132話
ここ鏡の湖サルムルトには死の湖がある。
美しい反面穀物は育たず、畜産を育てられる平地も少ない。
魔物は冒険者には人気のないカニ、いや。水蟲がメインで金にならない。
チェントロとオッキデンスはこの国に街道を敷き、その管理を任せる代わりにサルムルトへ食料などの支援を送っている。
それが駄目だとは言わない。事実、この世界は五大国を中心とした協力体制を築きあげ、何百年もの間今日まで世界大戦を引き起こすことなく平和を保ってきたのだから。
だが、自国存続の命綱を他国に握られている状況は国として決していい状態とは言えないのも事実で。
できればキヌア以外にこの国の人達が自分たちで育て得ることのできる糧があればと思う。
『俺』からすれば、このカニに似たポートゥニという水蟲はその糧に十分なりうる代物だと思っている。
「道中の村か街に持っていくためにあと何匹か狩りましょうか?」
手っ取り早くこれが食べられるもので、さらには美味しいのだとサルムルトの人たちが知ればいいのではないかと思いそう声をかければ、従兄殿とイバニェス伯爵は顔を見合わせて難しい顔をする。
「私はオストとオッキデンスの国交の一環として留学に赴く身だ。その道中とはいえ、私が動けばオストによるテコ入れかとチェントロとオッキデンス王家はいい顔をしないだろう」
「サルムルトへの支援はオッキデンス国の政策の一つですからね。いち伯爵である私が動いては王家の顔を潰すことになりかねません」
と、いうことはカニ、もとい水蟲が食べられるってイバニェス伯爵がオルランド兄様かフランキスカ義姉様に上奏して、それを会議で討論して、さらにそれをサルムルトの政府に提案する必要がある、と。
しかもそれをサルムルトの貴族たちが了承するかもわからない。
カニの身に毒はないし美味いけど、長年死の湖と信じていた塩湖産の魔物。
食に困る平民はそれが食べられるとわかれば手を出すかもしれないが、小国とはいえ特権階級の貴族たちはわざわざそんなゲテモノを食べなくても食に困ることはないだろう。
それ故に水蟲を食用とするのに抵抗感が拭えない可能性が高い。
だから、サルムルトの貴族たちがカニ食を認めるのには話題と流行が必要になってくる。
小国の貴族たちは大国の貴族、特に王族や皇族に憧れを持つものだ。 五大国で流行ったものは流通の過程で途中途中の小国でも流行り、それが波紋状に世界に広がっていく。
五大国の一つ、オスト帝国の皇太子である従兄殿が進んでカニを食べれば元が水蟲であることも相まって相当話題になるだろう。
そうすれば従兄殿に習ってサルムルトの貴族たちや、それ以外の甲殻類の魔物の生息する小国の貴族たちも水蟲を食べようとし始めるだろうが、それをオスト帝国の貴族たちが認めるとは思わない。
自由にさせてもらえている七番目の王子である俺とは違い、従兄殿は次期皇帝となる皇太子だ。
フェデリコ兄様がそうであるように、若い貴族子息たちが仕え支えたいと思えるような人物でなければならない。
高潔さか傲慢さかカリスマ性か頭の良さか、求めるものや求められるものは国と時代によってかわりはすれど、少なくとも今のオスト帝国に必要なのは水蟲と呼ぶゲテモノを喰らうことではないのは確かだろう。
俺になる前の『俺』は特権階級じゃなかった。と、思う。
すでに『俺』の記憶は俺の脳内からぽろぽろと零れ落ち、思い出そうとしなければ思い出すことも少なくなってきた。
それでも、幼少期にこの世界の文化や価値観に触れる前に脳に刻み込まれた記憶に付随する価値観や視点というものは失われることはない。
だからこそ、たまに俺の身分が負うべき責任や義務を窮屈に感じてしまう。
俺がまっさらな状態で生まれていればこのように重荷に感じることはなかっただろう。
感じたとしても、もっとましなものだったかもしれない。もしくは、王族に生まれたのだからともっと責任と義務を求められるような、皆に認められるような。それこそ王太子になりたいと望んだかもしれないな。
なんて、考えてもどうしようもないか。
少なくとも、今の『俺』の記憶を持って生まれた俺からすると、母上の発言のせいで子供の頃からマリアとキュリロス師匠に押し付けられる形で貴族社会から半隔離を受けられて幸運だったかもしれない。
そうじゃなきゃ、王族としてもっとお茶会だのパーティーだのと他の貴族と交流を重ねなければならなかった。
そうすれば、今以上に窮屈さと肩にのしかかる重荷を重圧に感じてつぶれてしまっていたかも。
でも幸い俺は、自分の身を守るためにも王宮に不和を広げないためにも最低限の社交だけで許されていた。
外出などは他の兄弟と比べて制限されていたが、周りにマリアとキュリロス師匠しかいなかったから自分自身の行動に関してはかなり自由にできた。
学園も貴族コースではなく平民コースにして正解だったなと思うくらいには今の生活が楽しいし。
そうじゃなきゃ、アルトゥールのようにまっすぐ俺にぶつかってくる友人も、シローのように俺を他の子と同じようにしかる友人も、オリバーのように二人で寝不足になるくらい魔法について語り合える友人にも出会えなかった。
そこまで考えて、不意に俺と目の前の従兄の王侯貴族としての差をまざまざと見せつけられたような気がした。
フェデリコ兄様が王太子として実績を積み俺を持ち上げる者がいなくなるまでか、俺自身が臣籍降下するまで目立ってはいけない。
いや、俺としては学園でも自由にできるから全然かまわないどころか都合がいいのだけれど。
実際平民に扮して学園に通う俺とは違い、従兄には行動一つに責任が伴い自分の与える影響を考えなければならない。
この色ゆえに目立たず生きなければならなかった俺とはちがい、その色ゆえに国を、世界を率いるために模範的でいなければならない従兄。
(羨ましいわけじゃない。けど、なんとなく、もやもやする)
まあ、今更従兄のように品行方正、模範たれと言われても困るけど。




