シン=パープルトン②~密命~
『クロエはロックに乗り換えようとしている。奴を当て馬にして全力で口説き落とせ。この際、既成事実を作っても構わん』
最近のクロエの動向を見て、レッドリオ殿下は形振り構わない手段に出た。彼女がシンに本気になったところで捨てる…と言う作戦は変わらないが、ロックとの仲を危険視し、先に奪えと命じてきた。
「殿下……それは」
『それはないんじゃないの、兄上。シンだってモモ嬢の事が好きなのに』
監視組に加わったらしいイエラオ殿下が口を挟んでくる。この兄弟は王位継承権を巡る政敵でもあるのに、ここに一緒に居ていいのだろうか。レッドリオ殿下は忌々しそうに弟君を睨み付ける。
『女々しい事を言うな。モモに惚れているなら彼女のために体を張るぐらい、何て事ないだろう。それに、シンはクロエを恨んでいる。これも復讐の内だ、そうだな?』
そうだ、俺はずっとクロエに一泡吹かせたかった。こんな小娘の言いなりになっている自分が、ずっと嫌だった。最後にあいつをゴミのように捨ててやって、その惨めな姿を嗤ってやれたら最高じゃないか。
そのはずなのに……知らず、拳を固く握る。
『今更、綺麗な体でもあるまい。性根はひん曲がっているが、あれでも一応女の体だ。今までの仕返しだとでも思って穢してやればいい』
ダーク様もまた、愛人の子としてクロエに蔑まれてきた。貴族ではあるが、立ち位置は庶民に近い。そんな彼にとってクロエは妹として愛せないのだろう。その気持ちは分かる、分かるが……
『どうした、シン。まさかとは思うが、クロエの変わり様に絆されたのではないか』
「……いいえ、承りました」
表情が見えぬよう深く頭を下げると、ブローチを弄って通信を切った。
酒場に戻ると、茶髪のウィッグをかぶったクロエが後片付けをしていた。手伝っているロックが何やら軽い口調で話しかけ、それに笑顔で答えている。
胸の内にどす黒いもやが湧き出てくる。きっと今まで自分を虐げてきたクロエが、のうのうと幸せを享受しているのが許せないのだ。レッドリオ殿下との婚約については何とも思わなかった。どう見てもクロエの一方通行だったし、精々愛のない結婚になる事は分かり切っていたからだ。
では、ロックは? 彼がずっと想いを寄せているのはモモ様だが、殿下との仲を聞かされた今では諦めが入っているように思える。そうなれば身近で親しくなったクロエで妥協しようとするのではないか。
「チャコ、女将からもう休むよう言付かっています」
「あら、もうそんな時間?」
クロエとロックの間に割り込んで彼女の腕を取れば、戸惑いつつも後を付いて来る。
「それじゃロック、おやすみなさ……ちょ、痛い!」
「過保護な兄貴を持つと大変だな」
揶揄うような声色に睨み付けると、ロックはひらひらと掌を振っていた。その余裕ぶった態度に腹が立つ。
部屋に戻ると、ウィッグを取って衝立の向こうへ消えようとしたクロエの両端に手をつき、壁と自分の間に彼女を閉じ込める。
「どうしたの、シン」
「随分、楽しそうでしたね」
「そうね、ダンジョン攻略も順調みたい。だけど怪我がないのが一番よ」
その眼差しに王都にいた頃は一度も見る事のなかった慈愛が感じられる。訳の分からない苛立ちが募った。
「惚れましたか、あの男に」
「ちょ…何言ってるのよ」
「お忘れですか、お嬢様。貴女には罪がある。それを償うため、完全な結界が張れれば貴女はここを出て行かなければならない。そしてあの男もまたモモ嬢に惚れている。殿下と同じです」
「…分かっているわよ」
「ならば何故、そのような女の目でロックを見つめるのですか。笑いかけるのですか。お嬢様のそばにいるのは、今も昔も私一人のはず」
「どうしたのよ、シン。貴方ちょっとおかしいわよ」
動揺するものの全く分かっていないクロエに舌打ちし、強硬手段に出た。突き飛ばしてベッドに押し倒す。今度は上から圧し掛かれば抵抗されるものと思っていたが、意外にもクロエは動かなかった。目を丸くして固まっていたが、じっとこちらを見上げるだけだ。
「ずっと我慢していましたが、もう限界です。お嬢様、その瞳に映す男は私一人にして頂きたい」
封じ込めていた片手を取り、その手の甲にキスをする。本当ならば髪を一房、といきたいところだが、今は短く切られてしまっている。
「シン……」
「お嬢様、私は本気です」
熱い眼差し、をできるだけ意識して、耳元で囁く。ビクッと腕の中で小さな体が跳ねた。そうだ、身も心も俺に委ねろ。俺に男を感じろ。俺しかいないのだと、認めろ。
だがクロエの思考は、俺の予想を大きく裏切った。
「そうよね、確かに私も浮かれていたわ。王都から、運命から、あの人たちから離れて、ようやく生きてる実感を得られたのもあって……罪が消えてなくなる訳じゃないのにね」
「お嬢様…? 何を言って」
「いいわよシン、私は『罰』を受け入れます。でもその代わり約束して。好きな相手と結ばれる資格がないなんて、諦めてしまわないって」
クロエが何を言っているのか分からない。結ばれる資格? 今まさに押し倒しているんだが。いやそれより、こいつ『罰』とか言わなかったか?
「お嬢様……貴女にとって今の状況は『罰』なのですか」
「ごめんなさい、シン。貴方が『監視者』である事は本当は最初から知っていたの。貴族に恨みを持つ貴方が自分から護衛を請け負うなんて、何か裏があると思ってたけど。
それでも貴方には復讐する権利がある……ただし、後で自己嫌悪に陥るような方法は絶対にやめて」
知っている…最初から、全部?
監視していた事も、貴族への恨みも、思慕どころかクロエに復讐しようとしていた事も……嘘だ、それならどうして殿下からの断罪を避けられなかった? 迫害の証拠の発見を簡単に許し、追放される原因となった俺と行動を共にする辺り愚かとしか思えなかったが、全て分かっていて、下手すれば殺されると分かっていて、手元に置いていたと言うのか?





