狂愛想起
これが最後の戦いでもおかしくない、そんな得体のしれない予感があった。
ユーアリア――神という名の種族である存在。記憶と感情を操作し、好奇心や単なる興味で殺戮を振りまいてきた彼女と向かい合う。それは今まで死闘を繰り広げてきた相手を、走馬灯のように思い出させてくれる。
どうだっただろうか、今まで戦ってきた人達と比べて彼女はどれ程の脅威だろうか。頭のおかしさは申し分ない、むしろ今まで一番頭がおかしいと言えた。
それというのも、これまででとびきり頭のおかしいと思ったメアリーちゃんや屍音ちゃんは、自己中心的で歪んだ価値観の中で形成された人格だった。それは彼女達を作った環境や周囲の影響を考えればまだ理解出来るもの。レイラちゃんや魔王も、そもそも破壊や人食衝動を持った存在だというのなら、ソレは生き物の本能として仕方がないことだ。
しかし彼女は違う。種族で言えば人間ではないけれど、その価値観は極めて一般人と大差ない。人並みに優しく、他人の悲しみや他人の喜びも理解することが出来る。好奇心や興味の引かれるものが多かったりはするものの、それは人の個性の範囲内。
けれど、ソレを踏まえた上で彼女は人を殺すことになんの罪悪感も抱かない。
記憶と感情を操作する。故に誰を殺したところで、ソレを悲しめる家族はいないし、ソレを憎む友人もいなければ、ソレを覚えていられる他人もいない。けれど彼女の恐ろしい所は、人は殺したら死んでしまうという子供でも分かるような事実を理解出来ていないことにある。
人は死んだらそこまでだ。殺したら死ぬし、傷付ければ痛みを伴うし、失えば悲しみが生まれるのは例え異なる世界だろうと変わらない事実――それが理解出来ない。
狂気の境地……彼女は誰もが正しく狂っていると認識出来るけど、誰もが等しく狂っていることを理解出来ない存在なんだ。
だからきっと、この戦いが最後でもおかしくない。
いや違うな―――この戦いで終わらせる。
だから、
「フィニアちゃん!」
「『妖精の聖歌』!!」
此処で勝って、元の世界に帰ろう。
◇ ◇ ◇
屍音の『玩具箱』が砕かれた次の瞬間に、桔音達は次の行動に移る。黒と蛍光ピンクの世界が砕け、桔音とフィニア達の視線が交差した時、彼らの意思疎通は完了していた。
桔音の呼び掛けに応えるように、最初からソレが分かっていたかのように、フィニアは屍音の世界が消え切る前に己の魔法を打ち放っていた。青白い炎は一秒も掛けずに生成され、ユーアリアの眼前まで迫る。
そしてその炎が着弾し、ユーアリアの立っていた場所が爆炎に包まれた時には桔音達が行動を起こす。
広がろうとした爆炎をレイラの瘴気が包み込み、拡散するフィニアの魔法を余すことなくユーアリアへと誘導すると、レイラが意図的に開いておいた隙間を縫ってルルとリーシェが飛び込んでいく。
「はぁっ!!」
「っ……!」
リーシェの瞳もルルの瞳も、それぞれ透き通るような翡翠色と燃える様な太陽の色に変わっている。『先見の魔眼』と『星火燎原』が発動しているのが分かった。
加速する二人の動きは打ち合わせしたかのようにお互いを邪魔せず、『赫蜻蛉』と『白雪』の刃が赤と白の軌跡を残してユーアリアの身体へと振り抜かれた。
「ノエルちゃん!」
『分かってるよ!』
そしてそれを躱させないかのように、ノエルが金縛りを使用した。
しかもそれを破って躱したとしても、追撃として直上から最強ちゃんが拳を引き絞っている。奇襲としてはこれ以上ないタイミング、そして過剰攻撃だ。
「あらあら、危ないことするわね」
だがユーアリアは襲い来る爆炎をナイフで切り払い、更に追撃で同時とも言えるタイミングで迫るルルとリーシェの刃の間、コンマ何秒かの秒差で迫る二つの刃を一つずつ躱す。ノエルの金縛りも影響しているのか僅かに動きが鈍かったが、最小限の動きで躱すことでそのハンデを打ち消して見せた。
