108話
いくらベルトランド兄様が学園の教授の一人とはいえ、流石に学園の一般食堂を利用するのは王族として憚られるため、貴族向けに開放されているカフェテリアの方に足を運ぶ。
「オルトネク、一般的なテーブルマナーは?」
「一般的なものでしたら」
「十分だ」
一般的も何も生まれてこの方王宮で暮らしていたのだから、その辺のマナーは体に染みついている。
ベルトランド兄様もそんなことは百も承知だが、周囲へのパフォーマンスのためにそんな会話をしながらカフェテリアへの廊下を歩く。たまぁに、ベルトランド兄様の隣を歩く俺を興味深そうに探る視線が周りから向けられるが、学舎内で、それもベルトランド兄様が隣にいるため特に問題など起こるわけもなくスムーズにカフェテリアへとたどり着いた。
「私の研究室にランチボックスを一人分頼む」
「かしこまりました」
「ウッドの分の食事はこれでいいだろう。オルトネク、我々はあちらで食事をとるぞ」
「はい、ベルトランド先生」
ウェイターに席まで案内され、彼らが引いてくれた椅子に座る。たったそれだけのことにカフェテリアを利用していた周囲の貴族子女たちがわずかにざわめいた。
「なにか俺変なことしました?」
「安心しなさい。レストランのエスコートに慣れている平民出身の学生の数が多くないだけだ」
「あ、なるほど」
まぁ、大衆食堂じゃ自分で椅子引いて座るもんな。ウエイターのエスコートのあるレストランにいける平民なんて富裕層くらいだし。
「食べられないものは?」
「特にありません」
「よろしい」
そう言ってベルトランド兄様が軽く手を振ると素早くウェイターが料理をサーブし始めた。
「さすがですね」
「我がチェントロ王国の誇る学園だからな。ウェイターも一流の者を採用している」
少し慣れていない様子を見せるために、たまにわざとカトラリーで音を立てながら食事を進めつつ、ベルトランド兄様と当たり障りない話をする。
「そう言えば、ひとつ質問があるんですけど」
「言ってみなさい」
「魔方陣を必要とする魔法についてなんですけど、あれって魔導士が自分の杖なんかの媒体を介して魔力で魔方陣を空中ないし地面に描いて、そこからさらに魔力を投じて発動させるじゃないですか」
魔導士科の一年生で習うような単純魔法は、呪文を唱えるだけでいい詠唱魔法が中心だ。二年になって初めてごくごく簡単な魔方陣を必要とする魔法の基礎を学びだし、対大型魔獣専用魔法などの、複数人で発動する必要のある大型魔方陣を描いてから呪文を唱える魔法は 、三年になってから習う。
引き起こす現象が小さければ詠唱魔法で済むのだが、起こす現象の規模や複雑さが増すと魔方陣が必要となってくる。
ケーキ屋でショートケーキひとつくださいと注文して、ショーウィンドウ内のショートケーキを一つ買うのが詠唱魔法。
ショーウィンドウ内のショートケーキを頼むのは同じでも、チョコプレートにメッセージを書いてもらったホールケーキを注文するのが簡単な魔方陣を用いる魔法。
パティシエに一から自分の希望を伝えてオーダーケーキ作ってもらうのが大型魔方陣を必要とする魔法。
商品名は全てショートケーキだけど、大きさや店員に要求することが多くなればなるほど注文書代わりの魔方陣が必要になってくると思ってもらえばいい。
「魔方陣って発動するためにはその都度 魔導士たちで描く必要があるじゃないですか。でも、ベルトランド先生の研究室には触ったら勝手に魔法が発動する魔道具、のくくりでいいんですかね?まあ、そういうの結構ありますよね。それを持ち運びやすいスクロール、つまり軽い紙なんかに魔方陣を描いておいて利用するのってどうしてできないんですか?」
