戦いの渦中
―――どこだ、どこだ、どこだ……!
探せ、探せ、魔王を探せ。
今、目の前にいる正気を失ったドランさんの、背後で笑っているであろうあの化け物。確証はないさ、それでもあの魔王以外に原因が考えられない。なにしろ、周囲には多くの人がいたというのに、わざわざ僕達に向かって斬り掛かって来たのだから。
考えられる可能性としては、クロエちゃん達が何かに狙われているか、だけれど……襲撃した時の様子を見れば、その可能性も少ない。やっぱり魔王の仕業と考えるのが1番無難だろう。
「っ! 全く……随分と面倒なッ……!」
「ご、ろぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「いい加減邪魔、だよ……っ!」
暴れるドランさんは、正気を失っている癖に戦闘技術はそのまま振るってくる。
踏み込むタイミング、斬りかかる速度、隙を作る立ち回り、そして何よりその巨体から生まれる威力は凄まじい物がある。
防御力で勝っているから、その攻撃は全部僕の身体を傷付けるに至らないけれど、例えば上段からの斬り下ろし。腕で防ぐけれど、その威力は重い。迫りくるプレッシャーと威圧感も加わって、想像以上の威力に思える。
それこそ―――僕の靴が、数ミリ地面に沈む程には。
「このっ!」
「シッ!!」
しかも、僕がカウンターで攻撃をしようとしても、ドランさんはそれを軽々と躱す。筋力的にも大きく上回っているんだ、その速度はドランさんの速度よりも速い筈なのに、ドランさんは僕の動きが素人な故に、動きを読んでいる。
正気を失っている癖に、その辺は普段通り……厄介極まりない。
まるで、野性化したバルドゥルに、フェイントの取捨選択能力が備わった様な、一片の隙もない感じだ。気絶させることも、殺す事も出来ない。
既に、戦いの場所も宿の前からかなり移動している。時には屋根の上を、路地を、大通りを駆けて、戦っている。防戦一方、攻勢一方の両極端ではあるけれど、実力は恐らく、相性でいえば拮抗していた。
「何処かに……必ずいる筈なんだ……!」
「ころころごろごろころろろろろろろろろぉぉぉぉ!! ころぉぉぉぉぉずぁああああ!!」
「殺す殺す煩い!」
振るわれる剣を、手の甲で逸らし、カウンターで拳を叩きこむ。でも、ドランさんは片足を軸に回転し、僕の拳を躱した。そしてその勢いのままにまた剣を振るう。僕はしゃがんでそれを躱した。
「面倒臭いなぁ……」
魔眼を使っても、僕の動きが読まれているのなら、先読みし合って結局意味がない。先読みの利点が無くなってしまうんだから。
あとは瘴気だけど……ドランさんには1回見せてるからか、瘴気が出ると異様に警戒してくる。拘束も出来ないし、まず触れようとはして来ない。瘴気のナイフで斬り掛かっても、剣で受け流される。
警戒心の高いドランさんに、瘴気の攻撃や拘束を当てるのは難しい。
やっぱり、僕1人じゃ事態は好転しない、か。
「……レイラちゃんとリーシェちゃんがいればなぁ……!」
ドランさんと距離を取りながら、そう呟く。宿に居た時に、レイラちゃん達と合流しとくべきだったかなぁ。そうすれば少しはこの状況も打開出来たかもしれない。
と、そう考えたその時だ。
「きつね!」
僕の名前を呼ぶ声が、近づいて来た。視線を向けると、そこにはリーシェちゃんと、その背後から付いてくるレイラちゃんがいた。
なんで……ああ、なるほど、クロエちゃんが助けを求めたのか。ありがたい、後で何かお礼しないとね。
「リーシェちゃん、レイラちゃん、ドランさんが何かに操られてる……僕がドランさんを抑えるから、2人は原因を見つけて欲しい」
「っ! ドランさんが……分かった、犯人の予測は付いてるか?」
「多分だけど……魔王だと思う。今朝、僕の前に現れたからね……見つけたら戦わなくて良い、僕の所に戻って来て」
そうじゃないと、リーシェちゃんもレイラちゃんも死ぬからね。魔王は、完全に僕達の想像を超える化け物だ。
最悪、僕でないと相手にならないだろう。もしかしたら、僕でもヤバいかもしれないけどね……防御力でいえば負ける気はしないけれど、この世界の強さはステータス上の数値じゃない。それに、魔法に対して僕の耐性が効くのかも分からない。
僕の防御力は、絶対じゃない。
「……あの、きつね……君」
すると、僕の言葉に頷いたリーシェちゃんとは違って、何か思いつめた様な表情のレイラちゃんが前に出た。身体の前で指を絡ませて、視線を地面に向けながらもじもじしている。
その様子を見れば、何を言わんとしているのか察せない僕じゃない。
そんな状況じゃない、と言いたくなるけれど……これは僕とレイラちゃんにとっても大事な話だ。まして魔王相手だ、話が出来る今、言っておくべきことなんだろう。
「あ…………その……あ、後で、話があるの」
「……分かったよ」
「う、うん……それじゃまた後でね」
「レイラちゃん」
「え?」
勇気が出なかったのか、レイラちゃんは後で話があると言った。此処で言うべきことじゃないと判断したのかもしれないけれど、後に回したら2度と話が出来なくなるかもしれない。
だから、これだけは言っておかないとね。今の僕が出せるだけの応えを。
「僕は、レイラちゃんの言葉をちゃんと聞くよ……だから、怖がらないで?」
「! …………うん♪」
レイラちゃんはにっこり笑って、走り去る。リーシェちゃんも、それに付いて行くように走り去って行った。
魔王を見つけて欲しい。そして必ず生きて僕の所に戻って来るんだ。
僕はそれまで、この暴走したドランさんの相手をするからさ。
「待たせたねドランさん」
「ぅ……ぁ……あか、あか、あかあかあか、アカ赤赤赤い……あかかかかかかかぁぁぁぁああ!!」
「ッ!?」
僕達を警戒していたのか、ドランさんは不思議と動かなかった。
でも、それは警戒していた訳じゃない。ドランさんは、今、復讐心に囚われている。そして、どういう訳か我を失い、暴走している。
となれば、内に秘めた復讐心が、理性で抑えられていた復讐心が、暴走しているといっても過言ではない。
そして、さっきまで此処には『誰』がいた?