そしてそのあとでノエルの金縛りを力技で破り、直上から隕石の様に振り下ろしてきた最強ちゃんの拳を、その手のひらで受け止めてみせた。
まるで余裕とばかりに桔音達の奇襲を捌いたユーアリアは、未だにその笑みを崩さない。ボールペンでぐちゃぐちゃに書き殴ったようなその黒い瞳は、いつ見ても何を写しているか分からない。
けれどそれは桔音も同じこと。ありとあらゆる存在から死神と呼ばれた彼もまた、ユーアリアには理解出来ない精神性の持ち主だ。
「あら……」
「こっちは見えてたかな?」
真上からの攻撃、それも桔音の陣営で言えば現状最も攻撃力のある最強ちゃんの拳だ。しかも桔音と同じ『超越者』、その拳は種族が神であろうと通用する。それを防ごうと思えば、それに気を取られるのは必至。
故に、真下から抉りこむように『初神』の刃を切り上げてきた桔音に気付かなかったのは、仕方のないことだろう。
「でもちょっと遅いわ、ね……?」
しかしユーアリアは最強ちゃんと同様の速度で動ける怪物、桔音の出せる速度では見てから動いても何ら問題ない。現に、桔音の刃は軽々と躱されてしまった。けれど、躱した途端に彼女の動きが停止する。
「速度じゃ敵わないなんて分かってるさ、だから反則技を使わせてもらう」
『初神』を『瘴神』に変換し、己の身体で『初心渡り』を発動――時間回帰による時間停止が世界の動きを止める。
この中で世界を認識出来るのは、発動者たる桔音と『超越者』である最強ちゃん。だがそれなら当然ユーアリアと屍音もその世界を認識出来るだろう。
「それッ!!」
「あぁ……痛いわね」
桔音の刃がユーアリアの胴を袈裟切りする。同時、時間が流れ出した。
斬られても余裕の表情を崩さないユーアリアだが、負傷したことで体勢が崩れる。ソレを見逃さないように最強ちゃんが空中で体勢を立て直し、ユーアリアの横顔を蹴り飛ばす。
地面をバウンドするように吹き飛ぶユーアリアだが、壁にぶつかればその動きは停止する。強烈な一撃、しかしユーアリアは痛みを感じていないかのようにその両足で未だ立っていた。
「あら、あらあら……次から次へと不思議な力を持ってるのね」
こめかみから流れる血が多く、片目が開けないでいるユーアリア。足元が覚束ないようで、少しふらついている。
だが、ゆらゆら揺れたかと思えば彼女は地面を蹴り、瞬間移動もかくやと言わんばかりの速度で飛び出した。
その向かう先に居たのは先程瘴気で爆炎を誘導したレイラ。赤い瞳は迫るユーアリアに驚いてはいない。自分とユーアリアとの間に瘴気を生成し、己の手にも瘴気のナイフを作り出す。
しかし作り出された瘴気が形を成す前に彼我の距離を詰め、ユーアリアはレイラの懐に入り込んでいる。その後で背後から迫ってくる瘴気の弾丸をナイフ一本で切り払うと、回転するようにしてレイラに切り掛かる。
「ふふふ……――一人ずつ遊びましょう」
圧倒的な能力差、その速度もその攻撃力もレイラとユーアリアでは差がありすぎる。彼女の小さなナイフはレイラの首を真っ直ぐに狙う。
桔音はその光景に焦るが、速度では追いつけない。この場において最も速く動けるのはユーアリアだからだ。
しかし、
「私はもう、足手まといじゃないよ――きつね君」
レイラは首を横に倒してその刃を躱した。
速度では敵わない、見てから反応しては遅すぎる。故に、彼女は自分自身の切り札を切る。
桔音達にしか分からないが、レイラの口調が軽快な口調から落ち着いたものに変化している。そして彼女の瞳が蒼色に変化しているのが分かった。まるで、以前桔音が保有していた『鬼神』を発動しているかのような輝き。
だが桔音には分かった――レイラの使っている力は『鬼神』とは少しだけ違うことが。
「ふふふ、避けられちゃった……ッ?」
息つく暇もなくユーアリアがレイラに迫る。まるで舞う様に彼女の持つ刃がレイラの急所を狙うが、今度は見えているかのようにレイラはその連撃を躱す。速度で劣っているのは変わらない――彼女はユーアリアの動きを完璧に読んでいるのだ。
