17話
「ライ。わたくしのライモンド。」
ジャン兄様とジョバンニ兄様が帰ったあと、母上が俺にそう語りかける。
もう慣れた。
六年間も繰り返されてきたのだから、慣れないほうがおかしい。
「ライモンド。わたくしの可愛い子。必ず王太子になるのよ。」
「はい、母上。」
「あなたの父、アブラーモもいつか必ず気づくわ。あなたこそ、本当に王太子にふさわしいのだと。」
「はい、母上。」
爪の伸びた母上の細い指が俺の顔の上をすべり、俺の前髪を払う。
綺麗なその母上の顔はいつからこんなにもやつれてしまったのだろう。
「アブラーモによく似た瞳。わたくしによく似た髪。ライモンド。必ず王太子に、この国の王になりなさい。」
六年間、俺が言葉を話すようになってからずっと繰り返してきた言葉。
「はい、母上。」
俺はそう答える以外の言葉を知らない。
というより、この人を突き放すこともできず、関係ないと切り離すこともできず、そして愛を諦めることもできない。
「ライモンド。わたくしのライモンド。あなたは、あなただけはわたくしの側にいて頂戴ね。わたくしをひとりにしないで頂戴。」
「………はい、母上。」
普段は俺に王太子になりなさい、と言う母上だが、その実本心は寂しいだけなのだろう。
実際に俺が生まれたばかりの時に産後テンションでオストの黒髪とチェントロの緑の瞳を見て王太子に!!と言ってしまったのはちょっと軽率だったかもしれないが、そのせいで以降母上は周りから腫物のように扱われてきたため、いつも一人だったのだ。
俺がまだ小さいころは頻繁に俺に会うために部屋を訪れていた父上も、俺が大きくなるにしたがって、今までは俺が小さいからと父上が執務を多少ほっといても大目に見られていたのがなくなり、必然的に母上に会いに来ることも減った。
母上は父上の興味をひきたかったのだろう。
あるいは他者からの視線が欲しかった。
だから俺を王太子にしたかったのだろう。
今では母上と話をするのは俺か母上を盲信する数人の従者だけ。
いざ父上が母上に話をしに行くと、照れと緊張でツンツンしてしまいそのせいで父上は母上が自分を嫌っている、もしくはあまり好きではないと勘違いをしてしまう。
その結果余計に父上は母上のために会いに来る回数を減らし………………。
ツンデレの悪循環だ。
父上、それはツンデレと言うんです。母上は父上のこと好きですからもっと積極的に話して差し上げてください。
何というか、今年二十六歳になるはずなのに母上は少女っぽい。
誰にも相手をしてもらえないと拗ねて、唯一話し相手になる俺に依存しているのだ。
結婚するまでずっと蝶よ花よと愛されすべてを与えられ続けていた母上はきっと大人になる機会を逃し続けたのだろう。
尤も、何をもって大人とするのかにもよるが。
それでも人とのかかわり方を知らず、人への好意の示し方を知らず、そして諦めることもできず、ただただ私を愛してくれと、私を見てくれとわめき続けるそれはやはり子供っぽい。
「ライモンド。あなたはわたくしを愛しているわよね?下賤なやからがあなたはわたくしのことを愛していないというのよ?そんなことないわよね?」
「はい、母上。」
下賤だなんて言っているけど、これも素直になれないが故だろう。
自分を嫌う人を自分も嫌いだと思うことで自分の心を守っているのだ。
「そう、よね。そうよね!わたくしのライモンドがわたくしを嫌うわけないもの!」
そうよね、そうよね!と自分を納得させるように何度もつぶやく母上がやっと安心したように自身の寝室へと向かった。
「……………ライモンド様。ホットミルクでもお飲みになられますか?」
「マリア………。うん。お願い。」
ずっとそばに控えていたマリアがひとつ礼をして部屋を後にした。
マリアが退出したことによって誰もいなくなった自分の部屋で、体の中に詰めていた息を吐きだす。
恐らく母上と父上との間のすれ違いに気が付いているのは俺だけだろう。
それでもそのことをどちらにも伝えないのは卑怯だろうか。
でも言ったとしてどうなる?
たった六歳の子供の発言で変わるだろうか。
でも諦めて言葉を噤んで、それで自分に降りかかる全てを不幸だと嘆くのは違うだろう?
言葉に出さなきゃわからない、伝わらない。
「ライモンド様。失礼いたします。」
「ねえ、マリア。明日父上と話がしたいって言ったらなんとかなる?」
「はい?」
ホットミルクを持って部屋に入ってきたマリアが俺の言葉に目を白黒させた。




