127話
サルムルトに入ってすぐは、あまりの絶景に景色を眺めていた俺だったが、そのまましばらく走ると噂に聞いていた魔物の水蟲、ポートゥニと対敵した。
横に長い黄褐色の甲羅に黒くて丸い目が二つ。周囲には短い棘のような触手のようなものと毛がびっしりと生えている。
顔の前面を守るように生えた青みがかったハサミはごつごつしており、その後ろに並ぶ四対八本の脚の先は鋭い爪のようになっている。
「いや、これカニでは??」
「イヤァァァーッ!!気持ち悪い!!ちょっと、セフェリノ!早く何とかして頂戴!」
「つってもよぅ!俺じゃ近づくのがやっとだってぇ!」
「ライ君!ボウヤ!男なら何とかして頂戴!」
「え、えぇぇ。いや、やりますけど。え、これ……カニでは?」
全然虫じゃない。昆虫じゃない。
いや、虫に見えないこともないんだろうけど、カニじゃん。甲殻類じゃん。
でっかいけどさ。
甲羅の部分がワンボックスカーほどの大きさがある巨大なカニを目の前に一人困惑する俺をよそに、セフェリノさんが斧を構えて前に出た。
「えーと、ヴァレンティナさん。俺とセフェリノさんであのカニの動き止めるんで、最後とどめだけお願いしてもいいですか?」
「…………こっちに近づけたらいくらボウヤといえど殴るからね」
「はぁい」
俺としてはドキドキわくわくの魔物との初戦闘がただの巨大ガニであることが本当に解せない気持ちでいっぱいだ。
重い足取りでセフェリノさんの側に行く。
「セフェリノさん。とりあえず筋力強化と俊足の付与魔法かけるんで、あのカニの注意を引いてもらっていいですか?その隙に俺が後ろから回り込むんで」
「おぉ!そのくらい朝飯前よぅ!」
「俺はヘイト管理って呼んでるんですけど、基本的に防御と回避優先で、俺とかヴァレンティナさんの方にカニの注意が向きそうになったら攻撃入れて注意引き付けてください」
「ふぅん?よくわかんねぇなぁ。ま、水蟲相手にちっとでも楽できるんならそれでいいけど、よぅッ!」
ダッと走り出したセフェリノさんにカニの注意が向いたのを確認してからアメットさんの方を向く。
「アメット様。スクロール魔法の土壁って、空中に展開した後って下に落ちますか?それとも空中に浮いたままですか?」
「……空中浮遊や状態固定の魔法式は組み込んでないから落ちるだろうな」
「じゃあ、それあのカニの甲羅の上に展開させていいですか?」
「は?」
甲羅の幅が約五メートルの巨大ガニ。だったら十メートル四方の土壁の中に十分納まりきる大きさだ。
たとえ発動位置がずれたとしても、そこまで移動が速くないあのカニが土壁の有効範囲外に出ることはないだろうし、甲羅や足の上に土壁が乗っかってくれるんだったら動きの阻害もできるしね
属性付与の障壁を謳っているなら半端な攻撃じゃ壊れないだろうから、捕らえた後はゆっくり倒していけばいい。
「……ヴィルヘルム様に使用許可をいただいてこよう」
「はぁい」
そう言ってアメットさんは従兄殿の乗る馬車に近づき窓をノックする。
わずかに開いた窓越しに数言葉交わした後、馬車の扉が開いて従兄殿が降りてきた。
「ライ。ポートゥニ討伐にスクロールを使いたいんだって?」
「はい。見たところ動きも鈍いですし、セフェリノさん曰く厄介なのは甲羅の硬さとハサミだけらしいですし。移動は横移動が基本、ハサミの可動域的に見ても背後から近づけば比較的安全にスクロールを発動させられます。発動さえしてしまえば、後は魔法で足を切り落すでも地面から槍を生成するでもやりたい放題ですし」
「使いようによっては魔物の足止めのみじゃなく討伐の補助道具としても使えるのか……」
話を聞く限り、元々従兄殿やスクロール研究の研究者たちが想定していた属性障壁の使い道は攻撃の為ではなく守りの為だった。
でも、この属性障壁って使い道次第では十分攻撃に使えるよねって思ってたんだよね。
「土魔法のスクロールは汎用性高いと思いますよ。囲いじゃなくて一直線の壁にすればスタンピード時の防御柵にもなるし、戦闘以外だと河川が氾濫したときの防波堤にも使えますし」
他にもいろんなシチュエーションで使えそうだよね。
「……なるほど。軍事利用を前提に考えていたが、そうか……。民の為にも使えるな」
そう言ったっきり一人で考え込み始めてしまった従兄殿。
考え込むのは構わないが、今セフェリノさん一人にあのカニの相手を任せているから早く使っていいのかどうかだけでも返事が欲しい。
無理なら無理で別の策考えなきゃいけないし。
数十秒ほど固まっていた従兄殿だが、戦況が気になってそわそわしている俺に気付いて申し訳なさそうな苦笑いを浮かべた。
「あぁ、すまない。スクロールの使用だったね。水蟲はオストにも別種がいる。今回の戦闘で土の障壁スクロールがうまく作用すれば帝国軍にとっても大きな利益となる。やってみるといい」
「ありがとうございます!」