「強いね、でも動きは素人……これなら全然怖くないよ」
「あらあら、貴女の使っているその力……ふふふ、怖いもの知らずね」
レイラが使っている力を、ユーアリアは見抜いたらしい。
レイラの放っているその威圧感、それを正面からぶつけられれば記憶を覗かずとも分かった。その力の根源が何処からきているのかなど。
確証を得るかのように、無理な体勢から強引に蹴りを繰り出すユーアリア。レイラの死角から迫るその足先を、レイラは瘴気を展開することで防ぐ。
瘴気の堅さには生成した本人の耐性値が表れる。それは桔音とレイラという二人の使い手の差で分かる。故にレイラの耐性値では、桔音程の防御力は得られない筈だった。
「! ……防いでる?」
それでも、レイラの瘴気はユーアリアの蹴りを防いでいた。無理な体勢から出た攻撃だった故に威力は分散しているだろうが、それでもユーアリアの攻撃を防げたのは驚愕だった。
だがそれを見れば桔音でも分かる。
「これが、きつね君がこの世界で手に入れた力だよ」
「やっぱり、僕の防御力なんだね」
「ふふふ……貴女、桔音君の力を使ってるのね。どういう力かは分からないけれど……なんの負荷もなく使える力かしら?」
そう、レイラは桔音の力を行使しているのだ。
そしてユーアリアの言う通り、それはなんの負荷もなく使える力ではないだろう。桔音の力は今や『超越者』として一段階上の力、レイラが行使するには少々過剰な力だ。
ユーアリアが蹴りの勢いを利用して距離を取ったのを見て、レイラは笑みを浮かべる。
「そうだよ……これが私の固有スキル。心から大事に想っている人と繋がって、力を貸して貰う力」
レイラが魔王との戦いで手に入れた人間としての固有スキル。
桔音を思い、桔音を愛する気持ちが彼女を変え、その固有スキルが生まれた。その力の内容は、レイラが大切に思う人と繋がり、その相手の全能力を借りる力……相手側からもレイラが信頼されていないと発動しない力だが、その条件さえクリアすればどんな存在の力でも行使出来る力。
それがレイラの固有スキル――『狂愛想起』
そしてユーアリアや桔音が考えるように、このスキルには許容量以上の力を行使する場合支払わなければならない代償がある。
何故なら、それはあくまで行使出来るのが他人の力であること、そして自分と相手との信頼関係がなくてはならないこと、そして彼女の固有スキルが人間としてのレイラに宿っていたものであること、最後に今現在レイラの魂と肉体は魔族のものであるからだ。
故にその代償は、
「その代償は……使い過ぎれば、行使した力の持ち主への感情が消えていくこと」
「レイラ……それって!」
「そうだよフィニア、きつね君の力を使えば私はきつね君が好きだって感情も消えていく……だから手に入れてからは使ってこなかった」
「何言って……レイラはそれを受け入れられるの!?」
レイラの言葉を聞いて声をあげたのはフィニア。彼女は、レイラが桔音のことを本当に好いていることを認めている。その気持ちは、きっと自身にすら劣らないと。
その気持ちが消えるとなれば、レイラ自身が何よりもソレを許さない筈。にも拘らず今その力を行使し、桔音への気持ちを代償してでも戦おうとしている。
「大丈夫だよ、フィニア」
「なにが!?」
レイラは桔音の方をじっと見つめた。
そして桔音が今まで見た中でも、一番優しい笑顔を見せる。まるでなんの心配もいらないとばかりに笑みを浮かべたレイラは、自分の胸に手を当てて噛みしめるようにこう言った。
「例えきつね君を好きな気持ちが消えても、きっと私はまたきつね君を好きになるよ」
それは確信にも似た言葉。
レイラは両の手に瘴気の剣を生み出すと、その切っ先をユーアリアに向ける。
「だって私は、きつね君のことが大好きだもん♡」
全てを捨てて。




