セイ=ブルーノ②~叶わぬ想い~
「セイ様、どうされたのですか? 何だか元気がないように見えますけど…」
「ああ、いや何でもありません。義姉の出産が近いから、心配になって……」
「それは、おめでとうございます。無事生まれるといいですね」
「ありがとうございます……」
モモ嬢の方から話しかけてくれていると言うのに、どこか上の空で返事をする。しばらくじっと私を見つめていたモモ嬢は、やがてぽつりと呟いた。
「私、セイ様は軽い御方だと思っていました」
「どうされました、突然」
「セイ様のお好きな人って、お義姉さんなんでしょう?」
「っ!?」
誰にも明かした事のない(ミズーリにも名は伏せていた)秘密を明かされ、驚愕のあまり我に返る。思わず肩を掴んで怯えさせてしまったが、気遣いする余裕すら吹き飛んでいた。
「何故、そうだと…?」
「クロエ様から庇って下さった時、お義姉さんの悪口を言われて、すごく怒ってたから……何となく」
思い出した。クロエ嬢が他の令嬢たちと共に彼女を取り囲み、殿下に近付くなと威圧していたので、割って入って助け出したのだ。その時、色めき立つ令嬢たちにクロエ嬢が言い放った言葉が、胸を抉った。
『本当に見る目のない…優秀な弟はふしだらな女や田舎娘の尻ばかりを追いかけ、右宰相の妹には冴えない兄を宛がう。叔母様もかわいそう、ブルーノ公爵家に嫁いだばかりに惨めな思いをされて』
『黙れ……』
『確かに貴方は誰もが認める麗しい御方。だったら叔母様も、本当は貴方に嫁ぎたかったのでは? 歳がつり合わないから、仕方なく…』
『黙れっ!!』
カッとなって唸り声を上げると、令嬢たちは竦み上がった。モモ嬢の手を引いて、その場から逃げ出す。…そう、逃げたのだ。クロエ嬢の指摘する下衆な考えは、自分の中に少なからずあったから。
――兄上にマスミ様はもったいない、と。
「一途な人なんですね」
「そんな綺麗なものじゃありませんよ。抱いてはいけない想いだ…一生誰にも言えず、私は決められた相手と添い遂げなければならない」
言えないと言いつつも、気が付けばモモ嬢に愚痴を零していた。情けない……ミズーリの時はいっそこれで諦めてくれないかと言う打算があったが、モモ嬢には胸の内を聞いてもらいたい気分だった。
「好きになってしまったんだから、仕方ないじゃないですか」
「…えっ」
「貴族とか、めんどくさい事がいっぱいだってベニー様も言ってましたけど。思うだけなら…貴方の心は誰にも、縛られません」
モモ嬢はもう、殿下を愛称で呼べる仲なのか…と、どこかでぼんやり思う。それ以上に、好きでいていいのだと直接言われた事で、私は救われた。もちろん現実はそう簡単にはいかないが、私はずっと誰かにそう言ってもらいたかったのだ。
そんな時、ミズーリが気を遣ってマスミ様とのお茶会をセッティングしてきた。名前は出さなかったのだが、モモ嬢が気付くくらいだ。彼女もまた私の態度から、誰を想っていたのか察したのだろう。だが何故か、今はその気遣いが煩わしく感じていた。
マスミ様は珍しく、お怒りのようだった。外での爛れた生活やミズーリへの素っ気ない態度への小言はいつもの事だが、今回はそれに加え、モモ嬢との付き合いにまで干渉してきたのだ。
「レッドリオ殿下はパレットさんにかまけ、婚約者であるクロエを蔑ろにしています。最近では貴方とも随分親しい様子だとか。よくない傾向だと思います」
「お言葉ですが、義姉上」
初めて「義姉」と呼ばれ、マスミ様は目を丸くする。今まではこの人を「姉」と認める事に、躊躇いがあった。それがするりと口から出た事に、自分でも驚く。
