有名税
その日の授業は何一つ問題なく進行され、終わった頃には中等部の生徒達もそれぞれ満足気な表情をしていた。といっても、それが尊敬出来る目標を見つけたという満足感か先輩も大したことは無いという安心感かは別だが。
それ故に、中等部の生徒達とは反対に、高等部の生徒達は各々やり切れない表情を浮かべている者もおり、十分自分の力を見せたという生徒はまちまちである。だがそれでも、冒険者として――いや、桔音と共に戦ってきたという経験のある桔音パーティは全員、やる事はやったという表情を浮かべていた。
レイラを初めとして、桔音は初戦から命懸けの戦いを繰り広げて来た。中には魔王も勇者もいたし、存在として格上の精霊や、使徒達という謎の組織、幽霊のノエルやSランクの魔族達、条件付きでAランクの実力であったがSランク魔獣である『海王龍』、最早此処まで生き延びているのが不思議な程の面子と戦って来ている。
それに付いて来ているのだ。桔音のパーティメンバーは誰一人として、学園に通っている生徒達に負ける様な日々を送ってきてはいない。桔音は勿論、レイラやリーシェも中等部の生徒と連携して勝利を収めたし、ルルや屍音など高等部の生徒に何もさせずに相手を2人、1人で打倒してしまった。
呆気に取られる者が多かった模擬戦授業で、桔音のパーティはその異質さを十分に魅せ付けたといえる。
「ドランさんなら此処で教師も出来たかも知れないね……」
桔音は誰にも聞こえない様な小声で、ぽつりとそう呟いた。今はもういない、桔音のパーティの仲間にして桔音に戦い方を教えてくれた師匠でもある男だ。彼は死んだが、今でも桔音の仲間としてしっかり彼らの心の中に生きている。
教え方でいえば彼はとても分かりやすい教授をしてくれた。故に、この学園でも十分教師としてやっていける様な気もする。そんなことを思い、桔音は若干苦笑した。
さて、現在は授業も終わって既に放課後だ。レイラはこの時間男子生徒達に言い寄られる時間だ。クラスが一緒といっても席はそこそこ離れているので、放課後に入った瞬間は桔音よりも早くレイラの傍に行く男子生徒が多い。といっても、桔音はレイラの下へ行こうとはしていないので、男子達にとってこの時間は桔音が隣にいない時間を狙える数少ない隙なのだろう。
桔音としてもそういう気持ちは理解出来るので、言外にそれを止めたり邪魔したりはしない。レイラにも、誘いを受けるかどうかは自分で決めると良いよと言ってあるので、もしかしたら男子達がレイラの興味を引ける誘いを持って行く事が出来れば、可能性はあるかもしれない。
故に、桔音は早々に寮へと戻ろうとしていた。図書室に行っても良いのだが、大魔法使いはどうやら一般生徒との交流を嫌っている節がある。運良く研究室に入れて貰えたとしても、今この時間図書室には多くの生徒達がいる。桔音が研究室に入った所を見られれば、ソレはそれで面倒だろうと考えたのだ。
寮までの道を歩きながら、桔音は今日一日の事を振り返る。格好付けて『死神の手』を取り出してしまったが、アレで手の内がバレることも無い筈だろう。模擬戦ではそこそこ上手く立ち回ったし、彼としても相手がとんでもなく弱かったので完璧に状況を支配する事が出来た。
「うーん……でもあの実力はないでしょ……大丈夫なのかなアレで」
『あははー……』
桔音の呟きに、ノエルが目を逸らしながら乾いた笑みを浮かべる。
至極真剣な表情で真面目にそう言った桔音に対し、そりゃ魔王とかと比べられたら誰でもそうなるでしょ、と内心でツッコミを入れたノエル。どうやら桔音は、自分の戦ってきた相手はかなり特殊だと自覚はしているものの、人間達もソレに相対出来る位には強い筈だと思っているようだ。
桔音がこの世界に来て出会った冒険者や騎士等の戦う者達は、勇者を初めとしてドランやレイス、最強ちゃん、大魔法使い等々、正直十分強い者たちばかりだ。桔音がそう勘違いしてしまうのも仕方の無い事かも知れない。
