加速する狂気
階段を下りたリーシェが、おそらくフィニアの魔法によって溶岩となった土の塊の向こう側、桔音達のいる空間を視界に収めた時、そこには想像を逸した光景が在った。
階段下でああ言っていたレイラ達も、茫然としている。そこには自分達のパーティリーダーである桔音と、魔王の娘である屍音が戦っている光景があった。
初代勇者である神奈は、今代勇者である凪の傍に居て、巫女も目を覚ましていた。なにやら見た事のある白い光の輪に包まれた結界が、3人を包みこんでいる。見た所、凪はギリギリで命を繋ぎとめているらしい。あの結界にどんな効果があるのか、それはリーシェ達にも分からないけれど、凪の身体が白い光に包まれている所を見ると、治癒の力なのか、それともまた別の力なのか、と言ったところだろう。
そして、桔音と屍音の戦いは壮絶なモノだった。両者が地面を蹴ってぶつかる瞬間、地面に大きな亀裂が走る。壁は吹き飛び大きく抉れ、天井などなかったかのように空が広がっていた。
屍音とぶつかって、大きく後退した桔音の動きが一瞬だけ止まる。その時、リーシェの眼には桔音の瞳から青い光が尾を引いたのが見えた。つまり、『鬼神』が発動しており、桔音のステータスが大幅に向上しているということだ。
高速で動く屍音の拳と魔力剣を、桔音は凄まじい速度で手首を軸に回る漆黒の棒で受け流していた。打撃音が間髪入れずに連続し、その度に衝撃波と血が周囲へ撒き散らされている。
桔音の頬に、一筋の傷が出来る。魔力剣が掠ったのだ。
屍音の口から、大量に息が吐き出された。漆黒の棒の柄が腹へと入ったのだ。
全くの互角。
しかし、桔音は命を削る様なパワーアップに加え、魔眼や精霊、使えるモノは全て使って戦っているのだが、屍音は今だスキルを使っている様子は無い。魔力剣に加えて魔力弾、そして転移を使っての超高速戦闘を行っているに過ぎない。
力の差は歴然だった。おそらく、これ程の天賦の才ならば固有スキルも保有していることは明白。しかし屍音はまだソレを見せていないのだ。魔王に監禁されていた故に、彼女の持つスキルの数は少ない可能性は高いが……それでも彼女が転移以外のスキルを使っていないのは、それだけ彼女も隠し持っている手札があるということ。
底の見えない彼女の実力に、桔音はそれでも笑っていた。
「―――そろそろ動きが見えて来たぜ?」
「アハハッ! おにーさんこそボロボロだけど?」
もう何度目かの衝突。桔音は屍音の拳をその漆黒の棒で受け止め、鍔迫り合いで拮抗する。それにより、空間の中央で動きを止めた桔音と屍音……お互いに蒼く煌めく瞳が交差し、吊りあげた口端で笑みを浮かべていた。
桔音は頬から一筋血を流し、学ランも所々引き裂かれた様に破れている。『鬼神』によって爆発的に増大した耐性値のおかげで、傷は直ぐに回復するのだが……この戦闘に置いては治るよりも速いペースで傷が増えて行く。じわりと滲む血に、桔音は一切苦痛の表情など浮かべない。
屍音の肉体には、一切傷は無かった。柄で腹を突かれたりはしたものの、それは動いている間にすぐ回復する。そもそも桔音の攻撃は、1発でも喰らえば一撃でやられてしまうほどの危険性を含んだ物ばかりだ。ソレを超感覚とも呼べる直感で躱し、尚且つ自分の攻撃を当てている屍音は相当強い。
斬られれば確実に精神が恐怖に包まれる―――『死神』
斬られれば確実に分解、感染する瘴気の刃――『病神』
斬られれば確実に消滅する破壊の鉄槌――――『武神』
斬られれば確実に存在が帰する回帰の太刀――『初神』
組み合わせればもっと存在する『死神の手』の換装刃の数々。その全てがスキルの刃であり、スキルの効果を最大限に発揮する刃となっている。一撃でも貰えば、如何に屍音といえどただでは済まないのだ。
だからこそ、化け物染みた危険察知能力で躱し続けている。言わば、桔音は一撃必殺の塊とも言える戦闘スタイルを確立していた。
もっと言えば、桔音の戦闘スタイルは今、『鬼神』によって活性化された100%の脳によって余すところなく制御、昇華、使いこなされている。通常時であれば桔音も使いこなすことが出来ず、屍音と相対すれば確実に生まれた隙を衝かれていたことだろう。
しかし、それを可能にするのが『鬼神』というスキルだ。
故に、屍音は今までにない集中力を発揮して戦闘に望んでいる。正直、桔音の言う次元の違う戦いというのが、身に染みて理解出来ていた。
風を切る音と共に振るわれる漆黒の棒が、鍔迫り合いを終え、ひゅんと回されて屍音に迫る。装着された刃は―――『武神』。
「ッ……!」
「おや、また躱したね。良く動くもんだ」
