手紙
ルークスハイド王国を出発してから、桔音達は順調にクレデール王国へと向かっていた。馬車を使う必要は、桔音の瘴気が『瘴気支配』というスキルに変わってから無くなってしまっている。全員が瘴気の上に乗って、悠々と空中を浮遊して進んでいた。
途中で遭遇する魔獣を瘴気に変換し、その度に桔音のステータスが大きく向上する。そしてソレに比例する様に瘴気の速度も速くなっていく。変換し、レベルが上がり、ステータスが向上し、レベルが1に戻り、また変換して――といった風にループするその高速のレベルアップ法は、瞬く間に桔音のステータスを屍音と戦っていた当時まで引き上げていった。
そして、その頃には桔音達の乗る瘴気の移動速度は、普通の魔獣では到底追い付けない程になっている。現代地球において比較するのであれば、新幹線と同等程だ。それ以上の速度も出せない事は無いけれど、自動車の様な形態を取っている訳ではなく、魔法の絨毯の様にただの瘴気の板の上に乗っているだけなので、空気抵抗のこともあってこの速度に抑えているのだ。
この程度の速度であれば、桔音達も余裕を持って座っていられるし、周囲の景色を見て楽しむ程度のことも出来るというものだ。
通り過ぎ様に魔獣達を瘴気変換することはもうしていないのだが、それでも桔音達が通り過ぎる瞬間、傍にいた魔獣にリアがちょっかいを出すこともあり、見逃される魔獣よりも死んだ魔獣の方が多かった。
「どーん……うふふっ……消し飛んだー、るるる~……♪」
ぼそぼそとそんなことを呟きながら、ケラケラ笑うリア。狂気の妖精だけあって、理性を狂気に呑まれていなくともそれなりに狂っている様だ。何やら魔法で魔獣の身体を爆散させては、鼻歌を歌って笑っている。彼女の中には確かな狂気もあり、確かな理性も存在していた。鬩ぎ合っている訳ではなく、共存という形で両立しているのだから、彼女もある意味特殊な存在と言えるだろう。
とはいえ、彼女の理性が狂気に飲まれることを望めば、途端にその狂気は彼女の味方をして、彼女の理性を飲み込むだろうし、彼女の望み通り狂気の妖精の本懐を成すことだろう。
桔音はリアを止めることはしない。彼女が魔獣を殺すのは、彼女がやりたいと思うからではない。彼女が気まぐれに起こしている現象の様なものなのだ。殺したいから殺すのではなく、狂気の発散が殺しという形で出ているだけ。つまり、この現象は恐らく殺しだけではなく、別の形でも出てくる。あるいは大声を出すことであったり、あるいは自傷行為だったりだが……まぁ最も多いのは殺しであることは変わりない。
「なんで私だけこんな扱いなの? 納得いかないんだけど」
「逃げられても困らないけど、一応?」
すると、瘴気で瘴気の板に仰向けのまま拘束されている屍音の呟きに、桔音はそう返した。
彼女は現在板から伸びる瘴気の拘束具により、板に張り付けにされている。瘴気の拘束は、拘束は出来るモノの締め上げることは出来ない。桔音の筋力値では、屍音の身体を締め上げることは出来ないのだ。しかし、桔音の耐性値を持った瘴気の拘束具を破壊することも、屍音には出来ない。
桔音は未だに屍音の処遇を決めあぐねていた。彼女を殺すことは、きっと桔音達にとってはメリットしか及ぼさないだろう。デメリットなど一切無く、ただ彼らにとっての脅威が1つ減るだけのこと。しかし、桔音がそうしないのは、理由があった。漠然としていて、気にしなくても良い様な理由が。
ただ単に―――嫌な予感がする。
それだけなのだ。屍音を殺せば、何か嫌なことが起こりそうな、そんな予感。桔音のその予感が、桔音に屍音を殺させることを躊躇させていた。今までも何度かあったこの嫌な予感、虫の知らせとも言える様なそんな不快な感覚……嫌なことにこの予感は今まで、外れる事はなかった。天使との戦いの時も、魔王との戦いの時も、腹の中を虫が蠢く様なぞわぞわとした感覚に囚われた。そしてその度に命の危機に晒された。
