116話
西の国に一年間留学に行くとはいえ、その留学が終わればまたチェントロの学園都市に戻ってくる。
通常なら学生寮の部屋を一年間そのままにしておくことなどできないのだが、そこは申し訳ないが王族としての権力を使わせてもらった。
西の国から帰ってきてから再び学生寮の空きを探してもいいのだが、そうするとどうしても警備の問題が出てくるのだ。
現在俺が住んでいる学生寮はセキュリティがしっかりしていることはもちろん、居住者も金銭的にも恵まれている学生のみで構成されており、実家に反社会的団体と関与している生徒もいない。
一年間部屋を放置する都合上どうしても定期的な空気の入れ替えや掃除などが必要になるので、その辺りはホフレに頼んでおいた。
キュリロス師匠は冒険者として有名だし、マリアは三人の子供を持つ母親だ。そうでなくともマリアは平民としての生活などしたことがない貴族令嬢だし、その上俺を育てた侍女であるということはチェントロ国内の貴族は皆知るところにある。
下手にマリアの出入りがあると知られてしまえば、俺だけではなくこの学生寮に住む他の学生たちにも害が及びかねない。
だったら大人しく邸宅に住めと言われればぐうの音もでないんだけどね。
その点ホフレならば俺を絶対に裏切らない狂信的な信者であること。俺が半年学園に通っていた間に影の護衛を付けてくれていたという実績。どれをとっても信用できる部下である。
……部下? 部下、でいいのか?
俺の脳内ホフレに聞いてみたらとってもいい笑顔で『部下などとんでもない。忠実な犬です』と答えた。実際そう言いそうなところがホフレの恐ろしくも信用できる点である。
そういえばこの半年、何通か手紙のやり取りをした程度しかかまってやれてないなぁ。
オッキデンスから帰ってきたら一度ちゃんと会ってやろう。
そんなことを考えながら掃除をしていればあっという間に終わってしまう。
留学することが決まってから少しずつ片付けていた部屋の中はどこか物悲しく、ここに初めて引っ越してきた時からずっと照明代わりにしていたランプ代わりの竜玉に 、俺は軽く触れた。
越してきてまだ半年しか経っていないのに、すっかり俺の中では『ライ』が帰るべき場所として認識してしまっていたようだ。
◆◆◆◆◆
まだ朝市も開いていないような早朝。西の国へ向けて出立するために部屋を出る。
しばらく使うことのない部屋の鍵を閉め、間違っても無くさないようにカバンの奥底に仕舞っていると、隣のオリバーの部屋からバタバタと何やら慌てて動く音がする。
普段あまり大きな音をたてたりしないので何事かと思っていると、バンッ! と少し勢い強く隣のオリバーの部屋のドアが開いた。
もちろん扉を開けたのはオリバーで、まだ寝間着に寝癖がついている状態のまま俺の前までやって来た。
「え、オリバーどうしたの?」
何かを言おうとしては口ごもり。それから、オリバーはすこし気恥ずかし気に口を開いた。
「……その、入学初日の朝、君に言えなかったことを、言おうと思って」
「は?」
何のことかわからずにポカンとする俺に、オリバーは照れ臭そうな笑みを浮かべる。
「……行ってらっしゃい」
王宮を出たばかりで一人で暮らすことに慣れておらず、入学初日の朝に思わず俺の口から出た言葉。
「…………行ってきます」




