130話
「……坊主、本当に食うのかよぅ」
鍋に空気中の水を集めて満たし、火にかけてカニの足の調理を始めた俺を見てセフェリノさんがおっかなびっくり聞いてくる。
「食べますよー」
ぐつぐつと茹だる湯の中に、取れたての大きなカニのハサミをぶち込む。暗褐色のハサミが湯の中を躍りながら徐々に赤く変わっていく。
旅中の食事を担当してくれるウルリカさんやカニ、いや、水蟲か。水蟲が苦手なヴァレンティナさんも顔を顰めつつも気にはなるのか遠目にこちらを窺っている。
茹でているカニの殻が綺麗な赤に染まり、カニのいい香りが漂ってくる。
寄生虫などが怖いのでしっかり火を通してから慎重に鍋からハサミを取り出した。火傷に気を付けながらカニの殻を剥くと、中からぷりっぷりの身があらわれた。
「お、おおぅ……。確かに、匂いはうまそうだけどよぅ……」
「……い、いただきます」
全員に見守られつつ恐る恐る口に含むと、途端に広がるカニのうまみ。
なんという味の濃さ! 甲殻類特有の甘みを味わいつつ、鼻を抜ける潮の香りを楽しむ。これだけ大きなカニの、さらによく動かすハサミの部分だからか、歯を押し返すほどの弾力がある。とはいえ、筋張っていたり硬すぎたりするわけでもない。
夢中になってカニを食べていると、いつの間にか馬車を出てきていたイバニェス伯爵とともに従兄殿がそばに近づいてきていた。
「あー……、ライ? それは美味しいのかい?」
「最高にうまい……ッ」
この世界に転生して早十数年。
危険な魔物に海を支配されているため海産物が貴重なこの世界において、俺にとって人生初の海産物がめっちゃうまい。
いや、塩湖産だから海産物と言っていいのかは微妙なところだけど。
川や湖で魚は獲れるものの、輸送手段が発達しているわけではないので地産地消でほとんど市場に出回らない。だから王宮にいた時も肉料理が多かった。
それでも世界の流通の中心地となるチェントロ王国は他の国よりも魚介類を食べられる機会は多い。
実際、王宮でも肉料理よりも頻度は低いとはいえ食事のテーブルに並ぶことはあったし、その恩恵を受けて学園の食堂でもたまに魚介類がメニューに並ぶ。
とはいえ前世海に囲まれた島国出身の『俺』の感覚からすると物足りなく。特にずっと甲殻類の味に飢えていたこともあり、茹でていた分はすぐにぺろりと食べてしまった。
だがしかし、幸運なことにあの大きなカニの身はまだまだ残っている。流石にあの甲羅を剥いでカニ味噌を食べるのは大変なので今回は見逃すが、脚だけでもまだまだ量がある。
早速土壁の中に小走りで向かい、脚をもいで鍋に入れやすいように関節の部分で切ったものを数本持ってきて鍋にぶち込んだ。
「…………なぁ、坊主。 それほんとにうめぇのか?」
食べたことはなくともカニの出汁の匂いに食欲をそそられたのか、セフェリノさんがごくりと唾を飲み込みつつそう聞いてきた。
だから自信を持って答えよう。
「とてもうまいです」
「……そんなにかぁ」
追加で茹でた分の殻が赤く染まり、出汁の香りも強くなる。視線が鍋にくぎ付けだ。
「……食べてみますか?」
「…………おぅ」
小さく返事をしたセフェリノさんに茹でたてのカニの脚を差し出すと、素手でパキョリと殻を割ってカニの身を露わにさせる。ふわりと良い匂いが湯気と共に立ち上り、セフェリノさんがごくりと喉を鳴らした。
震える手でゆっくりカニを口に運ぶセフェリノさんを、従兄殿やイバニェス伯爵たちもどこか緊張した様子で見守っていた。
ぱくりとセフェリノさんがカニの身を口に含んだ瞬間、目を見開いてぱっと顔を輝かせた。
「うめぇ……ッ」
呆然と、まるで信じられないと言わんばかりの表情で白く輝くカニの身を見つめるセフェリノさん。それからまた一口、二口と口にする。食べ進めれば進めるほどに、先ほどまでの慎重さはなんだったのかと言いたくなるほど夢中でカニの身を貪り食い始めた。
俺もそれを横目に鍋からカニを取り出して再び食べ始めた。
それをじっと見ていた従兄殿が、縋るようにキラキラと目を輝かせてアメットさんの方を見る。
「……アメット」
「いや、しかし」
「アメット……っ」
魔物、それも人によっては生理的嫌悪を催す水蟲。いや、カニの身だ。
アメットさん的には食べてほしくないのだろうが、従兄殿至上主義的な側面が散見されるアメットさんに従兄殿の要求を却下できるわけもなく。
「…………まずは、私が毒見をいたします」
長い熟考の末絞り出されたその言葉に従兄殿の顔が心底嬉しそうにぱぁっと明るくなるものの、一方毒見を申し出たアメットさんは表情は固い。
とりあえず話に決着はついたようなので何も言わずに剥いたカニの身をアメットさんに差し出すと、まるで自決用の短刀を受け取るような物々しい空気を醸し出しながら受け取り、そのまま不本意ですと言わんばかりの表情でゆっくり口に含んだ。
「……………」
「アメット」
「ど、どうですか?」
しばらく指先程度のかけらをもごもごと口を動かし食べていたアメットさんが眉間にぎゅっと皺を寄せた表情のままごくりとカニの身を飲み込んだ。
今この場にいる男性陣全員が固唾をのんでそれを見守る。
「………美味しい、です」
毒もありません。と続けたアメットさんに従兄殿の表情が再びパッと輝いた。
俺はこれをカニだと思って食べているから別段忌避感もないが、水蟲として認識している彼らにとってこれは紛れもないゲテモノ食である。俺はアメットさんの忠誠心に拍手を送りたい。
「では、私も貰っても構わないか?」
「ぜひ私も食べてみたいものです」
だというのに、従兄殿とイバニェス伯爵はむしろ興味津々といった様子だ。
好奇心の塊か?
「まだまだありますし、どうぞ」
だがしかし、俺としてはカニ好きが増えてカニの流通が始まったほうが嬉しいので嬉々として茹で上がっているカニの脚を食べやすいように殻を剥いてから二人に差し出した。




