137話
「では、君の心に無遠慮に踏み入ってしまった詫びに私の話をしようか」
隣で彼も俺から視線を外して同じように遠くを見つめて語り出した。
「…………民草の生活に影響がでているわけではないのだが、今オスト国内はいささか不安定でな」
サルムルトの凪いだ塩湖と同じように落ち着き払った声が紡ぐ。
「五大国は対等でなければならない。五大国の均衡が崩れれば、たちまち大陸は戦火に巻かれて魔物への対応が立ち行かなくなり人は滅びる。人同士が争わぬようにと神が精霊のベールによって国境を定めてくださったと言うのに、己の欲のために勢力を拡大し肥沃な大地を持つ他国を手中に収めるべきだと主張する阿呆がいる」
「あー……、どこにでもやぱり湧くものなんですね、そういうの。 チェントロでも七番目のオウジサマが生まれてから鬱陶しいのがいっぱい湧いてますし」
「やはり君はチェントロの、それも中央に近い生まれなのだな。チェントロとオストの間にある小国の田舎町出身だと聞いていたが、それにしては不自然すぎる」
「俺のこと調べたんですか?」
「これでもオスト唯一の正当な後継者だからな。だが、本来なら最低限危険でないことを確認する程度だが、君について深く探ったのは私の部下に欲しかったからな。まぁ、こればかりはめぐりあわせが悪かった」
その言葉にまぁ、そりゃそうかと納得する。
と同時に、それではなぜ俺を自身の腹心の部下にするような誘いをしてきたのか疑問に思う。
オスト現皇帝の妹である母上がオストの黒とチェントロの緑を継ぐ俺をチェントロの王太子にすると言ったあの発言は、十数年経つ今でなお波紋を起こし続けている。
俺はいわばその波紋の中心だ。生家であるチェントロ王家から、それもオスト皇家に引き抜くメリットがない。そんなことをすれば、また別の波紋を呼ぶだけだ。
「……じゃあ、俺の本当の出自はご存じで?」
「君の主人は随分あの七番目にご執心のようだな……?」
七番目、というのは第七王子、つまり俺のことだろう。
主人、ということは、現在高位貴族本家の当主が俺の主人だと思っているのか? だけど、高位貴族で俺に執心しているのなんているか?
マリア繋がりでグリマルディ? でも、あそこの当主はチェントロ王家に忠誠を誓ってこそいるが、俺と直接関係があるのはマリアくらいだ。
バルツァー将軍のところはレアンドラ嬢と婚約したとはいえ、別に俺に執心しているかというとそんなことはない。
しばらく数人の高位貴族を思い浮かべてみたものの、全く心当たりがない。
どこだ? 俺の偽の経歴の本来の出身になっている家名は。
しまったな。 従兄とこんな話をするなら留学に来る前にホフレに聞いておけばよか、………。
アッ! ホフレか!!
そういえば、ホフレもチェントロ五公爵の一つ、カッシネッリの当主だったな。
なるほど? ということはライはカッシネッリの分家出身という設定に?
