43話
「お疲れ様です。ゲルツェンただいま戻りました。」
落ち着いた男の声に、バルツァーは手元の資料に落としていた視線を上げた。
「あぁ。ライモンド様はどうであった?」
先日、と言ってもすでに数か月経過しているあのジャンカルロ第六王子の社交界デビューも兼ねたパーティーからずっとライモンドの周囲を探っていたバルツァーは今しがた入室してきた男に椅子をすすめた。
それに対し、ゲルツェンと名乗った銀色の髪の男は軍人然とした敬礼を一つし、勧められた椅子に座る。
「私が見た限り、かなり周囲を警戒なされてますね。ニアルコス様を遠ざけていることもあるのでしょうが、今のままライモンド様が警戒なさってくれるのであれば、我々が特別守る必要もないかと。今日もマヤ派の貴族を門前払いで追い返しておられました。」
ゲルツェンの話にバルツァーは自身の顎髭を軽く撫で、思考を巡らせる。
「ほかに気づいたことは?」
「グリマルディ家の、礼儀見習いとしてマヤ様の側付きになったライモンド殿下の世話係ですが、やはりライモンド殿下に影響を与えているのは彼女かと。どの貴族に対してもそうですが、対応が徹底しておられます。ライモンド殿下自身が直接他の貴族と話すことはないようですね。」
その言葉にバルツァーは渋い顔をする。
グリマルディ公爵家。マヤ派とカリーナ派ができた当初、つまりライモンド殿下が生まれたころから中立を宣言し続けていた公爵家だ。
かの家がどちらに転んだかによって、この派閥争いの勝敗は決するといっても過言ではないだろう。
特に、グリマルディ家の娘にライモンド殿下がなついているとするならば余計に。
この先激化するであろう貴族間の権力争いにバルツァーは一つため息をつき、その眉頭を軽くもむ。
「まったく、頭の痛い話だ。王位継承権など年功序列。たとえベルトランド様やアンドレア様方が我らカリーナ派の筆頭とはいえ、フェデリコ様の次に王太子となられるのはベルトランド様だ。その次はアンドレア様。まだ間にジョバンニ様とジャンカルロ様もいるのだぞ。」
たとえ能力的にライモンド様の方がそのいずれの兄たちより勝っていたとしても、長年の風習はそう簡単には覆らない。
「自らが権力を得るまで王族殺しでもするつもりか………っ。」
もしそのような強硬手段に打って出たところで、王が、家族を愛するアブラーモ様がそれを許すわけなどない。
そうなればライモンド殿下は貴族を扇動し、王太子を殺した世紀の大悪党として処刑され、チェントロの次期国王は西国へ婿入りしたオルランド様のご子息のうちの一人を養子に取ることになるだろう。
「ライモンド様は、ニアルコス様に剣術を習っています。それも、王族の必要とする最低限の知識を超えて、です。学園に入り、ベルトランド様のように根を下ろすのであればそれが一番いいのですが、もしも………。」
「あの獣人の跡を継ぐような、功績を上げれば、か………っ。」
これが国の貴族、それこそ自分の父がそうであったように己がライモンド様に剣術を教える立場になれたのであれば、事態はもっと楽だっただろう。
世界でもほんの一握りのSランク冒険者。
かつて世界最強の名をほしいままにした剣豪・ニアルコス。
しなやかな肉体から繰り出される鞭のような剣戟にかなうものはこの国にはいない。
これが一撃で大量虐殺できるような魔法を使う魔導士でなかっただけましと思えばいいのだろうか、ライモンド様が自我を持ち、牙をむくことが恐ろしい。
グリマルディ家の権力
剣豪・ニアルコスの武力
オストとチェントロの血を引くライモンド様自身の血統
さらには、ジャンカルロ様やジョバンニ様のような混ざり者の身に起こるいわゆる“不具合”の原因を解明したことで彼らの母君であるソフィア様の後ろ盾も得られる。
そうなればおのずとついてくるのがソフィア様の生家エルフの里を中心とするノトス連合王国の亜人たち。
どれか一つとっても厄介だと言わざるを得ないのに。
さらにはライモンド様自身の聡明さなど未知の領域だ。
「策を巡らせるぞ。我らバルツァー家がお守りしてきたチェントロの歴史を、ここで途絶えさせるわけにはいかない。」
「私はあなたに命を救われた身。あなたのためならば腕の一本や二本、ライモンド様にくれてやります。私をどうか、使ってください。ジェラルド様。」
まっすぐ自身を見つめ、そう訴えてくるゲルツェンにバルツァーは呆れた表情を浮かべた。
「お前………、さては今日ライモンド様に喧嘩を売ったな?腕を切り落とされそうにでもなったか?」
「本質を見るには手っ取り早いかと。ですが残念なことにライモンド様がグリマルディの娘を気に入っていることくらいしかわかりませんでしたが。」
「…………まったく、自分の身を削るような真似はよせとあれほど言っているだろう。それと、金の染髪粉がまだ髪に残っているぞ。詰めが甘いのは命取りだ。気をつけろよ、ラシード。」
「ええ、このラシード・ゲルツェン。ボッサの放蕩息子、コジーモを見事演じきって見せましょう。」