Hランクの時にミニエラで出会った冒険者など、未だにかなり強い冒険者だと思っている。まぁ、盛大にぶん殴られた印象が強いのだろう。
『でも、皆の見る目は変わったんじゃないかな?』
「まぁ、フランちゃんのおかげで僕は模擬戦勝てたしね」
『攻撃は全部あの子任せだったもんね』
攻撃力を代償に最強クラスの防御力を手に入れた桔音。最早攻撃自体はそれほど強くないので、ペアである以上は相方に攻撃を任せるしかなかった。剣の打ち合いなど絶対に打ち負けるので、桔音は桔音で1人では勝つ事が出来なかったのだ。まぁ模擬戦である以上、首筋に剣でも添えてやれば勝利に出来るが、実践じゃそうもいかないだろう。
故に、フランは桔音に対して騎士としての素養を全て揃えている人物と評価を押したが、敵を打倒出来ない桔音は、おおよそ騎士として必要である剣の要素が足りていなかった。
盾としては最強、剣としては最弱、それが現在の桔音である。強さも弱さも兼ね備えた存在。故に打倒出来ず、故に打倒されない。雰囲気が不気味な死神であっても、強者には見えない桔音。それというも、そういう攻守のバランスが崩壊しているからこその気配なのだろう。
「まぁ、ちょっとしたらこの学校も去るわけだし――周囲の評価は別に気にしなくてもいいか」
桔音はそう呟きつつ、寮の玄関の扉を開き、中へと入って行った。
◇ ◇ ◇
何かおかしい、と気が付いたのは、寮の中に入ってからだ。
桔音は自分の部屋へと戻る為に寮の中を歩いていたのだが、妙に視線を感じた。いつもだって視線を感じる。廊下で話していた中等部なのか初等部なのか分からない小柄な生徒達が桔音を見ていた。コソコソとなにやら噂話をしている。陰口か、と思う桔音ではあるが、どうもそんな空気でもない。
なにやら居心地の悪い空気に、桔音は早足になる。自分が何かしただろうか、と行動を振り返る。寮生活の中でちょっと可愛い女子小学生に話し掛けたり、ちょっといけ好かない男子生徒のあることないこと言い触らしたり、リアルJKである同級生が落としたハンカチを拾って匂いを嗅ぎ、持ち主を特定したりしたものの―――
「特に何かした覚えは無いんだけどなぁ」
『最近、きつねちゃんに取り憑いたの絶対間違いだったんじゃないかなって思うんだ』
「気のせいだよ」
ノエルの声に、桔音は何を言ってるか分からないという表情を浮かべてそう言った。何かノエルに悪い事をしただろうかと考え、やはり思い当たることは無い。確かにハンカチを返された生徒からは嬉しそうな表情はされなかったが、結果的にはありがとうと言われている。
本気で分からないとばかりに桔音は怪訝な表情のまま、足を進めた。
すると、
「あ、あの! きつね先輩!」
「お、っと……?」
ふと、目の前に数人の少年少女が立ち塞がってきた。制服を見る限り、中等部の子だろう。なにやら昂揚した様子で、桔音の進路を塞いでいる。貴族の男子にやったら不機嫌になられて色々と言われるような行動ではあるが、桔音が平民であることは聞いているのだろう。でないとこんな手段は取って来ない。
桔音は少しびっくりしつつも急ブレーキ、立ち止まる。数えてみると、少年少女達の人数は3人。少女が2人に少年が1人だ。どの子も見覚えの無い子達で、話し掛けられる様な関わり合いもなかった。
何か用だろうかと思い、桔音はえーと、と漏らしながら指先で頬を掻いた。
「お前言えよ……」
「む、無理だよぉ……は、恥ずかしいもん……」
「……ほ、本物だぁ……!」
なにやら少年少女達はひそひそと桔音に話し掛ける代表を押し付け合っている。どうやら勢いで出て来たらしい。更に気まずくなる桔音だが、いたいけな少年少女達を無視することも出来ない。どうしたものかと考えながら、桔音はその場で立ち尽くしていた。
すると、どうやら結論が出たらしい。3人の少年少女達は桔音に視線を向けると、3人同時に口を開いた。
「「「こ、こんにちわ! きつね先輩!」」」
「あ、うん。こんにちわ」
どもり方まで同じだったが、まずは挨拶のようだ。桔音も呆気に取られつつ挨拶を返した。
「あ、あの……今日の模擬戦、見てました!」