だから、桔音は二の足を踏む。屍音を殺すという決断に、いまいち踏み込めずにいるのだ。故に、こうして拘束しておくしかない。しかし、ずっと拘束し続けることは出来ない。いずれ彼女の拘束を解かなければならない時が来る。その時が来たら……桔音はどうするだろうか。
「ま、いいか……そろそろ休憩しよう」
「ん、分かった」
桔音の言葉と同時、緩やかに速度を落とす瘴気の板。完全に停止した後、桔音達は地面へと下り立つ。クレデール王国までは大分遠い。宗教国家と呼ばれた国よりかは近いといっても、やはりそれなりに距離はあるのだ。
休憩も挟まずぶっ続けで移動し続けられる程、近い場所にはない。国境を超えるまでしばらく掛かる。
「それじゃあ、昼食を作るよ。きつね達は適当になにかしててくれ」
「分かった」
リーシェが軽く食材を出しながらそう言うので、桔音はその辺に座って寛ぎ始めた。レイラやフィニア、ルルも同様にその辺に座る。幸い、この辺は草原で天然の芝生となっているので、それほど座り心地は悪くなかった。軽く料理が進んでくると、良い匂いも漂ってくる。まぁ下拵えの段階で漂ってくる匂いは、最早食材そのものの匂いであって、リーシェの料理の完成を待てば、もっと良い匂いが漂ってくることだろう。
さて、どうしたものかと桔音は暇を潰す方法を探した。すると、ふとオリヴィアから貰った餞別の中にあったアリシアとアイリスの手紙のことを思い出す。
この際だ、此処で読んでしまおうと桔音は手紙の入った2枚の封筒を取り出した。うっすらと黄色い封筒と、うっすらと青い封筒。おそらくは黄色い方がアリシアで、青い方がアイリスなのだろう。まぁ、色的なイメージだが。
「えーと……何々?」
桔音は2つの封筒を開封して、中に入っていた文字の書かれた紙を取り出した。
◇ ◇ ◇
―――親愛なる友にして捻くれた英雄、きつねへ
まずはお礼を言わせて貰う。
お前がこの国に来てから起こった様々な事件や災難を、お前は国の為という訳ではないにしろ、解決へと導いてくれた。
そもそもの始まりは私の誘拐事件だったわけだが、あの一件も含めてお前には世話になり過ぎた様な気もする。
お前が来たから国に災難が訪れたのか、それとも国に災難が訪れたからお前が来てくれたのか、ソレは良く分からないけれど、私は後者だと思うことにする。何故なら、お前が来てから起こった災難、戦い、その全てを含めても……お前と出会えたことは、補ってあまりある幸運だったと思えるからだ。
また、アイリス姉様も図書室から出てきて、私達と共に食事を取る様になった。最早姉様は日陰者ではなく、れっきとした王女としての風格を身に付けている。オリヴィア姉様もお前と出会ってから何か考え直した部分があるようで、これからは3人で王政を執ることもあると思う。それはきっと、ルークスハイド王国を更に良くするだろう。
私の……まぁアリスとしての経験と才能は反則と言っても過言ではないだろうが、それに加えてアイリス姉様の民と共に在ろうとする王格、オリヴィア姉様の親交を深め、根っこの部分から支えようとする縁の下としての王格、これだけ揃っていて良い国にならない方がおかしいだろうさ。
さて、ここまでは礼として、ここからはアリシアというお前の友人として筆を執るよ。
何の因果かこの時代に転生した私は、お前という人間と友人になったことが前世も含めた過去全てにおいて、最も捻くれた美点だと思うよ。お前は捻くれてて、素直なのか素直じゃないのか分からない性格をしていて、でも仲間にはそこそこ優しくて、敵であっても容赦がないのかそうでないのかが分からない。掴みどころがないんだろうな。