「モモ嬢と出会ってから、私は考えを改めました。好きでもない相手との仮初めの恋ばかりを追いかけるのではなく、たった一人と向き合いたい。たとえ叶わぬ恋だったとしても」
「それは、パレットさんの事ですか。貴方まで何です! ミズーリの何が不満だと言うのですか。あの娘はとても良い子ですよ」
責めるような視線が、クロエ嬢と重なる。ああ…そう言えば彼女は、クロエ嬢の叔母だったな。その事実を認識した瞬間、自分の中で何かが冷めた。
「決められた相手と愛し合えとは、義姉上も酷な事を仰る。不毛な関係を続ける事こそ不誠実ではありませんか」
「結婚してから育めるものもあります。大切なのは、お互い支え合っていくための努力ですよ」
「なるほど……つまり義姉上は、努力しなければ兄上と夫婦になどなれなかったと」
「セイ!!」
バン!! とマスミ様がテーブルを叩いて立ち上がる。その真っ黒い瞳は涙で潤み、どうにか興奮を静めようと腹を押さえている。いつもであれば彼女の気持ちや身重の体を慮って、落ち着かせるのが最優先だったのだが……不思議な事に、何の感情も湧いて来なかった。
「貴方はどうしてしまったの? 昔はそんな子じゃなかった。あんなに優しかった貴方が、どうして…」
「貴女にだけは責められたくありません。モモ嬢は分かってくれましたよ」
それだけ言うと、涙を零すマスミ様を放置して私はお茶会を中断し出て行った。ミズーリにもう二度と、彼女と二人きりにさせるなと釘を刺すために。
同時に、今の私の心はモモ嬢に傾いている事を自覚してしまった。レッドリオ殿下はクロエ嬢が彼女を迫害している証拠を元に断罪を画策しているし、二人の婚約も破棄されるだろう。そうすると、次の婚約者候補に殿下は間違いなくモモ嬢を指名する。私はまたしても、禁断の恋に落ちてしまったのだ。
だが、もう…私は自分の心に嘘は吐けない。彼女に選ばれないと分かっていても、心に想いを抱えたまま、他の女の手を取るなどできなかった。
「ミズーリ、私はモモ嬢を心から愛している。どうか婚約を白紙にしてくれないか」
クロエ嬢の断罪後、私はミズーリに頭を下げた。もちろん双方の家からは大反対されたし、特にクロエ嬢の王都追放と私の婚約話のいざこざで妻が倒れてしまった事で、兄の怒りは相当なものだった。父からは勘当されたくなければ思い直せとまで言われたが、モモ嬢を諦めるくらいなら私は家を出て行く。
「…そうですか」
私の想いを最後まで聞いたミズーリは、いつものように静かに頷いた。彼女は全く普段通りだった。操り人形のように私に粛々と従う。今までは何でも言いなりになるこの態度に苛立ちすら覚えていたが、今度ばかりはありがたかった。
「承知致しました。ただしわたくし一人が賛成したところで、そう易々と解消できる案件でもありません。各方面への根回しも必要になってくるでしょう。セイ様はその気でも、本当に勘当させる訳にもいきませんし、何とか御父上を説得できるまでは、引き続き婚約関係を続けた方が良いと判断致しますが」
私を思い留まらせようと言う様子もなく、ただ淡々と状況を口にする。婚約破棄したいと言われて、こうも冷静でいられるのか。今更ながら、ぞっとする。
「だが、協力はしてくれるのだな」
「セイ様がお望みであれば……ただし、条件があります」
突如、彼女の纏う空気が変わった。私の目には、ミズーリがついさっきまでとは別人に見える――そう、ちょうど王都を出たクロエ嬢の中身が、入れ替わってしまったかのように。
「関係者全員の承諾を得るまでは、わたくしを絶対に女として見ない事……お約束頂けますね?」





