別れを望んでいるわけではないから
彼に触れられた瞬間、私の中で何かが崩れる音が聴こえた。
その音はパキパキと罅割れるような音で、痛みはなかった。それでも、私という存在が終わるのを否応なく理解してしまう。何故、そんなことを考える時間もない。
でも、それ以上にどこか、胸の内がスッと軽くなる様な感覚もあった。
私の中にあった悪感情、渦巻くような狂気の奔流が消えていく。生まれてからソレが当たり前だと思っていたその感覚が、まるで温かい何かで塗り潰されていくような、そんなふわふわした感覚に変わっていく。
私が最後に見たのは、彼の優しげな微笑み。
私に対する敵意なんて欠片もない様な、そんな表情になんだけ呆気に取られてしまう。身体が崩れていくことに焦りも感じられなかった。
「―――」
彼の口が短く動く。
なんて言ったのか、上手く聞き取れなかった。でも、聞き返すには遅く、私の口はもう動かせなかった。こうなるとなんて言ったのか、余計に気になってしまう。
見れば私の足はもう崩れ落ちている。
でも不思議なことに私の身体は足があった時の位置で浮いていた。痛みがないからか、私はまだ自分の足で立っている感覚なのに、なんだか違和感を感じてしまう。
ああ、ここまで来てようやく理解した。
私は負けたのだ。そして、今から死んでいく。
死ぬことは何も怖くはない。
なにせ特にコレと行った目的もなく、願いもなく、やりたいこともなく生きてきただけの人生なのだ。いつ死のうが、別にどうでも良かった。心残りがあるとすれば、もう少し色んな所に行って誰かを殺したり壊したりしてみたかった気はするけれど――今はもうそんな気分でもない。
なんとなく気分が良いし、悪神の種から生まれたからと言って悪いことをしなければならないわけでもない。
首から下が完全に崩れ落ちている。頬にも罅が入ったのが分かった。
こうなるともう、彼の手から感じる温もりだけが、私と誰かを繋いでいる唯一の感覚。
ああ、でもそういえば。
こうして本当の意味で私の身体に触れられた人は、果たしていただろうか?
私が本性を見せた上で優しく触れてきた人なんて、誰もいなかったと思う。それはそうだろう――私の本性は悪性に満ちているし、見せた時には大抵何かを壊したり殺したりした後だった。憎悪を向けられこそすれ、優しさを見せられる人間などいるはずもない。
そんなことを思えば、もう一度彼の目を見てしまう。
彼は真っ直ぐ私を見ていた。何故だかその眼差しを受けていると、私の奥底まで見透かされている様な錯覚すら覚える。
―――全く、本当に……とことん思い通りにならない子ね。
声には出ないけれど、彼はそんな声にならない言葉を受け取った様に、その笑みを深めた。不気味さが感じられない、彼の本当の表情。記憶を読んだときは、ちぐはぐな在り方と歪な心をしていたけれど、今はどうだろうか。
最期の最後で、彼の感情を読んでみる。
『 』
本当に、馬鹿な子だ。
臆病で、怖がりで、嫌われていても、困っている人が居れば手を差し伸べてあげたくて、でもその手を伸ばす勇気がなくて、裏切られ続きの人生の癖に、それでも人を嫌いになれない底抜けのお人好し。
その証拠に、今戦っていた私にすら嫌悪の欠片すら抱いていない。
だから言ったのに。足元を掬われるというのに。
でもそうね――それでもそう生きたいと望んで貫いたから、私が負けたのか。
掬われ続けたその足で、痛み耐え続けてきたその心で、歩き続けて来たから。私に足元を掬われても折れなかったし、ただ一人で立ち直ってきた。
あ、そうか、さっき彼が言った言葉は、これか。
"「またね」"
馬鹿だなぁ、そんな風に友達みたいな別れ方はないでしょう。敵なのに、たった今私のことを殺すくせに、貴方は異世界に帰ろうとしてるくせに、また会えるとしたら、それは異世界に転生すること以上に奇跡だ。
でもまぁ、もしもまた会えるとしたら。
今度はもうちょっと、意地の悪いことしようかしらね。
そう思って、私の意識はぷつりと消えていった。
◇ ◇ ◇
「さて、メティスちゃんも起きた所で、これからどうするかだけど」
