107話
「それで、最近姿を見かけないから見に来てみれば……」
今まで俺が騎士科の実戦で使用していた素早さバフと筋力バフ、重量増加付与の魔法を魔力任せの成金魔法からちゃんとした呪文を用いた詠唱魔法に落とし込むために、オリバーと共に研究室にこもって数日。始める前は未知の領域すぎて半ばうんざりしていたが、いざ研究をはじめてみると、数学に通じる面白さがあって没頭してしまった。
ほら、あれだよ。ちょっと難しい数学の問題を解き終わった時に脳内アドレナリンでテンションハイになる現象。あんな感じ。
付与魔法とか人体強化の魔法の基礎はオリバーの研究資料があったし、パズルと数式感覚で没頭してたら悔しいかな、オリバーの言う通りちょっと楽しくなってきて止め時を見失って数日ろくに食事もとらず没頭してしまったのだ。
結果、数日一向に姿を見せない俺とオリバーを心配したベルトランド兄様によって研究は強制ストップ。現在俺はオリバーの研究室の簡素な椅子に座って足を組んだ不機嫌なベルトランド兄様の足元にオリバーと一緒に正座させられている。
「新魔法の研究にのめりこむのは構わんが、食事と休憩はとれ。特にお前はミューラー卿の特別授業もあるだろう。これでお前が倒れでもしたら助手の監督不行き届きで責任を取るのは私だ」
「す、すみません」
「ごめんなさい……」
自他ともに認めるブラコンである俺にベルトランド兄様のガチ説教は効く。最推しは言わずもがな我が妹エルフリーデとジャン兄様とジョン兄様だけど。家族大好きな父上の血がそうさせるのか、最近俺の家族愛がとどまることを知らない。推しは家族です。兄妹しか勝たん。
まぁ、ジョン兄様とジャン兄様はともかく、他の兄様たちに素直に甘えるのは気恥ずかしいから素直に甘えたりはしないけど。
それはともかく、いつも冷静沈着なベルトランド兄様がその無表情顔をわずかに歪め、そこに俺への心配がにじみ出ていれば申し訳なさが募るというもの。今回の件は無条件で俺が悪いし、言い訳する気もないんだけども。
まだ怒っているだろうか、と窺うためにそろりとベルトランド兄様の顔を見上げればぱちりと目が合い、しばらく見つめ合った後、兄様がハァっとため息をついた。
「私も助手や後進の邪魔をしたいわけではないが、一教授としてもこの国を守る王族の一人としても無茶を許すわけにはいかない。よって……今後、昼食は必ず私と取るように」
学園に入って以降、俺が自分で王族であることを隠しているため自業自得なのだが兄様との交流は最低限。ちょっとホームシックと言うか、家族に家族として接することができないのって自分で思ってた以上に寂しかったから兄様の提案は素直に嬉しい。
ぱっと顔を明るくさせ、隣に座るオリバーに話しかけようとそちらを向 くと、顔を真っ青にしだらだらと冷や汗を流すオリバーが目に入って思わず動きを止めてしまった。
「べ、ベルトランド様と、一緒にちゅうしょ、昼食……? お、王族と……、しょく、え?」
「……ベルトランドせんせー、オリバーくんが息してませーん」
「…………ウッドを仮眠室で寝かせてやりなさい」
ベルトランド兄様にはーいと適当に返事をし、徹夜でキャパオーバーして足元のおぼつかないオリバーを立たせて仮眠室まで連れていく。
今まで王族はおろか貴族と関わることなく普通に庶民として生きてきたオリバーにとって、ベルトランド兄様は身分的な意味でも雲の上の存在だし研究者としても憧れの存在であるためか、たまにこうやって処理落ちすることがある。
それでも最近はましになってきたと思ったのだが、王族とこれから毎日俺が留学に行くまでの数か月間ともにテーブルを囲み食事を取るというイベントに、脳が元々疲労していたこともありパンクしたようだ。
「な、なあ、ライ。 先ほどベルトランド様は俺も交えての食事といったか? 嘘だろ、王族の方と?」
「いや、オリバーが嫌なら無理強いするような人じゃないけど」
「馬鹿ッ! ベルトランド様の提案を断るわけにはいかないだろ!」
小声で喚くオリバーをはいはいとなだめつつ仮眠室のベッドに座らせてやる。
でもな、オリバー。
今お前の世話してる俺も王族なんだぜ?
