屍音の弱点
文字を覚えるのは、案外簡単だった。
この世界の文字は全て、良く分からないミミズみたいな文字だったから読めなかったのだけれど、リーシェちゃんに教えて貰った所、大体が五十音表を別記号に置き換えたものらしい。漢字のような平仮名とは別の文字もあったりはするらしいのだけど、手紙や試験書類は基本的に平仮名対応異世界記号文字を使えば十分とのこと。実際、入学願書に関しても文字を教わった後に見てみれば、全て平仮名対応異世界記号文字で書かれていた。
他にも何か読めないかと思って文字が書いてあるものを読み漁って見た。読んだのは、アリシアちゃん達からの手紙だ。アリシアちゃんの手紙は普通にお礼が書かれていて、なんというか律儀だなぁと思う。アイリスちゃんの手紙は、なんかラブレター染みていた。何処でフラグ建てたんだろう? 僕、彼女に関しては結構適当こいてばっかりだったような気がするんだけど。
まぁ今ソレを考えても仕方が無いので、とりあえずは放置してある。
僕が文字を日常生活レベルで読む事が出来る様になったのは、大体勉強を始めた初日のこと。そして読むに加えて日常生活レベルで書くことが出来る様になったのは、その翌日のこと。つまり、僕は勉強するに当たって最大の難関だと思っていた文字の習得を2日で終えてしまった訳だ。
これはなんというか、リーシェちゃんも驚いていたのだけど、僕としてはもっと驚くべきことがあったので、あまり自慢出来なかった。
それというのも、レイラちゃんと屍音ちゃんが戦闘以外でも天才であることが分かったからだ。2人とも、戦闘において素晴らしく光るセンスを持っているのだけれど……なんと彼女達は僕が文字を覚えた初日で、リーシェちゃんが買ってきた受験用の参考書を全て読破し、数冊の問題集を全て正解で解きつくしてしまったのだ。何だろう、凄い敗北感がある。
レイラちゃんも屍音ちゃんも、普段の様子から完全な馬鹿だと思っていたのに……馬鹿なのは日常であって、知能やIQに関してはかなり高いものをもっていたらしい。リーシェちゃんも驚いていたけれど、なんか彼女達に関しては最早首席合格も出来るんじゃね? という評価を下していた。
だから、僕と一緒に勉強しているのはルルちゃんだけだ。彼女は普通にせっせと勉強して堅実に知識を身に付けるタイプらしく、時たま分からない所を教え合っている。正直、レイラちゃん達があんなんだと、そういう感じのやりとりが楽しかったりする。ルルちゃん可愛いしね。
それに、ルルちゃんは隠れてリーシェちゃんと実技試験の為の稽古もしているらしい。十分通用するレベルだと思うんだけど、しっかり復習するところは感心するね。そういう所も好ましいから、負けられないと頑張れる所あるよ。
さて、そんな感じで勉強しながら現在半月が経っている。入試まで折り返し地点を回ったわけだね。進行具合はといえば、まぁ順調である。
「きつね君、此処の答えは『トリティニヤ・フィレンス』だよ♪ この人は今ある魔法の基本属性の内、火と風と水、3つの属性を見つけた、魔法の歴史でも3本指に入る偉人だってさ♪」
「う、うん……」
「あ! おにーさん、そこの答え間違えた! ぷふっ……くく……! お、おにーさん……もしかしてそんな問題も解けないの? だっさ! アハハッ、超簡単な問題じゃん! だっさ! そんな問題も出来ない位ならもう死ねば?」
「………………解き直せば、いいんだろ?」
でもこの状況は些か不本意だ。
レイラちゃんが隣から参考書の記載事項を指差しながら答えを教えてくれるのは嬉しいし、普段のレイラちゃんからは想像出来ないくらい分かりやすい詳細説明が入るから、すっと頭に入る。これに関してはかなりありがたく思ってる。
でも、その反対側から屍音ちゃんが間違える度にかなり煽ってくる。物凄いウザいドヤ顔で煽ってくる。そして必ずと言って良い程死ねという言葉を入れてくる。レイラちゃんのプラス分が、屍音ちゃんのマイナスでほぼ消し飛んでしまっている感じだ。