しゃがんで巨大な刃をすれすれで躱した屍音は、大振りの後の隙を衝いて桔音に魔力剣を伸ばす。しかし、桔音は空振った瞬間に『武神』を消し、次なる刃へと付け換えていた。しかも、先程刃が付いていた方とは逆側にだ。ただの棒故に、どちらの先端にも刃を付けることが出来るという利点を、存分に有効活用していた。
遠心力とてこの原理によって、空振った棒の先端の反対側の先端が前に出る。身体ごと一回転して桔音は大鎌『死神』を屍音に向かって振るっていた。
魔力剣が桔音の目の前で瘴気に阻まれる。ギィン、と甲高い音を立てて魔力剣が防がれ、その瘴気の向こう側に見えた左眼は――翡翠色に染まっていた。先読み、『先見の魔眼』で読まれている。
「アハハ! あっぶないなぁ!」
しかし、屍音は迫りくる死神の大鎌を、桔音の持つ漆黒の棒の部分を蹴ることで対処する。その反動で大きく距離を取りつつ、自分に当たるすれすれで大鎌の刃を止めることに成功している。
一歩間違えれば死神の刃に精神をやられていたかもしれないというのに、寧ろその武器そのものに触れに行くという対応は、さしもの桔音も少しだけ驚きだった。
だが、桔音と屍音の戦いは攻守の差が拮抗している以上、互角のモノだった。
とはいえ、戦いが長引けば長引くだけ、桔音の技術を盗み取る屍音は、長期戦になればなるほど強くなっていくし、戦いが長引けば長引くだけ、経験の差で桔音には屍音の動きが理解出来てくる。
屍音が技術を手に入れ昇華し超スピードで強くなっていくのに対し、桔音は未だまともな戦闘経験に疎い屍音の経験不足による単調な動きを掴んでいく。
そういう意味でも、お互い互角の戦いを繰り広げていた。拮抗が崩れる時は恐らく、どちらかが一瞬のミスを犯した瞬間なのだろう。
「凄い……きつね君、こんなに強かったんだぁ……♪」
ソレを見ていたレイラがぽつりと呟く。今まで、桔音の本気というものは何度も見てはきた彼女達ではあったが……それでも桔音の全力というものは見たことがなかった。『鬼神』を発動した時が全力という訳ではない。それも条件の1つではあるが、桔音がこのスキルを発動した上で――
―――殺意を持って臨んだ戦いはコレが初めてなのだ。
今までは『鬼神』を使っても、明確に相手を殺すという意志は希薄だった。何故なら、桔音には敵対するだけの理由がなかったからだ。
しかし、此処にきて初めて、桔音は屍音を明確に殺すべき相手として捉えた。
それは今まで以上に桔音を戦闘において強くする。何せ逃げよう逃げようとほぼ全ての力を逃走……つまり防御に使っていた桔音が、その全ての力を相手を殺す為、つまり攻撃に使う様になったのだから、当然だろう。その差はおよそ、桔音を今までの倍は強くする。
「さて、屍音ちゃん。君はどうやら僕を殺したいとのことだけど、その理由を聞いても良いかな?」
「何? 気になるの? アハハッ☆ どうしよっかなぁ?」
「あ、別に良いや。興味ねーし」
「そういうトコがムカつくからだよ! アハハハハッ☆ ぶっころーす!」
再度桔音と屍音が地面を蹴る。
だが、今度は拮抗した結果にはならなかった。なんと、桔音の持つ漆黒の棒の先には漆黒の薙刀『病神』が付いており、桔音の身体を真っ黒な瘴気が包み込んだからだ。
―――『瘴気暴走』
直線移動において、瘴気を利用して圧倒的な加速を可能にした、故意的な暴走技である。ソレを使って桔音は今までにない加速を見せ、まさしく瞬間移動の如く屍音の懐に潜り込んだのだ。そして身体が瘴気で包まれていた故に、『病神』の刃すら隠したのだ。
その結果、細胞であればやすやすと切り裂くその分解の刃が、意表を衝かれた事もあって隙を見せた屍音の左脇腹から右肩までを斜め一直線に―――切り裂いた。
「なっ……痛っ……!?」
「ほぅら、もうすぐ死んじゃうよ?」
驚愕に目を見開く屍音に、桔音は恐ろしいほど不気味に薄ら笑いを浮かべた。消えた瘴気の中から桔音が出てくると、振り上げた漆黒の薙刀を消し去り、即座に『初神』へと切り替える。
そして、返す刀でそのまま屍音に振り下ろす。当たれば彼女の全ては凄まじい時間回帰と共に巻き戻され、容易く殺すことが出来る程弱体化することだろう。
しかし、それが直感で危険だと分かっているからだろうか、屍音は深々と切り裂かれた胴体を無視して、その場から大きく後方へと転移して躱した。
「……いったいなぁ……ほら見て、服がすっぱり切れちゃったよ?」
ひらり、と屍音の着ていた服が落ちる。結果、切り裂かれた場所から下……右胸やおへそが空気に晒された。ドクドクと切り裂かれた傷から大量の血が溢れ出ているが、耐性値が高い彼女の肉体は、既に治癒を開始していた。
