38 再会
『ゴガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
魔の森に一際大きなゴブリンロードの咆吼が響き、数千ものゴブリンとホブゴブリンが津波のように進軍する。
一体一体はレベル5にも満たない弱い個体だが、数とはもっとも単純で強い暴力であり、軍隊蟻が大型昆虫に群がるように、ドブネズミの群れが野犬を襲うように、ゴブリン達はリザードマンやオーガの集落を襲い、犠牲を出しながらも討ち破っていた。
本来、ゴブリンは粗野で狡猾なだけの臆病な魔物で、相手が強ければすぐに逃げ出してしまう。
そのゴブリン達が死をも恐れず戦っているのは、ゴブリンの中から生まれたゴブリンロードの存在と、何よりも数千体の仲間が居るというゴブリンの集団心理――仲間達が居れば自分達が負けるはずがない。死ぬとしても自分以外の個体だ。と錯覚し、恐怖を感じる神経は麻痺して、ただ暴力と血に酔いしれていたからだ。
『グガァ?』
隊長格であるホブゴブリンの一体が、崖の上に何かを見つける。
ゴブリンは雑食で死肉でも何でも食べる。この崖を越えた所に魔族の集落があり、ホブゴブリンはオーガのような固い筋張った肉よりも、すぐに“今のエルフ”のような軟らかい肉を食えるのかと、崖の上に何かあったことなどすぐに忘れてしまった。
「――【Dragon Breath】――」
崖の上から放たれた真紅の光線が、大軍を刃で真横に線を引くように斬り払い、光線を受けた大地がマグマのように沸騰して爆炎を吹き上げた。
『グゴォオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』
高熱の余波に焼かれたゴブリン達が断末魔の悲鳴をあげ、混乱と恐怖で叫ぶゴブリン達の中で、ゴブリンロードは光線が放たれた崖の上に、真紅のドレスを纏った一人の少女の姿を認める。
膝丈のスカートと長い髪が炎の熱にはためき、黒髪から長い耳を覗かせる。
まだ若い黒髪のハーフエルフ。だが、崖の上からこちらを見下ろす、整った無表情な相貌から覗くその金色の冷たい瞳に、ゴブリンロードは“強者の威圧”を感じて一歩下がってしまった。
『ゴ…、ゴガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
そんな自分に怒りを感じ、ゴブリンロードは咆吼を上げる。
王である自分がたった一人のエルフに怯えるなどあってはならない。たった一撃で数百もの同胞を屠った恐るべき敵だが、このような大魔術を何度も使えるはずがない。
ゴブリンロードの雄叫びを受けて、魔法の被害から逃れていたゴブリン達が一斉に崖へと押し寄せる。
敵はたった一人。これだけのゴブリンを相手にすれば、あんな細いエルフなど数秒で肉片に変わるだろう。
「――【Blast】――」
再び放たれた大魔術――ただ単純に破壊を撒き散らす爆破の衝撃に、固まって迫っていた数百のゴブリンが、周辺の木々ごと引き裂かれるように吹き飛ばされた。
それを何の感情も見せずに冷たく見下ろし、静かに片手を上げたハーフエルフは細い指先を、パチンッ、と鳴らす。
「やれ、ポチ」
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
少女の背後から狼のシルエットを持つ漆黒の竜が現れ、咆吼をあげながらゴブリンの群れに襲いかかった。
弱き者を恐怖させる竜の咆吼。恐るべき速さ。恐るべき力。恐るべき姿。口から炎を吐きながら黒い巨体が暴風のようにゴブリン共をなぎ払い、
『ゴガァアアアッ……』
一瞬でゴブリンロードの巨体が闇竜の顎に噛み砕かれると、その光景に残ったゴブリン達は、夢から覚めたように恐怖に泣き叫びながら元来た道を敗走していった。
