81 卒業イベント フレアの処刑
三人称のみ。残酷な描写ございます。
ケーニスタ王城地下にある重犯罪者用の特別牢。
縦横30メートルもある石造りの牢は、床一面に魔術封じと精霊封じを施した魔法陣が描かれ、その上から足首までの水を流されたその中央に、手と足に精霊封じの枷を嵌められた上に、首から下を魔力封じの護符で縛られたフレアが捕らえられていた。
その前に置かれた足付きの盆にある毒入りの食事は初日に与えられたもので、すでに腐り悪臭を放っている。
フレア捕縛から三ヶ月以上経つが、治療を施されることもなく、食事は最初の毒入りが一回だけ。床の水のせいで横になることも出来ず、薄汚れたドレスのままでもフレアの瞳だけは爛々と獰猛な光を放っていた。
精霊を封じられていても、炎の精霊は契約者であるフレアの内にある。
今はその炎の精霊が自分の魔力を生命力に変えてフレアに与えていたのでフレアはまだ生きているが、精霊の魔力が尽きればフレアの命運も尽きることになる。
視線だけで威嚇するフレアに兵士達も怯えて誰も近づかなかった地下牢に、一ヶ月ぶりの来訪者があった。
ピシャン……ッ。
二人の護衛を連れた来訪者の歩みで、跳ねた水がフレアの頬に飛んで静かに流れる。
「やあ、フレア。元気にしているかな?」
その人物とはプラータ公爵家嫡男、フレアの実の兄であるカシミールであった。
三ヶ月以上も地下の水牢で縛られている妹に、まるで朝の挨拶でもするように爽やかな笑顔で声を掛けたカシミールは、フレアの様子に優しげに目を細める。
「さすがにもう声も出ないかな? 相変わらず君の瞳は素敵だね。精霊さえいなければ手足を潰して飼いたいくらいだよ」
カシミールは水に沈んだ鏃や折れた槍の穂先をチラリと見た。フレアが地下牢に封じられた当初、何度か処刑を試みたらしいが、一度もフレアを貫けなかった。
「でも安心していいよ。フレアの為に古い文献から見つけた、精霊を生け贄にした鉄の斬首台が数日前ようやく完成したんだ。大金貨100枚で快く友人である精霊を提供してくれたアリス嬢に感謝だね」
精霊には物理攻撃耐性がある。それが大精霊ともなればほぼ全ての物理攻撃は効かなくなり、その効果は完全ではないが契約者のフレアにも付与される。
魔法属性ならば傷つけることも出来るが、魔法で処刑の場合は封印が先に壊れる危険があったので、誰もフレアを殺せなかった。
その精霊を傷つけることが出来る鉄の武器は、精霊を生け贄にして作ることができ、愛し子の協力によってようやく少量の生産が完了した。
「君の処刑は明日の卒業パーティーだよ。良かったね。同級生と一緒に卒業できるんだから。提案してくれたアリス嬢に、私からもお礼を言っておくよ。場所は学園の中庭で一般客も見ることが出来るそうだから楽しみだね」
カシミールは実の妹の処刑予定を爽やかな笑顔で愉しそうに語る。その異常な精神に倒錯的趣味が多い貴族の騎士達もわずかながら一歩引く。
だがカシミールはよほど愉しいのか、そんな騎士達の様子にも気付かず、舞台俳優のような大袈裟な身振りで妹を苛むようにフレアの耳元にそっと顔を近づけた。
「いいことを教えてあげよう。未確定情報だけど、父上が亡くなったそうだよ」
その言葉にカシミールを視線だけで追っていたフレアの片眉が微かに上がる。
「君が殺したかったのかな? ふふ……私もだよ。王妃もおそらくは戻っては来ないだろう。ベルト殿もアベルもいなくなり、ケーニスタは混乱している。そして私はプラータ公爵と上級貴族会議を掌握し、この国の英雄に――ガッ」
その瞬間、フレアがカシミールの咽に喰らいつき、食い千切った。
信じられないように目を見開いたカシミールがヨロヨロと後ずさりながら崩れ落ち、フレアは肉片を唾でも飛ばすように吐きだして、血塗れの真っ赤な唇を舌で舐め取りながらわずかに顔を顰めた。
「……不味い。お兄様、不摂生をしていませんこと? お気を付けあそばせ」