………ホフレの願望を感じるなぁ。まぁ、ホフレならむしろ嬉々として偽とはいえ俺の血縁者になりたがるか。
ホフレなら分家筋の男児全員に俺の名前を付けそうまである。
というか、ホフレは母上のファンでもあるから、カッシネッリの分家にはマヤとエルフリーデに似た名前の女児がわんさかいそうだ。
狂気を感じるので確認したくない。
ぶるりと背筋に悪寒が走り、思わず腕を抱くと、従兄がちらりと視線を寄こした。
「いや、あの人の七番目の彼に対する執着を思い出して、ちょっと……」
「ああ。 あの家の分家筋は彼が当主になって以降子供の名前が顕著だからな……」
ひぇ、やっぱり。
いや、俺に忠実で非常に気の利く部下であることには違いないんだよ。
「君がなぜ平民に扮しているのかは聞かないほうがいいかい?」
「あー、そうしてもらえるとありがたいかな。なんせ七番目関連なんで」
本人なんで、間違いではない。
「そうか……。やはり、七番目の波紋は大きいな」
ひどく深刻そうな声色だ。
ホフレからの手紙で、俺が碌に表にも出ず、さらには王宮から離れたというのにいまだ俺を王太子にしようとするものがいるとは聞いてはいるが、それでも一時期よりもよほど落ち着いていると思っていたんだけど。
少し軽率なところがある母上も、態度が軟化したことにより正妃カリーナ様や他の側妃様に本当の意味で後宮に迎え入れらたことによって守られ、派閥の旗頭になることはもはやない。
俺もジャン兄様やジョン兄様が王宮から逃げ出すまでは餌でいるつもりだったが、兄様たちも母親である側妃ソフィア様の伝手を頼って王宮から出た今、レアンドラ嬢と婚約してカリーナ派であるバルツァー将軍の後ろ盾を得た。
母上が碌な後ろ盾もないのに俺を王太子にと推していた頃から比べたら、俺を持ち上げたい連中も動きようがないはずだが。
「チェントロ国王のアブラーモ様がフェデリコ様以外を王太子に指名するとも思えないけど。いくら高位貴族がはやし立てたところでこれまで表舞台に立ってこなかったライモンド様に平民貴族ともに納得させるだけの功績と人気があるとも思えないし」
俺を持ち上げたい連中が強硬手段に出られないように俺は最低限の公務しかしていないし、学園では貴族クラスではなく平民のクラスに入ったのだ。
貴族クラスに入ったとして、俺と友人関係になった貴族たちが勝手に俺の派閥を名乗って王宮を乱さないとも限らないしね。
まぁ、それでも学園を卒業して成人と認められたら俺も王族としての責務を果たすために表舞台に立たなきゃならない。
俺がどれだけ自分のやりたいことを主張したところで、俺がチェントロ王家とオスト皇室の血を引いているのは覆しようのない事実なわけで。その血にはそれなりの義務が付随する。
ならば、俺が自由にできるのはせいぜい学園を卒業するまでくらいだろう。
そして、今自由を許されているのは俺が学園卒業後にはきちんと王家の人間として責務を果たすと父に示しているからだ。
父上は俺が自由でいることによって生まれる弊害と国家の利益を天秤にかけて、たぶん学園を卒業してすぐにレアンドラ嬢と俺の結婚を進める。結婚式の準備期間を設けても卒業後数年の猶予はあるかもしれないが。
それでも十年以内に俺はバルツァー公爵家に婿入りし、次期公爵として将来はバルツァー将軍の後を継いで国防の要である軍を率いることが決まっている。
レアンドラ嬢のことは恋愛的な意味で好きとは言えないけれど、可愛いし素敵な女性だから人としては好ましい。彼女と共に支え合ってフェデリコ兄様や国のために尽くすことだって苦じゃない。
赤子のころに夢見たように自由な冒険者になれなさそうなことは残念に思うものの、王子教育を受け今生での立場と責任を思えば無理を通そうとは思わない。
「チェントロ国内はそうだろうね」
従兄殿の言葉に思考の海に沈んでいた意識を浮上させた。
「あの七番目をチェントロの王太子になどと、いったい誰がそんな世迷言を言い出したのかは知らないが、自分の立場を理解していない浅慮なものがそんな発言をするからチェントロではなくオストの皇太子にしようと画策する阿呆が湧く。それこそ、私を殺してでも、ね」
「は………?」
従兄殿の話に思わず言葉を失った。
「まぁ、現皇帝陛下の甥だから、私という存在が消えればありえん話ではないのが頭の痛いところでね。問題は、彼がチェントロの王国の実子である点だ。あの従弟が皇位につけば他の三国は二国の顔色窺わねばならんから、何かあった時に後手に回ることになる。これを画策している阿呆の思惑は碌に皇太子教育を受けていない従弟を傀儡にして甘い汁を吸うことだからさもありなんといったところか。五大国の一つが腐ればそれはたちまち大陸中に広がるだろうな」
ハッと吐き捨てるように嘲笑する従兄殿の言葉に思わず言葉を失った。