*
「…………」
第七階級最強の炎の殲滅魔法、【竜砲撃】を初めて現実世界で使ってみましたけど、とんでもない魔法ですね。
VRMMOでも撃った部分が爆発する、ゲームだとそれで終わりのロマン砲ですが、現実だと大地が溶岩のようになって、さらに死を撒き散らかしていました。
思わず『焼き払えっ』とか言いそうになりましたよ。
ゴブリンは弱いですけど、あれ一撃で四千くらい居た軍勢の3~4割は無力化していましたよね? その後の【爆破】とポチの追撃で逃げていきましたけど、もうこちらを攻めようとか思わないんじゃないでしょうか。
自分でやっておきながらその結果に呆然としていると、炎の中で駆け回って遊んでいたポチが私の所に戻ってきました。
『キャロル、我は頑張った。我は強い』
「ん」
獲ってきた大きなゴブリンを私の前に置いて、ポチは胸を張りながら得意そうに勢いよく尻尾を振る。
いや、こんなデカいゴブリン貰っても仕方ないんだけど、……売れるのかな? でもポチが褒めて欲しそうにしているので、咽辺りのモフモフをワシワシ撫でておきます。
「あ、あの……キャロル様」
「ん。終わった」
ポチにご褒美を上げていると、魔族の長老と戦士頭のハリーが、崖から見える現地の惨状に浅黒い肌を蒼白くしながら声を掛けてきました。
今回も例によって、ゴブリン襲撃を察知した長老の『お願い』をされたわけですが、……あれ? 私っていつの間にか『魔女』じゃなくて名前で呼ばれるようになったんでしたっけ?
しかも魔女“殿”だったのに、『様』になってるし。……まぁ、いいか。
「それじゃ、ゴブリンの魔石を集めてね」
私もただ働きするつもりはありません。魔石を全部集めてもらいます。
「分かったっ。みんなっ!!」
「「「おうっ!」」」
形の残った死体だけでも千体以上あるから渋られるかと思いましたが、ハリーが声を掛けると、村から女子供や老人までもやってきて、みんな笑顔で対処してくれました。
どうしたのでしょう? 好感度が上がっているのでしょうか?
私は数週間前、慈悲の女神を祀る教会で、禁書と呼ばれる古い本を読むことが出来ました。
内容は本当に“禁書”でしたね。別に世界を滅ぼすような危険な魔術や、封印された危険な存在が書いてあるわけではなくて、ごく普通の魔族の歴史書でした。
読んでみるとただの歴史書ですが、魔の森周辺が元々魔族の土地で、魔族は野心がある粗野な民族ではなく、非常に文化的な民族だと分かりました。
そうなるとこの国で教えている、『魔族が突然侵略戦争を仕掛けてきて人族の領土を奪い取った』という歴史が眉唾になります。
この国の貴族にとって危険な書物ですね。こんなのが焼かれずに残っていたのは、当時はまだまともな人が居たと言うことでしょうか。
……今の教会の上層部は、どうしようもないですけど。
それだけでなく、目的であった魔法文字をいくつか得ることが出来ました。
今回使った【竜砲撃】もそれによってアンロックされた呪文の一つで、他にもMP自動回復や速度上昇などの自己強化系の呪文がアンロックされたので、物理戦闘面ではVRMMOの時にかなり近づけたかと思います。
さて魔石も取り終わったようなので帰ります。3割ほど手間賃で魔族に渡して、残り千個程度を貰っておきます。
……ポチがもっと褒めて欲しそうにしているので、デカいゴブリンも一緒にカバンに入れましょう。ペットの躾は叱るだけではなく褒めることも大切です。
その数日後、王都の冒険者ギルドに魔石を売りに行きますと、ついでに売ったデカいゴブリンが上位種だったようで、素材に結構良い値がつきました。
こう言う上位種はあまり出ないそうで、実験用素材として研究所や魔術師ギルドなどが高く買い取ってくれるそうです。