だが、その傷の治りは今までと全く違って、治癒速度が遅い。屍音もソレに気がついたようで、何故だと自分の傷口を見る。
すると、傷口には漆黒の瘴気がまとわりついていた。じくじくと傷口を広げている。治癒速度と拮抗して、瘴気が傷口を塞がせずにいたのだ。
「コレ……!」
「あはは、僕の瘴気の分解速度が君の治癒速度よりも若干上回っていることは、さっき確認済みだ……言っただろう? 『もうすぐ』死んじゃうよって―――」
つまり、先程まで屍音は桔音に対して何度も王手を掛けるほど追い詰めていたが、今回はその逆……桔音が屍音に対して王手を掛けたのだ。
瘴気がどんどん傷口を広げ、その上で屍音の肉体を少しずつじわじわと瘴気へと変換していけば、屍音は死ぬ。つまり、桔音の勝利だ。
「……」
「どうかした? 初めて死ぬかもしれない事態に怖くなったのかな?」
桔音はへらへらと笑って、自分の傷口を見て俯く屍音にそう言う。ささやかな右胸が露出しているので、視線は余所を向いている所が如何にもな反応だが。
しかし、屍音の様子は桔音の言葉とは違って、絶望や恐怖といったモノとは全く逆だった。
屍音の肩がぶるりと震えた。そして、ふふふ……とその口から笑い声が漏れてくる。自分の身体を抱き締める様にして少し前屈みになった彼女は、その笑い声を段々と大きなモノへと変えていった。
瞬間、大きくなる狂気の威圧感。桔音も視線を屍音に戻し、警戒心を全開にして武器を構えていた。瘴気を生み出していつでも楯に出来る様備え、屍音の一挙手一投足を見逃さない。
「アハッ……アハハッ……アハハ、ハハははハハはハハハハハハはハハ!!!」
「……なんだ……?」
屍音はふらふらと身体を揺らしながら、その黒いグローブに包まれた手をすいーっと振り上げた。
そして驚くべきことに―――自分の肉体へと突き立てたのだ。ぐちゅ、ぐちゅ、ぶちぶち、びぃぃ、という肉を裂き、抉る音が空間に鳴り響き、同時に屍音の足下が彼女自身の血で赤く染まっていく。桔音もその光景に、正直目を見開いた。狂気によって本当に理性まで失ったのかと、そう思った。
しかし、そうではない。彼女はしっかり自分の理性を保ちながら、その行動をするに至っている。
その理由は直ぐに分かった。彼女は、自分の傷口となっている部分を――いうなれば瘴気が張り付いている部分を、自分の肉体を削りとることで失くしたのだ。そして抉り取った後からは内臓が若干見え隠れしており、骨も見えた。
後方でルルとリーシェが堪え切れずに吐いた音が聞こえた。フィニアやレイラも、気分の悪そうな表情を浮かべている。
すると、その抉り取った部分には瘴気が張り付いていない故に、その凄まじい耐性値が発揮して、即座にその大怪我が治癒していく。神経が修復され、血管が修復され、筋肉が修復され、皮膚が修復され、そしてソコは綺麗な白い柔肌へと姿を変えた。
強引で、常人には出来ない傷の治し方……屍音は未だに笑っている。
「―――アハハハッアハハハハハあははアハハハハ!!!」
「こりゃ本当にヤバい部類の奴だなぁ……」
狂った様に……いや、狂っている彼女が笑う。桔音はぼそりと呟いた。
すると、ぐりん、と彼女の首が桔音の方へと方向を変えた。光の消えている青い瞳が、桔音をじっと見つめている。
「おもしろーいおもしろーい……おにーさんオニーサン、楽しいナ☆ アハハハッ! もっと、もっと私を楽しませて? ソレでねそれでね? すっごく残酷で、無残で、ゴミの様に死んでほしいなぁ……アハハッアハッ……! おにーさんの中身はどんな形? うふふあはは、すっごーい! おにーさんさいこーだよ! 惚れちゃいそうだよ……!! アハハッ☆ これなら私も本気でやれそー……だからねおにーさん――」
言葉に乗る狂気が更に増大する。血走ったその瞳は、最早激昂というよりは、絶頂とも取れる程の興奮と悦楽を秘めている。桔音という存在が、これほどまでの存在とは思わなかったのだろう。
これほどまでに強く、これほどまでに楽しく、これほどまでに恐ろしい存在だとは、露とも思わなかった。
そして、だからこそ彼女はその興奮の中で桔音を殺した時の快感と感動を想像して、ぶるりとと身体を振るわせる。なんと彼女は、狂気の笑みと熱い吐息の中で、失禁していた。脚を伝って、足下に血交じりの水たまりが出来る。
涎すら流しそうなそんな恍惚とした表情のまま、濃厚な狂気の中三日月の様な笑みと共に彼女はこう言った。
「―――世界で一番素敵な殺し方で、愛してあげる……☆」
彼女の狂気はまだ、加速する。
屍音ちゃん、狂い過ぎィ……!