正直超邪魔なんだけど、レイラちゃんが見逃した間違いも目敏く見つけて指摘してくるから、間違った答えが一切スルーされないんだよね。ソレを考えると、一応プラスっちゃプラスになってる部分もある。
この2人のおかげか、勉強を始めてから半月経った今、僕の過去問題集の正答率は大体8割ちょい。過去問題集も全冊全問題を解き終えているけれど、復習も兼ねて現在過去問題集2周目をやっているんだよね。
ちなみにルルちゃんに聞いた所、彼女は現在1周終えて正答率が7割程だそうだ。リーシェちゃんが心配しなくて良いと言っていたから、心配はしていない。正直、ルルちゃんがえへへと笑いながら一緒に頑張りましょうと言ってくれたから、屍音ちゃんの煽りも受け止め続けられている所がある。
「これでどう?」
「あー……うん、いいんじゃない? あ、でも……いや、うん……それでも大丈夫だと思うよ?」
指摘された所を解き直してから屍音ちゃんに見せると、彼女は凄く微妙な表情をしながらそう言った。なんというか、その態度と言葉に込められた悪意から、『間違ってはいないんだよ? でもなんというか……中途半端な、うーん……まぁいいんじゃない? 間違ってないし?』的な意思を感じた。凄い腹立つ。見せた僕が馬鹿だったよ、くたばれ自己中娘が。
「きつね君、その答えでも間違ってはいないんだけどね…………ほら、こんな風に解釈するともう少し明瞭な答えが出せるよ♪ きつね君の答えだと採点者によっては説明不足でバツ貰っちゃうかもしれないから、気を付けてね♡」
「あ、なるほど……」
「もっと言えば2ページ前の問題でも同じ感じの答えを書いてたよねぇ? 少し考えれば分かると思うんだけど、おにーさん気がつかなかったの? 馬鹿なの? 死ぬの? 死ねば?」
『がんばれきつねちゃん! 実は気が付いてたけど言わなかった! ごめんね!』
やだー、飴に対して鞭の量が多過ぎじゃないですかー?
レイラちゃんはなんだか普段と違って僕に何か教えるという状況が楽しいらしく、嬉しそうに教えてくれるから良いんだけど、完全に精神攻撃を仕掛けて来てる屍音ちゃんとふざけて意地悪してくるノエルちゃんの二重攻撃が大分精神的な疲労となって積み重なってくる。
レイラちゃんが僕の隣で結構近くにいるから、ふわふわした白い髪がたまに僕の肌に触れる。レイラちゃんはそれほど香水とか体臭を気にすることはない子だけど、女の子特有のなんだか良い匂いがした。なんというか、レイラちゃんの女子力が秒刻みに高まっている様な気がする。あの発情魔族が劇的ビフォーアフターだよ。
まぁ、レイラちゃんが知的な一面を見せると、普段とのギャップでなんとなくグッとくるものがあるよね。世間知らずの天然娘かと思えば、勉強という分野では知的な一面を持つなんて、一種の萌え要素だよね。
「ん? どーかした? きつね君♡」
「……別になんでもないよ。教えてくれてありがとう、レイラちゃん」
「? あはっ♪ どーいたしまして♡ 大好きだよっきつね君♡」
視線を横に向ければ、当然の様にレイラちゃんの横顔がある。なんだか慌ただしくてあまり見れてなかったけれど、レイラちゃんの表情というか……雰囲気かな? 纏っている空気がなんとなく最初に出会った頃のレイラちゃんとは大きく違っているのが分かる。子供っぽくて発情魔でバカで迷惑な魔族だった彼女が、今や可愛らしくも大人な女性の雰囲気を纏い始めていた。
「レイラちゃん」
「なぁに?」
「レイラちゃんは可愛いね」
「え…………ッ!?」
普段、レイラちゃんにばかり大好きだの愛してるだの言わせておいて、僕はその気持ちに応えられずにいる。
だから、素直に可愛いと思ったことを伝えてみた。せめて僕が示せる最大限の好意を言葉にしてあげないと、如何にレイラちゃんだろうときっと不安になるだろう。好きな人がいるというのは、同時に嫌いな人だと思われていないかという不安を得ることでもあると、何処かの本で書いてあったしね。
