134話
たくらみとも言えないようなたくらみを企てた後、すぐにでも村に立ち寄りたかったが今日は残念ながら次の村へはたどり着かないので予定していた野営地まで馬車を進めてそこで夜を明かすことになった。
夕食はいつものごとくウルリカさんが作ってくれたのだが、流石に水蟲を茹でた鍋をそのまま使いたくなかったのかヴァレンティナさんと一緒になって魔法で入念に洗っていた。
いや、申し訳ない。今度は別の鍋を使うか、別の方法で調理しよう。
特筆すべきこともなく終わった夕食の後、くちくなった腹を撫でながら一人塩湖に足を踏み入れる。
国境のベールを超えた瞬間一面に広がった空色の塩湖も美しかったが、今己の目の前にある景色も筆舌しがたい美しさだ。
凪いだままの塩湖に星空が映りこみ、上も下も星が瞬く。それが見渡す限り視界の果てまで続いており、まるで自分が宇宙を歩いているかのような錯覚に陥る。
セフェリノさんの大きな笑い声が遠くの方にかすかに聞こえるくらいの距離まで離れるとそれ以外は何も聞こえなくなった。
ここに来るまでの旅程で野営は何度かしたが、チェントロ国内にいた時は草葉に潜む虫の声や夜行性の鳥たち羽ばたく音。こちらを窺う動物の呼気。何もない草原であろうと何かしらの生き物の気配がしていたのに、サルムルトの夜は痛いくらい静かだった。
死の湖の名の通り、この塩湖には水蟲以外何もいない。
視線を空ではなく足元に落とし、水鏡に移る星々を眺める。
最初は俺の足に当たって波打っていた水面が徐々に落ち着いていき、その内自分自身もこの湖の一部になったかのように波紋が立たなくなった。
空に煌々と輝く月に照らされて、遠くの方に休んでいるのか山のような水蟲が微動だにせずじっとしているのが見えた。
こうしていると自分もこの寂しくも美しい自然の一部になったかのようだ。
しばらく空と湖に輝く星空をぼーっと眺めていると、自分以外のものが発する波紋に水面は揺れて星の輪郭が滲んだ。
ふと振り向くと、そこにいたのはいつもの皇太子然とした笑みを浮かべる従兄殿だった。
「君と二人で話がしたいと思ってね」
隣いいかい? なんて。断らせる気はさらさらないくせに。平民の俺が否と言えるはずもなく、もちろんですと笑顔を浮かべる。
実際従兄と話すのを断る理由もないしね。
アメットさんくらいは一緒にいるかと思ったのだが、ちらりと彼の後方に目を向けるとはるか後方。馬車や焚火の側にその影が見えた。
「私は、おそらく君が思っている以上に君のことを買っている」
人一人分開けて俺の横に並んで立った従兄殿が静かにそう切り出した。
「Aランク冒険者に空を見せることができる人間がこの世にどれだけいると思う」
「はい……?」
「もはや伝説となった英雄を除き、Sランクは冒険者のとれる称号の最高峰。世界全体で見ても片手の指で足りる程度しかいない」
知ってる。だから冒険者を辞めたキュリロス師匠は五大国の一つであるチェントロで爵位を賜り俺や兄様たちの剣術指南や警護に当たれたし、チェントロ五公爵の一つであるグリマルディ家のマリアと結婚できたのだ。
様々な亜人種によって構成されているノトス連合王国。対外的には魔法に長けており、周辺環境に左右されにくい長命種であるエルフが貴族、王族として名乗ってはいるものの、それ以外の種族は狩猟民族としての側面が大きい。
里や一族を治める族長や里長と名乗っており彼らは世界的にみると準貴族程度の扱いになっている。
獣人族灰猫の里の出身であるキュリロス師匠は灰猫の里の里長の家系ではなく、ただの里民。つまりは平民で、本来ならマリアと結婚できる地位にはない。それこそ、Sランクでなかったなら。
つまり、Sランクの冒険者とはある意味他の冒険者とは一線を画した存在なのだ。
現に、冒険者を退いたキュリロス師匠以外に今もなお生存を確認できているSランク相当の傑物は二人。
故郷のノトスを離れ北の雪山に住まうエルフの魔法使いと、東の火山地帯でドラゴンを斃したと言われているドワーフだ。
だから、Aランク冒険者というのは実質的に一般的な冒険者の到達し得る最高位と言えるだろう。
「俺がセフェリノさんに勝てたのは彼が俺を侮ってくれたことと、今までにない魔法を使ったからであって、その油断と新魔法がなければ確実に俺が負けてましたよ」
事実として、俺は特別剣術に秀でているわけでも魔法に秀でているわけでもない。
剣ならシローとアルトゥールが、魔法ならオリバーの方が俺よりもよっぽど優れている。
これが物語の中の話しなら他を圧倒する魔力や身体能力といったチートでも授けて貰えたんだろうが、残念ながら現実だ。
俺は俺が天才じゃないことを知っている。強いて言うなら前世の記憶があるが故の発想くらいじゃないだろうか。
実際人とエルフの間に生まれたジャン兄様の虚弱体質に関して遺伝に言及したのは俺だが、実際にその因果関係を研究して世に知らしめたのはベルトランド兄様だ。
付与魔法を魔力頼みの力技から詠唱魔法に発展させたのはオリバーだ。
付与魔法と剣術のコンビネーションはシローやアルトゥールがいなければ俺一人じゃどうにもならなかった。
謙遜でも何でもなく、学園に入ってから常々感じていることだ。
俺は特別優れているわけじゃない。たまたま俺のとる行動をとった人間が過去に居なかっただけで、五年後十年後知識が広まれば俺はその他大勢に埋没する程度の実力しかない。たとえ鍛錬をかかさなかったとしてもだ。