「ちょっと待ってきつねさん、その前になんでその子が桔音さんの膝に座ってるのか話をしようか」
「それは僕も謎」
「きつねちゃん助けて……」
「君は臆病なのか大胆なのかどっちなんだ」
ユーアリアが倒され一先ず戦いが終わったことで、桔音達は腰を下ろして休息を取りながら次の行動の話をしていた。
しかし、その為にメティスを起こしたのは良いものの、目覚めたメティスは早々にきつねにべったりとくっ付いて離れなくなったのである。まるでオナモミの如きくっ付きやすさと離れにくさだ。
ソレにフィニアが嫉妬したのは当然のことだろう。いつだって桔音の傍にくっついていたのはフィニアのポジションだったのだから、ソレをぽっと出のメティスに奪われれば面白くはない。
ちなみにレイラが此処でフィニア程ムキにならなかったのは、先の戦いで殆どの感情を犠牲にしたから。途中で桔音との繋がりが切れたのも幸いして、今のレイラは桔音への想いを失ってはいないものの、戦いの前程の勢いを失っているのである。
「とりあえず話にならないから、メティスちゃん一回降りて」
「……じゃあ背中にいる」
メティスは桔音の言葉に少し唇を尖らせたが、もぞもぞと桔音の脇の下を潜るように背中の方へと引っ込み、後ろから抱き付いた。とりあえずくっ付いていれば問題ないらしい。
だが結局桔音が女を侍らせているようにしか見えない光景だった。
「ぐぎぎ」
「……まぁいいとして、これからのことだけど」
一つ溜息を漏らしてから、桔音は話を再開する。
「まず、これを見て」
「それは……さっきユーアリアの中から出て来た破片か?」
「そう、所謂『悪神の種』って奴だね。放っておけば周囲の魔力や悪感情を吸収して魔獣とか魔族とか屍音ちゃんとかを生み出す困った代物だ」
『うわ、きつねちゃんそれ近づけないで』
桔音の手にあったのはユーアリアから生まれた悪神の種。禍々しい紫色のガラス片のような欠片だが、それから放たれている存在感は強大なものだ。おそらくこのまま数百年放置すれば、いずれまたユーアリアのような存在を復活させるだろう。
だが、桔音はこの『悪神の種』こそが、元の世界に帰るための鍵だと分かっていた。
何故なら、この『悪神の種』に『祈り逢い《Life of Love》』を使ったところ、桔音が元の世界に帰ることで力を失う結末があったから。何かに邪魔されるようにソレを引き寄せられなかった故に、おそらく何かしらの手順が必要なのだろう。
ともかく、桔音はようやく今、元の世界に帰るための手段を手に入れたということだ。
それをこの場に居る全員に伝えると、空気が少しだけ明るくなる。
今までずっと探し求めてきたものがようやく手に入ったのだ。喜ばずにはいられないだろう。フィニア達は勿論、ステラや最強ちゃんですらその事実にある種の喜びを感じていた。
「それで、なんだけど……皆はこれからどうしたい?」
だが、桔音の出したい本題はこっちだ。
桔音が元の世界に戻る手段を手に入れたということは、桔音のパーティは解散ということになる。そうなればルルは家族を失うし、リーシェもミニエラに帰ることになるだろうし、レイラや屍音もパーティを抜ければ自分の今後を考えないといけない。
フィニアはお面に入っていれば桔音と一緒に異世界に戻れるかもしれないが、元の世界でその存在を保てるかと言えば、その可能性は低いだろう。
そういう意味で、これから皆はどうするのか。
「……私はミニエラに家があるが……あ、でも吸血鬼になったからどうだろう……まぁ、翼を隠せば大丈夫か。なんならルルを迎えても構わないが……でもな……」
「私は…………」
「きつね君に付いていけないかなぁ……」
「……」
皆もそれぞれ考えてはいた事なのだろうが、やはり直面すると中々決断しづらい様子だった。
それもそうだろう。いつまでも続けばいいと、誰もが思っていたのだから。冒険者のパーティと言えば、脱退や現役を引退するときを除けば、余程険悪でない限り解散することはない。何故ならそのパーティで乗り越えてきた修羅場の数だけ、信頼関係がより強固になるからだ。
それはこのパーティとて同じ事。
寧ろ乗り越えてきた山々がどこよりも大きいこのパーティならば、どんなパーティよりも強固な絆で結ばれていると言っていい。