「ライ、食事中は僕のそばから離れないでくれ……ッ」
これ、後々俺が身分を明かすことがあったらオリバー倒れてしまうのでは?
いつかは俺のことを話したいとは思っているけど、こんなオリバーを見るとなんだか申し訳なくなってくる。まぁ、ばらすときはとっておきのサプライズでもしかけてやろう。
頭がパンクしたオリバーをベッドに寝かしつけた後ベルトランド兄様のいる部屋に戻ると、兄様はテーブルの上に置きっぱなしにしていた俺とオリバーの研究資料を読んでいた。
「せーんせ、どうです? 俺とオリバーの研究」
からかい交じりにベルトランド兄様を呼ぶと、ちらりとこちらに視線を寄こしたもののすぐに資料に目を戻して俺を手招きする。
素直にベルトランド兄様の側に近づくと、ゆるく口の端を上げた兄様がぽすりと俺の頭を撫でた。
「上出来だ。流石は私の弟だ」
「んんンッ‼ この美形めッ!」
珍しいベルトランド兄様の微笑みに俺は思わずその場でうめく。
だからッ! 兄様たちは自分の顔の良さを自覚して‼
「ていうか、学校では兄弟じゃなくて先生と生徒って言ったでしょ……」
「ここには私とお前以外誰もいない」
「ベルトランド兄様、そういうのあんまり言うと誰かに誤解されても知りませんよ」
「勘違いしたい奴にはさせておけばいい」
「なんでそんなスパダリみたいな発言しかしないんですッ⁉」
すぱ、だり? と首をかしげるベルトランド兄様の疑問には答えずに背中を軽く叩いてテーブルの上に散らかしたままの資料を整頓していく。
「……もう少しで、オルランドのところに行くんだろう」
一緒に資料の整頓を手伝ってくれていたベルトランド兄様が、少しためらいがちにそう聞いてきた。
「ん、オルランド兄様のところ、というよりオルランド兄様とフランキスカ義姉様の治める国に行くってだけで実際に会うかはわかりませんよ? だって、今の俺平民ですし」
「…………ジョバンニがシェンを本格的に習いに母親のソフィア妃の伝手で南の国に行き、ジャンカルロも数人の護衛だけを連れて旅に出ただろ。そのうえライモンドまで西国に行くとなると、な」
相変わらずの無表情で、少し言い難そうにそう告げたベルトランド兄様に信じられない気持ちで目を向ける。
え、まさか兄様寂しがってくれてます? あのベルトランド兄様が?
「王宮に帰っても、あの可愛げのないアンドレアしか弟がいないと思うと気が滅入る」
「あ、そういう? でも可愛げ担当のフェデリコ兄様がいるじゃないですか」
「…………兄上は可愛がる対象ではないだろう」
「俺、フェデリコ兄様の本質はエルとおんなじだと思ってますけど」
あの人幼女資質というか、長男のくせに弟気質なんだよな。十中八九しっかりもののベルトランド兄様と気遣い屋のアンドレア兄様に構われてきたからだと思うけど。なんだかんだ二人ともフェデリコ兄様のこと大好きだからなぁ。
「自国の王太子殿下に随分な物言いだな? オルトネク」
「我が国の王族の皆さんが寛大で慈悲深く聡明だと確信しているからこそですよ、ベルトランド先生」
あらかた紙を整理し終えたところで、お互いに呼び方を戻す。
「ベルトランド先生、オリバーの分は後で部屋に持っていくとして、早速一緒に昼食どうですか?」
「エスコートしてさしあげようか?」
ふざけて手を差し出してくるベルトランド兄様の手をはたく。
「……ベルトランド先生?」
「すまない」
わざとらしくむっとしてこれ以上ふざけるなら怒るぞ、と主張して見せれば、ベルトランド兄様は楽しそうにニッと笑って少し雑に俺の頭を撫でてくれた。




