手伝って貰おうか」
キリギリスさん、アリの家かと思い、自ら蜘蛛の巣にかかりにいく図。
次回、後半です。




