119話
チェントロからオッキデンスまでは馬車でおよそひと月。
馬車の移動速度はおよそ時速五キロなので、一日に進める距離はせいぜい五十キロほど。
車や電車、飛行機といった交通手段を知る身からすると、ひどくゆっくりとしたもどかしい旅路に思えるが、この世界の環境を思えば現状最適な交通手段であることがわかる。
そも、この世界の機械技術はそこまで進んでいないというわけでもない。
ただ、生活に魔法が根付いており、冒険者という職業が正式に認められるほどに街の外に危険な魔物がはびこっているため、地球とは全く違う発展を見せているのである。
地球では前時代的な乗り物である馬車だが、魔物がはびこる野を駆けるには最適なのだ。
魔法や武道を学園などできちんと学んだ上で複数人で対処しなければ危険な魔物は、鉄などの一般的な金属板であれば容易に破損させることができる。
その上魔法を駆使して野を駆る魔物から速さで逃げ切ることも難しく、たとえ距離をとれたとしても相手も遠距離から魔法で攻撃してくるため、街と街の間を移動するには魔物との戦闘を避けて通れないのだ。
魔物との戦闘が発生した際、車は操り手がいなければ逃げることもできないが、馬車なら手綱を切ってやれば勝手に逃げてくれる。
きちんと訓練さえしていれば戦闘後指笛などで馬を呼び寄せて再び旅を続けることもできるだろうが、車はエンジンをつぶされてしまえばその場で修理することも難しい。
結局、流行らないのは流行らないなりの、廃れないのは廃れないなりの理由があると言うわけだ。
移動手段としてもう一つ挙げられるのは魔方陣による空間転移だが、今のところ短距離はともかく長距離の移動は成功していない。
せいぜい数十メートル先に飛ぶのが限度である。とうてい街から街への移動に使える代物ではない。
「ボウヤ、何か面白いものでも見えるのかしら?」
がたがたと揺れる幌馬車からぼんやりと周りの景色を眺めていると、ヴァレンティナさんがおかしそうにクスクスと笑いながら俺にそう聞いてきた。
「いえ、あまりこうやって外に出ることがなかったので」
「あん?坊主の故郷はオストの方だろ?中央に来る時はどうしたんだぁ?」
「学園都市までは兄が付き添ってくれて、ずっと話をしていたので……。あまり周りを見てなかったんですよ」
「ほぉん。魔物に襲われなかったのか?」
「護衛の方がいらっしゃったので」
もちろんこの話は嘘だ。実際には王宮から学園都市までの間、舗装された道を馬車で一日ベルトランド兄様と移動しただけである。
魔物の出没する地域に出るのも、長距離移動するのも初めてだ。
「あんなすごい魔法使えるくせに、そわそわしちゃってかっわいーい!」
ヴァレンティナさんがからかうように俺のほっぺをつんつんと突いてくるのをやんわり手で制してから、再び外の景色に目を向けた。
俺の世界は広いようでずっと狭い。
生まれてから学園に来るまで王宮から出ることすらほとんどなかった。
学園でも、結局魔法の研究や新しい戦法を試すのが楽しくて、他の学生のように外で魔物と戦おうと考えたことすらなかった。
だからか、心臓のあたりがずっとそわそわとして落ち着かない。妙にふわふわとして地に足がついていない感じがする。
「坊主」
「ん、なんですか?セフェリノさん」
俺が浮かれていることを感じてか、セフェリノさんが真面目な声色で話しかけてきた。
「これからウチの国に行くまでの道中にゃぁ必ず魔物が出てくるはずだ。んで、俺とティナが魔物を相手取るわけだけどよぉ。皇太子殿下にゃイバニェス卿がいらっしゃる。でも、お前にゃそばで守ってくれる奴はいねぇ」
何と言えばいいのか、と言葉を探す様子のセフェリノさん。
しばらく言葉を探したが見つからず、それをごまかすように俺の頭を雑に撫でた。
「うわっ」
「クロヴィスからよぉ、冒険者としてやっていきたがってるたぁ聞いたが、無茶だけはすんじゃねぇぞ」
「ちょっ、くび、痛いですッ!」
「ブロッカーボアみてぇに後先考えず突っ込んでくのは若ぇやつの特権だけどよぉ、命あっての物種だからなぁ」
「わかっ、わかりましたから!首が痛いッ!」
「わっはっはっはっは!そうかそうか!」
「いいからっ!手をッ、どけてくださいッ!!」
「あっはっはっはっはっは!!」