「凄かったです!」
「か、カッコ良かったです!」
「あ、ああうん……ありがとう」
そして3人が詰め寄る様に桔音にそう言ってくる。そこで初めて彼女達の言いたい事を理解する。同時に先程までの視線の多さも納得した。
つまり、桔音は先の授業の模擬戦でフランを不自由なく勝たせた。それは周囲で見ていた生徒達からははっきり分かる技術で、それだけで十分桔音という男を尊敬する要素になったのだ。結果、中等部の生徒達からは羨望の視線が送られ、こうして凄かったと言ってくる生徒まで出てきたということなのだろう。
元の世界ではこんなことは一切無かったので、とても新鮮な気分である。勿論、嬉しいと思った。
「それで、ですね……きつね先輩……」
「うん?」
すると、3人の内の1人、少女Aが前に出た。名前は知らないので桔音の中で少女Aなのだが、彼女はなにやらもじもじと太ももを擦り合わせ、視線を彷徨わせている。頬も若干紅潮していて、まるで告白でもするような空気を纏っていた。
もしかしてこれは告白されちゃうのかな、なんて思いながら桔音は少々期待する。今世紀最大級のモテ期が来たのかもしれないという妄想までして、女子中学生に告白されそうな状況に少々歓喜していた。
そして、意を決した様に少女はぐっと桔音を見上げた。口を開き、桔音にはっきりと告げる。
「わ、私を……先輩のモノにしてください!」
「ごめんちょっと待って想像を超えてた」
少女の言葉に、桔音は手で目を覆って天井を仰ぐ。今なんと言われたのだろうかと頭の中で思考する。
私を先輩のモノにしてください―――なんだこの展開は。桔音はこの言葉の意味を、言葉通りに受け取らない様にして、別解釈を探した。私を先輩のモノにしてくださいという言葉は、別に桔音の女になると言われた訳ではない。ならば、別解釈は幾らでも容易出来るだろう。
そして桔音はうんうんと考え、天井から視線を少年少女の方へと戻す。すると、
「私もお願いします!」
「俺も!」
「待て待て待て待て」
まさかの男女平等私物化社会かこの学園は。桔音は少年少女の連続攻撃にたじたじだ。流石の防御力もこんな所では役に立ってくれない。少女ならまだ分かるが、少年は何故桔音の物になろうとしているのだろうか。桔音には全く、さっぱり、これっぽっちも意味が分からない。
思考が停止仕掛けるのを感じて、桔音はぶんぶんと頭を振る。どうしたものか、なんて思う暇すらない。
とりあえずその真意を聞こうと思い、桔音は口を開いた。
「えーと……それはどういう――」
「待ちなさい」
「え?」
すると、桔音がその問いを放つ直前で別の声が掛かった。背後から放たれたその声は、桔音の聞き覚えのある音で――振り返れば予想通りの人物がそこにいた。
「あれ? フランちゃん」
「悪いけど、この人は私が先に誘いを掛けてるの。その返事を貰っていない内に手を出さないで貰えるかしら」
「?」
桔音の声を無視して桔音の隣まで歩み寄ってきたフランは少年少女達にそう言った。うぐ、と後退りした3人は、フランと桔音を交互に見てから少々悔しそうな表情を浮かべた後、がっくりと肩を落として去って行った。最後に桔音に一礼していったので、礼儀はしっかり弁える子なんだなと好印象である。
そして3人が角を曲がって姿を消した後、桔音はフランに今のはどういう意味なのだろうかと聞こうとしたのだが、その前にフランは桔音の腕を掴んで歩き出した。
「ちょ、何?」
「話は部屋でするわ」
「あ、そう……」
なにやら急ぎ気味のフランの言葉に、桔音は目を丸くする。どうしたのだろうかと思わなくもない。だが、話は部屋でしてくれるというので、とりあえずは大人しく付いて行く事にした。急いては事をし損じる、時間も押している訳でもないのだ。
それに――フランの横顔がなんだか焦っている様にも見えたので、桔音は話し掛けることが憚られたのだ。
「……まぁ良いか」
取り敢えず状況に付いていけない桔音は、とりあえず流れに身を任せることにしたのだった。




