125話
「そう言えば、オッキデンスに入るまでの間に他の小国を経由しますよね?今回経由するのはどういう国なんですか?」
「チェントロの学園都市から一週間ほどで鏡の湖サルムルトの国境に着く。そこからさらに十日ほど移動して瀑布の谷カタラータの国境だ。カタラータを五日進めばようやくオッキデンスの国境といったところかな」
イバニェス伯爵の言葉にざっと距離を計算する。
馬車の時速がだいたい五キロ。一日の移動距離を五十~六十キロメートルとすると、千二百キロメートル前後といったところだろうか。
(この惑星、地球よりもずっと小さいんだな)
たしか東京大阪間がだいたい五百キロメートルだったはず。
日本列島の端から端までの距離をおよそ二千五百キロメートルくらいと想定すると、この世界の中心であるチェントロから西のオッキデンスまでの距離は日本列島の半分程度しかないことになる。
世界中統一言語なのは地球よりもずっと狭い世界だからかもしれないな。
世界を股にかける冒険者がいることもそれが理由の一つかもしれない。
「少年はサルムルトやカタラータを訪れるのは初めてかな?」
「はい。この歳になるまであまり外に行く機会もなかったものですから」
「そうか、サルムルトは特に栄えている国ではないが、とても美しくそして過酷なことで有名なのだ。 滅多に風は吹かないし雨も降らない。植物は育たず、そのため動物も少ない。観光によって成り立っているような国だが、その分景色は美しい」
「あぁ、私も話には聞いたことがある。水鏡に空が映り、まるで天空にいるようだと」
「その通りです、ヴィルヘルム殿下。白い湖底にうっすらと張った水。波のない水面がまるで鏡のように空を地面に映す。魔魚も生きられないような死の湖なので湖中に入ることはできませんが、もしその中心に立つことができたのならどれほど幻想的か」
サルムルトという国についてあまり知らないが、今の説明からひとつ思い浮かぶとしたら。
「なるほど、いわゆる塩湖ってやつかなぁ」
湖底が白いのは塩の結晶だから。
植物が育たないのは高濃度の塩による塩害で、魔魚すら生息できないのも塩分濃度が高いから。
地球でも有名な絶景地として有名なウユニ塩湖があったが、その湖岸では塩害のためかサボテンみたいな強い植物しか生えていなかった気がするし、魔魚すら生息できないのも死海と同じ要領だろう。
一人納得して頷いていると、視線が自分に集まっていることに気が付いた。
「あの?何ですか?」
「少年、えんことはなんだろうか」
「は?」
イバニェス伯爵の言葉に思わず素で返してしまった。
「浅学で恥ずかしいんだが、えんこというものに聞き覚えがなくてね。先ほど見せてくれた魔法もそうだが、少年の発想はなかなかに面白い。何か気付いたことがあるなら聞かせてはくれないか」
「えっと、塩湖っていうのは塩が含まれた水でできた湖のことです」
「サルムルトのそれが塩水でできたただの湖だと?」
「いえ、俺も実際に目にしたわけではないのではっきりそうだとは言えませんが、可能性はあるかなぁ、と」
「だが、ライ。ただの塩水ならば魚や魔魚でも生きていけるはずだ。ただの魚が死んでしまうのはしょうがないが、生命力が桁違いに強い魔魚ですら死ぬ死の湖だと聞く。同じ塩水でできている海では魚も魔魚も生きていけるのだから、サルムルトの死の湖には毒が含まれているのではないのか?」
「あー、えっと。なんて説明すればいいのかな……」
『俺』は理系というよりどちらかと言えば文系の人間だったから、なんて説明したらいいのか必死に頭の中で言葉を探す。
たしか、と前世で聞きかじった死海の情報を整理しながら言葉にしていく。
「そのサルムルトにある湖が本当に塩湖なら、海水よりもずっと塩分濃度が高いはずなんですよ」
水が流れ出ていく川がなく、比較的高温で乾燥した内陸の湖。
どういう理由で塩分がその場所に濃縮されることになったのかまでは知らないが、流れ込むばかりで流れ出ることはなく、蒸発によって塩は残って水分だけ蒸発していったとしたら。湖底が白いらしいので、すでにその塩湖は飽和状態にあるとみてもいい。
死海の塩分濃度は海水の約10倍とかだったはず。
「で、塩っていうか、液体の性質なんですけど、濃度の低い方から高い方に流れていって均一にしようとするんです。人も魚も体液には塩分が含まれてるんですけど、その体内の塩分濃度と塩湖中の塩分濃度の差が激しすぎて、それを均一にしようとする液体の性質のせいで体内から水分が奪われるから脱水症状を起こして死んでしまう、だったかな?」
正直うまく説明できた気がしないが、これ以上かみ砕いた説明ができない。
『俺』の知識の限界だ。
「……少年の説明がもし本当なのだとしたら、サルムルトに住む国民にとってはこの上ない情報だろうな」
「そうだな。何しろ塩を作れる国は大陸広しと言えどそう多くない」
魔物によって人々の活動できる区域が限られているように、海もまた人間が活動できる場所は限られている。
大陸の東側は切り立った崖が多く、海に下りること自体が困難だ。北の海には海竜の巣があり、海竜に追われた力の強い魔物が海岸近くまでやってくる。
オッキデンスの南西側の海には、高温の巨体を持つ伝説の海竜レヴィアタンがいるとされており、温暖で豊かな海域だが、同時にそれを食い物にする魔物も多い。
南東は怪物クラーケンの縄張りで、水中を得意とする有鱗族の亜人も近づかない。
そういった危険な地域を除けばオッキデンスの北西にある島との間の内海か、もしくはクラーケンとレヴィアタンの縄張りの間にある海岸くらいしか人の活動できる海はないそうだ。
そんな世界だから塩を作ることによって得られる利益は大きく、海に面した国々は危険な海域であっても塩づくりに力を注ぐ。そんな各国の努力によってこの世界の塩の供給は保たれているのだ。
「だが、確認しようにもどう確認する。死の湖が塩湖とやらならばいいが、もし本当に毒を含んだ水だった場合迂闊に試すこともできまい」
「湖水に真水を加えて海水で生きる魚でも入れてみますか?」
「オッキデンスまでの距離を考えると、それが一番いいか」
そう言って従兄殿とイバニェス伯爵が真面目な話をしだしてしまった。
やっべぇ、これでサルムルトの死の湖とやらが塩湖じゃなかったらどうしよう。
というか。
「俺は難しいこと考えずに普通に観光がしたいのに……」
思いがけず従兄殿とイバニェス伯爵の公務になりそうな予感にそうつぶやくと、ぽんっと両肩を叩かれた。
俺の左右を見てみれば、話しの途中から専門外の方向に会話が進んで置いてけぼりをくらっていたセフェリノさんとヴァレンティナさんがグッと親指を立てていた。
「俺に難しい話はわかんねぇよぅ」
「アタシも、トウモロコシと魔法以外はさっぱりよ!」
「ど、同士~ッ!」
『俺』の時の知識があるからと言って、俺は別に頭良くないんだって!