ついこの間も不用意に触れてしまったために俺やオリバーだけでなく、シローやアルトゥールがおかしな魔法に巻き込まれたことがある。とはいえ、それもきちんとした魔法ではなかったためか、一時間もしないうちに解けてしまったんだけれど。
その時のことを思い出しながらベルトランド兄様に問えば、ふむと少し考える素ぶりを見せた後に言葉を選びながらゆっくりと話し出す。
「まず、紙に事前に描く方法が取れないのは魔方陣そのものに魔力が通っていなければ精霊が魔方陣を認識できないからだ。だから魔導士は呪文を発する際に言葉に魔力を乗せる。だが、ただの紙やインクは魔力をとどめておくことができず、数秒の内に空気中に溶け出してしまう。精霊と関わりの深い南国の種族、特に魔法に長けているエルフなどは精霊の目や精霊の耳と呼ばれるものを持って生まれてくる者 がいるらしい。彼らは精霊と会話をしたり、精霊と同じく魔力の流れそのものを視認することができるそうだ。呪文や魔方陣に魔力を乗せなければならないという事実が発覚したのも、百何年か前にその精霊の目を持つエルフの研究協力があったおかげで発覚した事実だな。」
「百何年も前って、そういう精霊の体を持って生まれる人って少ないんですか」
「その賢人、ベネディクト以降は確認されていない。世に出てきていないだけかもしれないがな」
「魔方陣に魔力が必要、ってことは、例えば魔力を通しやすい媒体をインクとして使って、発動直前にそのインクに魔力を通して発動、ってことは?」
「研究自体は各国で何十年もされ続けているが成果は芳しくない。私の研究室においてあるものがまさにその研究の産物だな。魔力を溜めること自体はできるのか稀に発動することもあるのだが、その魔力が術者から得ているのか空気中から得ているのかわからない上、発動しない時は年単位で発動しない。なのに発動する時は数秒単位で発動する。さらに言えば、何か新しい魔法を作りたかったのだろうが既存の魔方陣ではないためどこかで魔法式を間違えているのかそもそも効果が安定しない。それこそ精霊の目を持つ者がいれば手っ取り早いんだろうが、魔力が正しく乗っているかどうかは実際に魔方陣を発動させてみるまで我々にはわからないからな」
「闇鍋か、ってくらい混沌としてますね。そこまでいくとどこが正常に動いているのかもわからない、ってことですね。惜しいところがあったとしても、魔力を視認できない我々だと全て等しく失敗ってことしかわからないから」
「そういうことだ。学園の卒業生たちが卒業制作で作っていったものなどもある。勝手に発動するから危険ではあるものの、学術的に貴重だから保管せざるを得ない」
ベルトランド兄様の説明を聞いて俺は落ち込まざるを得ない。
いや、だってさ。魔法スクロールがあったら絶対便利じゃん。一瞬で水の壁を作って籠城したり、あらかじめスクロールを罠のように地面にばらまいて任意で発動させたりさ。
いや、百何年に一人生まれるか生まれないかくらい希少な精霊の体持ちの中でさらに魔力を視認できる精霊の目持ちとかいうチートがいないと研究がはかどらないんじゃそりゃ仕方ないんだけどさ。
考えることは皆同じ。というわけなのかベルトランド兄様の研究室に変なものがたくさん置いてある理由がようやくわかった。
それにしたって魔法スクロールがないのは残念である。思わずマナーに反しない程度に小さく息をつきつつ、昼食の最後の一口を口に運ぶ。
「実は、最近オストではそのプロトタイプが発明されたんだよ」
と、不意に自分の肩口近くでそう声をかけられ、思わずびくりと体を跳ねさせる。
「まぁ、実用段階には程遠いけどね」
振り向くと、そこには本来の俺や母上と同じ黒い髪と、その隙間から覗くルビーのような赤い瞳。 思わぬ人物に驚き固まる俺に対して、従兄殿は楽しそうに目を細めて笑みを浮かべる。