それぞれが何かを抱えていて、それを桔音が受け入れたことで仲間になってきた。それだけでも全員が桔音に感謝している。
魔獣を倒すことだって、仲間と一緒に成し遂げてきた。
勇者と戦うことも、使徒と戦うことも、魔王を倒すことも、どこにいくにも、なにをするのも、皆で乗り越えてきた。
時に仲間が死んだことだってあったし、時に信頼関係がなかったことにされた時もあったし、時に死にかけることも何度もあった。
悲しいことも楽しいことも、分け合ってここまで来たのだ。
「僕としては、皆と別れるのは凄く寂しい」
「それは……皆、そうに決まっている」
「それに、僕は自分だけ帰って皆のことは放っておく、なんてこともしたくないんだ」
桔音は全員が同じ気持ちだと分かっている。
だからこそ、放って元の世界に帰ることは出来ないし、このパーティで生きて来たからこそちゃんと全てを納得した上で前に進みたいと思うのだ。
故に、
「だから、とりあえず……今は帰ろっか」
今すぐに帰ることはしないでもいいと、桔音は決めた。
簡単には決められないのだから、今は休もうと。
悪神の種の結末を見れば、少なくとも次に魔獣や魔族を生み出す程の魔力や悪感情が溜まるには、まだ少し時間がある。ユーアリアが消えたことで、今はエネルギーが空になっているのだ。
ならば決断の時はもう少し伸ばしても構わないだろう。桔音にとって、しおりとの約束を果たすことと同じ位、この仲間達も大切になっていたのだ。
「……そうだね♪」
「うん、帰ろ!」
「でも何処に帰るんだ?」
「きつね様がいるなら、どこへでも」
『ふひひ、愛されてるねーきつねちゃん!』
桔音の言葉に、フィニア達の表情も明るくなる。
帰るのならどこへ行こうかと言葉が飛び交う。ミニエラでもいいし、ルークスハイド王国へと戻るのも良い。いっそ少し休んだら今まで出会った人たちに顔見せに、回るのもありだろう。何、屍音がいるのだから、転移すれば移動はすぐに出来る。
すると、そこへステラが近づいてきた。
「きつね、私も連れて行ってはもらえませんか?」
「ステラちゃん……良いけど、どうして?」
「この戦いが終わったことで、私が生まれた意味も目的も失われてしまいました。為すべきことがないのなら、付いていくのも手かと」
「! じゃ、じゃあメティスも付いていく!」
「大分大所帯になっちゃったなぁ」
気が付けば桔音、フィニア、ルル、リーシェ、レイラ、ノエル、屍音、ステラ、メティスと大所帯だ。しかも桔音以外全員女というハーレム状態、男としては中々夢のような光景ではないだろうか。
とはいえ、桔音に想いを寄せているのは実質フィニアとレイラ、微かにノエルといったところなので、人数程のハーレムではないのだが。
ここまで大所帯になれば、桔音としてもいっそという気分にもなる。
「いっそ最強ちゃんも一緒にどう? まずはこの島を出ないとだし、本土に付くまでは一緒に行動してもいいんじゃないかな」
「なら、そうする」
「でもおにーさん、どうやって帰るの? あの船ってまだ使えるの?」
と、屍音の言葉で思い出す。あの船は確かエルフリーデがなんやかんやして動かしていたことを。その動かし方を桔音は知らないのだ。
ステラを見るも、ステラも首を振るのみで動かし方を知っている訳ではないらしい。となると、あの船は使えない。
暗黒大陸から帰った時の様に瘴気の船を作ってもいいのだが、今の桔音の筋力では船を作っても全員を乗せて船を動かすことが出来ない。代わりにレイラに作ってもらうとしても、不眠不休で船を動かすのは厳しいだろう。まして、レイラは船酔いするタイプだ。
「……屍音ちゃん。転移お願いできる?」
「んー? お願いするときはどうするんだっけ☆」
そうなると、桔音は屍音の転移能力に頼るしかなかった。
苦い顔で屍音に頼むと、屍音は鬼の首を取ったように黒い笑みを浮かべて見下ろしてくる。この嗜虐的な態度は一生変わらないだろう、と桔音は引き攣った笑みを浮かべた。
結果、桔音は土下座した。踏まれた。
残りは大体3、4話ほどで考えてます!感想お待ちしています!




