131話
「体質的に合わないこともあるかもしれないので最初は少しからどうぞ」
俺の周りでは聞いたことないけど、アレルギーとかあったら怖いしね。
でも、仮に発作が起きたとしても、医療魔法の中にはそういう症状を抑える魔法もあるらしいし、アメットさんがいるかぎり大丈夫だろう。
俺の言葉に従兄殿もイバニェス伯爵も神妙な顔でうなずいてから、白と赤のコントラストの美しいカニの身をしばらくじっと見つめてから迷うことなくカニの身を口に運んだ。
「! こ、れは」
「……これが水辺の厄介者の味とは思えませんな」
一口目を飲み込むと下品に見えないように、しかし夢中になって二口三口と口に運ぶ。
「クラーキー種もこのような味なのだろうか……」
「ふむ……。ゲテモノと言えばゲテモノですが、これほど美味であれば何もない地域の新たな特産品にもなり得ますね」
「冒険者もそれを理由に狩ってくれる人が増えるかもしれない」
セフェリノさんが二本目のカニ脚に手を伸ばしたのを見て、俺は追加でカニの脚を取りに行く。
それを再び鍋に投入すると、遠くからこちらを窺っていたウルリカさんが近づいてきた。
「私もご相伴に預かってもよろしいでしょうか」
「え、ウルリカ様も召し上がるんですか」
「ヴィルヘルム様があれほど美味しそうにお召し上がりになられておりますので。従者として主の好みの味は把握しておきたいのです」
「あー、なるほど? えっと、では。 はい。 どうぞ」
努めて無表情を装っているが、彼女の顔には明らかに嫌悪が浮かんでいる。
本当に、ほんっとうにいやいやと言った様子でウルリカさんはカニの身をほんの少し齧った。
「…………味は、まぁ」
「ははっ……」
「食材としてなら、まぁ……。 私は遠慮したいですが……、ヴィルヘルム様が召し上がりたいのであれば……」
この世界で食べ馴染みのない、むしろゲテモノ扱いのカニ、いや、水蟲を食べるのだからウルリカさんの反応はもっともだ。
俺だって、ハチノコやイナゴ、セミを急に食べろと言われたらそれが美味しいかどうかはさておき躊躇するもの。
セミとかエビみたいな味がして美味しいらしいけど、セミをエビの代替品として食べようとは思えない。
でも、どうだろう。魔物が跋扈していて未開の土地も多いから、都心部から離れると昆虫食文化もありそうなものだけど。
この世界ではどうなのだろうかと首をひねりながらみんなの顔を見回す。
美味しそうにむしゃむしゃと食べているのはセフェリノさんとイバニェス伯爵と従兄殿。 ヴァレンティナさん、ウルリカさん、アメットさんは人が食べているところを見るのも嫌なのか目を逸らしている。
まぁ、言ってもここにいるのは裕福な上流階級出身の人が多いからなぁ。
爵位を持っているイバニェス伯爵、アメットさん、ウルリカさん。一国の皇太子である従兄殿。 セフェリノさんやバレンティナさんも大きな農地を持つ大地主だから、冒険者一本で食ってる一般人よりもよっぽど裕福と言えるだろう。
とっちらかりはじめた思考を一度頭を振ってリセットし、どことなく楽しそうにカニの身を食む従兄殿に視線を向ける。
それにしても、従兄殿は俺が思っていたよりもずいぶん好奇心旺盛で肝の据わった愉快な人なんだな。
彼の最初の印象はなかなかに薄い。
なにせ、生まれてから王宮内が落ち着かなかったからチェントロの外に出ることはおろか、王宮からもほとんど出たことがなかった俺にとって世界はとても狭いものだった。
そんな中で俺の周りにいてくれたのは、誰も彼も俺に友好的な者が多かった。
王宮内を歩いていて不意に囁かれる陰口を耳にすることはあっても、それをわざと俺の前で見せるような家臣や使用人はいない。
本当に幼い頃、俺の周りにジョン兄様すらいなかった頃。ジャン兄様とキュリロス師匠とマリアしかいなかった時。ささやかれる俺や母上への悪評に悩んだこともある。
その内ジョン兄様が俺のことをジャン兄様と同じ兄弟だと認めて愛してくれて、他の兄様たちや妃様たちも俺のことを大切にしてくれていると気づいて実感し始めてからは、俺に向けられる悪感情にはあえて鈍感であろうとした。
俺を利用しようと近づいてくる人たちには敏感であったけど。俺のことを何も知らない有象無象が遠くでささやき合っているのは気にしないようになっていった。
そんな折、パーティー会場で俺に向けられたあの赤い瞳は、きっと従兄殿が黒髪でなければ記憶にも残らなかっただろう。
そのくらい興味がなかったから、従兄殿の印象はあの黒髪から覗く赤い瞳くらいしかなかった。
だから従兄殿の印象は、俺の留学が決まってから接してきた彼の要素の方が強い。
平民の俺に対してもきちんと対応してくれる皇族らしい懐が広く、同時に貴族らしい怖さを持つ人。
そして、人を、国を、率いるのにふさわしい不遜さと寛容さを持つ人だった。
だが、畏敬の念を抱かざるを得ない近寄りがたい彼の印象もこの数分で一気に親しみやすさも感じるようになった。
「願わくば、これがこの国の名物になってくれればいいものだが」
「そうですね。 我が国でも周辺小国への援助を行ってはいますが、自立できるのであればそちらのほうが互いのためになりましょう」
カニの身を食べながら再びイバニェス伯爵と話しだした従兄殿のことを見る。
この世界は不自然な自然の国境によって五つの大国と九十九の小国でできている。
朝の来ない夜の国、マグマの噴き出る炎の国、常に雨が吹きすさぶ国、洞窟の中に住まざるを得ない岩窟の国。
ここ水鏡の国もそうだが、すべての小国が畜産や農耕に向いているわけではない。
魔石を持っている強い魔物の生息する国であれば、それを目当てに冒険者や人が集まり需要が生まれ国として経済を回して存続することができる。
しかし、すべての小国がそうではない。むしろ周囲からの支援を必要とする国のほうが多い。