逆に魔石は、大きな物は私が使うので小物ばかりになったせいか、あまりパッとしませんでしたね。普通に売れれば全部で大金貨5枚にはなりそうだったのですが、ここまで数が多いと値崩れしてしまうそうです。
仕方がないので値崩れしない量だけ冒険者ギルドに売って、残りは魔術師ギルドに買って貰いましょう。カバンがあるので全部売れなくても問題ないですからね。
「あ、魔女さん、いらっしゃいませっ」
「ん」
相変わらず男性職員には嫌われているので、私が出向くと女性職員が対応してくれます。あれからここでも何度かアリスと一悶着ありましたが、ヒロインの性分とは言え、毎回普通に話しかけてくるのやめて貰えませんか? その度に男性職員からの視線がきつくなるんですよ。
「本日はどうなさいましたか?」
「買い取りお願いします」
私が小さな魔石をジャラジャラと出すと、いつものお姉さんはその量に少し驚いてから少しだけ眉を顰める。
「これ程の量だと、うちでも引き取れませんね。多少割れていても実験に使うので問題ないのですが、小さすぎると実験に使えませんし」
「なるほど」
それはそうですね。私も自分で使う用に大きな魔石は残してありますから。
「この魔石でしたら……」
お姉さんは手帳のような物を取り出して何か調べはじめる。
「魔術学園内の研究棟なら、学生が授業で使うので小さな魔石でも買い取って貰えると思いますよ? 紹介状をお書きしましょうか?」
「……お願いします」
何か貴族が絡んできそうで厄介な気もしますけど、販路を開拓しておきたいので甘えておきます。
このお姉さんにはお世話になってますね。私の姿は変わりませんが、お世話になってからもう五年にもなっています。お姉さんはさらさらと紹介状を書くと、にこやかに私に手渡した後で、小さく溜息をつく。
「魔女さん。……どこかにいい男いないですか? 私が養っても良いから」
「…………」
もう五年も経ってますからね。
さて、若干たらい回しになっている気がしますけど、今度は魔術学園です。
でもせっかく書いて貰いましたけど、紹介状は学院内に部外者が入る為のものなので学生の私にはあまり意味がなかったですね。
それでも簡易地図がありましたので、それを頼りにやたらと無駄に広い学園内を進んでいきますと。
「……どこですか、ここ」
ものの見事に迷いました。
どうしましょうかね? 最悪大人の姿になれば戻るのは簡単なんですけど、亜人の冒険者がこんな所に居たらまた厄介なことになりそうです。
やっぱり最初から大人の姿で紹介状を使えば良かったのでしょうか? それはそれでネチネチと亜人を理由に何か言われそうで嫌だったんですが……。
「あっ、キャロルさんっ」
「……え?」
突然名前を呼ばれて振り返ると、可愛らしい顔はしているけど、痩せてひょろひょろと背の高い少年が驚いた顔で私を見ていました。
「エルフさんだとあまり変わらないので、すぐにわかったよ」
「…………」
誰でしたっけ……? どこかで見覚えがあるような気はするのですが。
私が少年を見て首を傾げると、少年は苦笑してからあらためて自己紹介をしてくれました。
「少し変わったからわからない? 僕はマロだよ」
「……あああっ」
思い出しました。その昔、魔術師ギルドの庭で会った病弱な男の子です。今でも健康そうだとは見えませんが。……彼のことはあまり覚えていませんね。精神に強い衝撃でも受けたのでしょうか?
「マロは大きくなったね」
「背だけはね」
前は同じくらいだったのに、今はかなり差を付けられました。
「キャロルさんどこか行くの? ここら辺は詳しいから僕が案内するよ」
「ん」
せっかくですので、ご厚意に甘えましょう。でも……私、彼に“名前”を教えていましたっけ?
ストーカーに見つかってしまいました。キャロルはあまりの衝撃に記憶の一部が飛んでいます。
次回、迫るストーカーの脅威