あまりの出来事に側に居た騎士達も理解が追いつかず、仰向けに倒れたカシミールの首から噴水のように噴き出した血がフレアを汚し、流れた血が床の魔法陣を隠し始めると、フレアを縛っていた血に汚れた護符が燃え上がり始めた。
「ま、魔術師達っ、フレアを抑えよっ!」
「カシミール様を早くっ」
我に返った騎士達が控えていた宮廷魔術師達に叫び、すでに事切れたカシミールを燃え始めたフレアの側から離す。
燃え尽きた護符がパラパラと剥がれ落ち、床の水が沸騰し始めた時、慌てて駆けつけた宮廷魔術師達が精霊封じの魔術を何重にも重ね掛けしてフレアを抑え込んだ。
その後、フレアには倍以上の護符による精霊封じと魔力封じが行われ、明日の処刑まで魔術師と騎士達による厳戒態勢が敷かれることになった。
「ふふ。素敵な死に様でしたわ。オニイサマ」
***
王都では王太子が商店から食料を徴用しようと近衛軍を動かしたことで、一部の騎士と兵士が国軍から離脱し危険な状態になったが、その商人から貢ぎ物を受け取る国王が近衛を退かせた為、血が流れることはなかった。
だが怪我の功名と言うべきか、その件が原因で王都では無法者が貴族街の商店を襲うような事件はなくなり、表面上は落ち着きを取り戻している。
国王は自己の威厳を保つ為に、その商人達に魔術学園卒業パーティーの物資を提供するように求め、商人達はその代わりに、王都へ無検閲での荷馬車の通行を求めて、王室御用達の許可証を与えられた。
そのような中で予告通り魔術学園卒業パーティーと、王都を破壊して民を苦しめた逆賊フレアの公開処刑が行われる。
民の不満を逸らす為とその解消を目的としたその催しは、救国の愛し子アリスの申し出により、処刑時には入場料を取り平民達が見物を出来るように配慮された。
庭で行われた立食形式のパーティでは、関係者だけでなく国王を含めた王族と王都の貴族全員が出席し、それに気圧される卒業生や在校生の中、王太子ジュリオ、宰相子息イアン、宮廷筆頭魔導師子息マローン、大司教の孫であるルカ、と言った眉目秀麗な美少年達を周りに侍らしたアリスが、可憐な笑顔でルカやマローンから収められた、今月の『お友達料』をポケットに仕舞い込んでいた。
それと同時刻の王城では、マローンの父である宮廷筆頭魔導師と宮廷魔術師団、近衛騎士隊に見張られたフレアが、地下牢から運び出されていた。
王城の前には逆賊フレアを一目見ようと大勢の人が詰めかけていた。
憎らしげに見ている者。貴族令嬢が堕ちた姿を嘲るように見つめる者。怯えたように見つめる者。一部憐れみの瞳で見る者。
馬が引く荷台の上に立った状態でくくりつけられたフレアは、俯くこともなく堂々と胸を張り、その姿は王者の気品さえ感じられた。
『さっさと死ねっ、逆賊めっ!』
『貴様のせいで作物が枯れたんだ、この魔女めっ!』
『お前のせいで何人死んだと思ってんだっ!』
大通りを学園へと向かう中、群衆の中から罵声が浴びせられ、投げられた石がフレアの頬に当たる。
フレアが投げられたほうへ碧い瞳を静かに向けると、群衆達が怯えた顔で石を投げた男から離れ、取り残された一人の男が狼狽したように顔を青くした。
「其方、覚えたぞ」
ただ呟いた言葉が一瞬静まった群衆へと届き、ゆっくりと視線を巡らすフレアに群衆達は慌てて罵声を浴びせていた男達から飛び退いた。
その中にはフレアに罪をなすりつけるサクラが混じっていたのだろう。それらを見て愉しそうに高笑いを上げるフレアに人々は怯え、罪人の余計な発言を止めるべく短鞭を構えた騎士も、カシミールの無惨な死に様を思い出して、怯えたように最後まで振り上げた鞭を下ろすことが出来なかった。
フレアが魔術学園に到着すると、別門から一般見物客の入場が始まる。
その中にダフ屋のような真似をして、入場券を高値で売りつけようとする金髪の少女がいたと言うが定かではない。
フレアを乗せた荷台が舞台へ上げられると、新たな騎士団長と仏頂面をした宮廷筆頭魔導師、王都教会大司教と王弟カミーユを引き連れた国王が壇上へ上がり、その次に王太子ジュリオとイアン、マローン、ルカと最後に走ってきたように息を弾ませた、愛し子アリスが上がる。
「ジュリオ、始めよ」
