98話
こちらを見て次第に見開かれる目からぽろりと青い宝石の用な目が零れ落ちそうだ。
俺の視線に気がついたキュリロス師匠も、今しがた通り過ぎた馬車に目を向ける。
「あれは……、バルツァー家の家紋ですね」
「うん。レアンドラ嬢が乗ってた」
足を止めてしばらく馬車を見ていると、いくらか走ったところで馬車が止まった。
「バルツァー家の屋敷はもう少し行ったところのはずですが…………」
怪訝そうにそう呟いたキュリロス師匠。
しばらくすると馬車の扉が開き、中から珊瑚色の髪の女性が降りてきた。
それは今まさに話していたレアンドラ嬢で、彼女は馬車を降りるとそのままこちらに急ぎ足で向かってくる。
彼女の履いている靴はヒールで、ここは石畳。
ほんの少し嫌な予感がし、自分自身に素早さバフをかけて走り出す。
「あっ」
案の定、数歩走ったところで彼女は躓いた。
すぐに脚に力を込め、なんとか彼女が地面にダイブするのを防いだ。
「セーフッ!」
ただ、かなりギリギリで滑り込むように受け止めたせいで俺が膝をつくような形になってしまった。
「大丈夫? もうちょっと格好よく助けられたら良かったんだけど」
俺の肩に顔を埋めるような形になっていたレアンドラ嬢がゆっくりその顔を上げ、俺を視界に映す。
初めは何が起こったかわからずポカンとしていたレアンドラ嬢が、徐々に状況を理解し始めたのかその顔を赤くしたり青くしたりと忙しそうだ。
「も、申し訳ございませんわ! ラ、ライモンド様に膝をつかせてしまうなど·····っ」
まずは結果として俺に膝をつかせてしまったことに対する謝罪。
慌てて立とうとするから、自分で自分のスカートの裾を踏んでしまって上手く立ち上がれない。
それが余計に焦りを助長させてしまい上手く動けない。
顔は青を通り越してもはや青白い。
俺は別段気にしてはいないのだけれど、そんな状態のレアンドラ嬢を放ってはおけない。
グッと俺側に彼女の身体を引き寄せ、彼女の膝裏に自分の腕を通す。
「レアンドラ嬢、掴まって」
抱っこの要領でそのまま立ち上がり、レアンドラ嬢が裾を踏まないようにゆっくりと足を地面に下ろしてやった。
ツイっと視線をキュリロス師匠に投げかけると、心得た。とひとつ頷いて音もなく静かに走り去る。
流石はキュリロス師匠!
キュリロス師匠からレアンドラ嬢へと視線を戻してきちんと立ったことを確認し、抱き寄せていた身体を離す。と、顔を真っ赤にしたレアンドラ嬢の完成だ。
「あ、ありがとう、ございます」
「女性にいつまでも跪かせておくのは趣味じゃないので。急ぐ原因になった俺が言うのも何だけど、大丈夫? 怪我はない?」
「だ、大丈夫ですわ !わたくしが勝手に躓いただけですもの、ライモンド様のせいだなんて、そんな·····っ」
そうは言うものの、レアンドラ嬢が走った理由は十中八九俺が手紙を返さなかったからだろう。
「本来であれば、バルツァー家の令嬢であるあなたとこんな場所で立ち話をするなんて失礼に当たるんでしょうが、生憎今は馬車がなくすぐ屋敷にお迎えすることもできず。申し訳ない」
「そんな! わたくしの方こそ、はしたなくライモンド様を呼び止めてしまい申し訳ございませんわ」
恥じ入るように視線を地面に落としたレアンドラ嬢の顔の前に指を一本立ててやる。
下を向いていた彼女の顔が、一体何かと俺の方を向く。
「女性から貰う言葉は謝罪よりも感謝の言葉の方が嬉しいかな?」
我ながらキザだなぁ、と少し恥ずかしくなり年甲斐もないセリフに耳が熱くなった。
しかし、それに気づいているのかいないのか、レアンドラ嬢は僅かにその頬を染めてようやく表情を緩めた。
「ありがとうございます、ライモンド様」
そうこうしているうちに、キュリロス師匠が俺の邸宅から馬車を連れて帰ってきた。
さすが師匠! わかってるぅ!
本当ならレアンドラ嬢と会ったらすぐ屋敷かどこか店にでも誘うべきだったのだ
「都合よく俺の従者が馬車を連れてきてくれたようなので、良ければお茶でもいかがですか? このまま別れたのではいつも世話になっているバルツァー将軍に顔向けできないので」
流石にね。全く知らない相手ならともかく社交界で唯一踊ったことのあるレアンドラ嬢をこのままにして帰るとなるとあまりにもレアンドラ嬢に失礼だ。
適当な理由をつければ、レアンドラ嬢もそれならば、と俺の建前に乗ってくれる。
「では、俺の邸宅に案内致しますね」
キュリロス師匠の運転する馬車に俺が乗り、後ろを走るレアンドラ嬢の馬車を先導する。
流石に許嫁でもないのに同じ馬車には乗れないしね。