恋人になるとかその感情に答えを出すだとか、そんなことは全く出来ないんだけど、きっとこの位のことはするべきだろう。
女を泣かせる男は、その時点で最低だ。しおりちゃんを泣かせた僕は、ソレを良く知ってる。
ならば、僕を好きだと言ってくれるレイラちゃんやフィニアちゃんを泣かせることはしちゃいけないよね。
「~~~~ッ!!」
「あ」
すると、レイラちゃんは顔を真っ赤にした後物凄い速度で何処かへ行ってしまった。僕がレイラちゃんに可愛いなんて言うことなかったもんね、唐突のことでびっくりしたのか……あるいは恥ずかしかったのか……まぁ両方だろう。
まぁ、最初にレイラちゃんに遭った頃の僕が見れば……きっと目を剥いて驚くんじゃないかな。正気? とか瘴気に掛けて聞いてきそうだ。
「何にやにやしてるの? サボってないで勉強しなよ、ほら13ページ前の問2と24ページ前の問5と4ページ前の問8と問10、全部間違ってるから」
「間違えた時に言えよクソガキ。面倒だろうが」
「ソレが狙いだって分からないの? 間違いに気付かないスカスカの脳味噌を恨めば? てかそんな頭で良く生きてられるね? 恥ずかしくないの? いっそ死ね」
「よーし分かった、後で覚えとけよ、熱い風呂に叩き込んでやる」
「え、やだ!! ごめんって……謝るから、それだけは許して……」
レイラちゃんの微笑ましい様子に頬が綻ぶのを感じていると、屍音ちゃんが殺意が湧く様な煽りをぶっこんできた。とりあえず後で風呂に入れることを心に決める。
途端に慌てだす屍音ちゃん。何故なら、彼女はお風呂が大の苦手なのだ。この半月の間で、僕達は宿に付いているお風呂に毎日入っている訳だけど、屍音ちゃんが一切入ろうとしなかったんだよね。しばらく放っておいたら流石に臭くなってきたから、無理矢理お風呂に入れたんだけど……あの時は驚いたね。
お風呂に向かう際、あの屍音ちゃんが血の気が失せた様な青褪めた表情を浮かべた後、かつてない程必死に抵抗してきたんだから。文句を言う訳でなく、ただ必死にお風呂から逃げようとしていた姿は、今でも印象に残っている。
そしてその後がもっと驚愕だった。抵抗虚しく、強引にお風呂に浸からされた瞬間、自己中心の究極系でありクソ生意気な我儘娘である『あの』屍音ちゃんが、泣いたのだ。そりゃもうわんわん泣いた。
流石の僕も、あの時は罪悪感を感じずにはいられなかったね……だって見た目小学生だもの。まぁ事情を聞いたら、お風呂が苦手なだけだったけど……心身を綺麗にされる感覚が、心の底から気持ち悪いんだそうだ。意味が分からないけど、なんか納得してしまった。
まぁそんな訳で、それ以来、抵抗してもお風呂に無理矢理入れられることがトラウマになったらしい。
「ダメ、今日絶対お風呂に入れる。その捻子曲がった性根を浄化されてしまえ」
僕の言葉に顔を青褪めさせた屍音ちゃん。トラウマを抉るのはあまり好きじゃないんだけど? まぁ? 必要悪とも言うし? ぶっちゃけ屍音ちゃんなら全然心が痛まないから遠慮なくやれる。
さて、それじゃ勉強に戻ろう。
「ちょっと待っておにーさん、ほら子供の言うことを真に受けるのは大人としてどうかと思うよ? だからお風呂は止めた方が良いって。それに女の子の服を強引に剥ぐのは犯罪だよ? いくらおにーさんが屑で変態の鬼畜性犯罪者といってもさ、やっぱり一定の線引きは必要だと思うな私。そのスカスカな脳味噌使って良く考えてみてよ。おにーさんが究極的に頭悪いとしても、常識的な問題だから分かるはずだよ? だからね、お風呂はダメなの。分かるよね? おにーさん、聞いてる?」
僕は服をくいくいと引っ張りながらあれやこれやと言い訳する屍音ちゃんを無視して、間違えていたという問題を解き直すのだった。
レイラちゃんが優しく勉強を教えてくれたら勉強する人挙手。
屍音ちゃんに煽られながら勉強を見て貰いたい人土下座。