「はっ、陛下」
ジュリオは威厳のある父王の言葉に頷くと、汗ばんだアリスの手を泣き笑いのような恍惚とした笑顔でエスコートして前に出る。
ジュリオは集まった民衆や貴族達を見回し、最後に、今回は言葉封じの首輪さえ嵌められたフレアに向き直る。
「フレアよ。あなたとは幼き頃より婚約者として接してきたが、その悪行は許されるものではありません。あなたの命運もここまでだ。私、ケーニスタ王国王太子ジュリオはフレアとの婚約を正式に破棄し、ここに救国の聖女、愛し子アリス・ラノン・ヨーグルと正式に婚姻を結ぶことを告げるっ!」
ジュリオがそう告げ、アリスの手を取って前に出ると、貴族達から溢れるような拍手が贈られ、手を振るアリスに大部分の民衆も歓声を上げた。
「さあ、アリス、王太子妃になるあなたの、最初の仕事ですよ」
「はい、お任せ下さいっ」
アリスは前に出ると無表情でジッと見つめるフレアに、朗らかで明るい子供のような笑顔を向け、少しだけ小さな声で語りかけた。
「フレアさんがいけないんですよ。意地悪ばっかりするから。お友達を処刑するのは気が引けますけど、諦めて下さいねっ。――さあ、フレアさんを処刑台に」
「「はっ」」
アリスの言葉に数人の騎士が出て、フレアを彼女を殺す為だけに作られた断頭台に押し付ける。
「あ、待ってくださいっ。顔を下にしたらみんな見えないでしょ? フレアさんの顔が上になるように仰向けにして下さい」
パンと手を叩いて、良いことを思い付いたように言うアリスの言葉に騎士が顔を青くする。
断頭台で罪人の顔を下に向けるのは綺麗に切る為もあるが、迫る死の恐怖を感じさせないようにする最後の慈悲でもある。それを楽しみの為に上に向けろというアリスの発言に、カミーユや一部の者達はその異常性を感じて息を飲んだ。
断頭台に嵌められた罪人から邪魔になる言葉封じの首輪が外され、喋れるようになったフレアに国王が声を掛ける。
「逆賊にして、兄殺しのフレアよ。言い残すことがあれば聴いてやろう。命乞いは聴いてやれぬがな」
国王の言葉にフレアはチラリと視線を向け、命乞いどころか不敵に笑う。
「あら、ご親切にどうも。ところで姿の見えない王妃はどちらへ? 我が敬愛するお父様の姿も見られませんが……、もしかして何度も派兵したあげくに、魔王に殺されたのかしらぁ?」
「………処刑を始めよ」
聴きたかった恨み言ではなく、フレアが漏らした『魔王』と言う言葉に観衆がざわつき始め、国王は即座に処刑を命じた。
「はーい、ではやってください」
アリスの言葉に処刑人がギロチンの刃を吊す太い縄に向け、大きく斧を振り上げる。
「…………」
それを見守る人々の中で、何とか減刑は出来ないかと動いていたカミーユだったが、それは叶わず、ただ殺されるフレアから視線を逸らすと、青空にまばらにある雲の中に光る道のような白線が伸びているのに気付いた。
(……あれは?)
「アハハハハハハハハハハハハハハハッ! 聞けいっ、この国の子らよ、愛しき愚か者共よっ! 我が死のうと滅びは免れないぞっ。アハハハハハハハハハハッ!」
フレアの嘲るような笑いが響く中、処刑人の斧が縄を断ち、数十キロもある鉄の刃がフレアの首に落ちて――
バキンッ!!!
その瞬間、大空から差し込む光のように白い人影が飛び込み、鉄の刃がフレアの首に触れる寸前で、白い指先が横から刃を貫くように手刀で受け止めていた。
ふわりとたなびく優美な白いドレス。
人形のように整った顔立ちに映える金色の瞳。
腰まで伸びる艶やかな漆黒の髪から出た特徴のある長い耳。
誰もが息をするのも忘れるような静寂の中……その15~6歳と思しき美しいエルフ種の少女に、そのドレスをとある女性に贈ったカミーユは目を見開き、その少女は白魚のようなたおやかな指先で鉄の刃を貫いたままの自分を見上げるフレアに、微笑むように目を細めた。
「ごめん、遅刻した?」
「ふふ。もうパーティーは始まっていてよ。……キャロル」
うちの悪役令嬢達、雄々しすぎませんか?
次回、少し戻ってキャロルの出陣から。