冒険者、自由の人という名もあながち間違いじゃないんだと思えたよ。
お前によって変えられた事は多いのに、お前が正当な評価を受けない。そこはあまり納得し難い所ではあるが、やはり何度言ってもお前は聞かないのだろうな。
いつも通り、薄ら笑いを浮かべて評価を受け取らないのだろう。
だから、私だけはお前を正しく評価しよう。
お前は勇者以上に勇者らしく、絵本の中にいる王子様の皮を被った魔王みたいな存在だ。故に死神、だなんて二つ名が与えられているんだろう? お前の持つ気配は人に好ましい印象は与えないからな。
なんにせよ、私は友人としてお前のことを好意的に思っている。また我が国へとやって来る時を待ちながら、この国をより良いものへと変えて行くよ。
ではまた会いましょう―――私の英雄さん
アリシア・ルークスハイド
◇
きつねさんへ
手紙を書くのは初めてなので、上手く言葉に出来るか分かりませんけれど、頑張って書いたので読んで貰えると嬉しいです。
きつねさん、貴方は私にとって英雄で、友人で、そして……えと、素敵な人です。
初めて会った時は、ちょっと怖いなって思っていたんですけれど、話して行く内に段々と打ち解けていって、気が付けば貴方は私を図書室の中から引っ張り出していました。
それも、私を強引に引っ張りだすのではなく……私の意志で扉を開けさせるといった方法で。
貴方がいたから、私はあの図書室から出て来れました。本に囲まれて、細々とただ時間を浪費していた日々から決別して、私は多くの民の前に踏み出すことが出来ました。ありがとうございます。とても感謝しています。お、お礼に……ほっぺにキスくらいならしてあげても良いですよ? 今のはなかったことにして下さい。
ともかく、私が成長し王女としての人生を歩み出したことで、きっと変わったこともありますし、変えられることもまだまだいっぱいある筈です。なので、きつねさんの言葉を心に、これから頑張っていこうと思います。
冒険者という立場は、死が付き纏うと聞きます。私の勝手なお願いできつねさんに冒険者を辞めろ、だなんて言うことはできません。なので、これは単なるお願いです。
死なないで下さい。もう一度、私と会って下さい。
もう一度会えたその時は、ちょっとだけ勇気を出してみたいなと思います。きつねさんの周りには素敵な女性がいっぱいいるので、少し気後れしてしまう部分はありますけれど……それでも私は私なりに、自分の想いから逃げません。
貴方に伝えたいことがいっぱいあるんです。貴方と話したいことがいっぱいあるんです。貴方としたいことがいっぱいあるんです。
王女としてではなく―――アイリスという女の子として、私はもう一度貴方に会いたい。
それではもう一度会える時を楽しみにしています。また会う日まで、お元気で。
アイリス・ルークスハイド
◇ ◇ ◇
手紙に一通り目を通して、桔音はふぅと溜め息を吐いた。そして、丁寧に手紙を折り畳んで封筒に戻し、そのまま『魔法袋』へと入れた。
手紙の文字数はそれほど多くはなかったけれど、桔音は随分と長い間手紙の文字を目で追っていた。その姿は声を掛けられるような雰囲気でもなく、真剣な様子だったので、レイラ達も放っておいたのだが……手紙を仕舞った桔音は、何か深く考え事をするように眉をひそめた。
いつの間にか先程よりも良い匂いのするようになった場所で、桔音は大きく息を吸う。
そして、ため息交じりに誰にも聞こえない声でぽつりと呟いた。
「はぁ……読めねー……」
桔音は文字が読めなかった。
アリシア:親愛の手紙
アイリス:ラブレター
流石きつね君空気読めない。