―――ドランさんの復讐の相手、憎悪の対象、妻の仇……『赤い夜』が居た。
暴走しているのが復讐心だったとしたら……その矛先はレイラちゃんに向かう!
「―――ッッッころぉぉぉぉぉぉぉぉおおおずぁぁあああ!!!」
「ッ! 待っ―――」
ドランさんが地面を蹴って、僕に迫る。
いや、違う。僕じゃない、狙いはレイラちゃんだ。ドランさんは僕の横を通り抜けて、レイラちゃん達の走り去った方向へと駆けて行く。
不味い、追わないと……!
僕は地面を蹴って、ドランさんを追う。瘴気の空間把握を展開し、ドランさんの気配を捉え続ける。筋力的にも、速度的にも、今は僕の方が上なんだ。いつかは必ず追い付ける。あの高速歩法の技術は厄介だけど、気配を追って先回りすれば追い付ける筈だ。
「厄介事ばかりだよ……本当に……!!」
◇ ◇ ◇
「ッハハハ! なんだ2人目……人間の身でありながら、獣の刃をその身1つで防ぐか! どこまでも面白いな……益々興味が湧く。異世界人はやはり面白い……であれば今代の勇者も期待出来そうだ」
魔王は、嗤っていた。
桔音とドランの戦いを見て、桔音の異質さを見て、高らかに嗤っていた。
元々、人間という存在は耐性値において成長の限界がある。出自、資質、体質、鍛錬、生きて来た時間、それら全てが最高のコンディションだったとしても、手に入れられる耐性値はそれほど高くない。
にも拘らず、桔音はその耐性値において無類の強さを持っている。
この世界にやって来る異世界人は、勇者のみ。だからか知られていないが、異世界の人間は、この世界に来るとその拍子に魂の質が変質し、それに応じて肉体にもそれ相応の特殊な変化が訪れる。
それは、人によって違うが、この世界においてもその力は強力かつ最強の武器になる物ばかりだ。
特殊、異質、奇怪、その力の方向性は、例えば凪の様に固有スキルに現れたり、桔音の様にステータスに現れたり、過去の勇者達もそれぞれ違っているが、この世界の人間は皆その力を、『勇者の特別な力』だと勝手に思い込んできたのだ。
例えそうだったのなら、異世界の人間は誰でも勇者になれるというのに。
「だが、あの堅さ……並大抵では得られぬ代物……もしかしたら、あの2人目……防護の力の他にも、何か有るやもしれないな」
そして、魔王は一頻り嗤った後、冷静に分析を始めた。
この魔王、圧倒的な力を保有してはいるものの、頭は悪くない。寧ろ、魔王の知能はかなり高いと言える。戦闘においての分析力と、それを踏まえて対抗策を練る知能。
事実、魔王は桔音には防御力以外の力があると看破していた。
「もしかしたら、奴はこの私の脅威になるやもしれないな……勇者と手を組まれたら、少々厄介か」
そして、桔音の力が己に届きうる刃であると、判断していた。勇者と手を組む、というのは今の桔音からすれば無いであろうが、その危険性を考慮すれば、危険は排除すべきだと考える方が妥当なのだろう。
だが、魔王はそう考えない。
「……フハッ……面白い、もしも奴と今代の勇者が手を組み、私の前に対峙して来たのなら……それはそれで血湧き肉躍る戦いが出来そうではないか……まぁ、私が負ける可能性が増大するのはあまり良い展開ではないが……これも魔王の性か?」
魔王は、逆にその展開を望む志向があった。
これは過去の勇者と戦って、敗北した原因でもある。魔王の悪い癖というか、悪癖だ。良くも悪くも魔王は強い。故に、血が沸騰する様な戦いを好むのだ。
だから、魔王は勇者が強くなるのを止めない。寧ろ、勇者が自分に届き得る存在になるのを手伝ったりしたこともある。その結果、自分が敗北していては世話ないが。
それでも、魔王は勇者という存在を特別視している。
勇者とは、魔王に届き得る実力の持ち主なのだと、そうであるべきなのだと、そう思っているのだ。だからこそ、最初の段階―――指先1つで倒せる剣も握った事の無い時の勇者に勝っても意味はないと考える。
「……が、奴はどうやら魔王には興味がないらしい……かなり残念ではあるが、それならばここで殺させて貰おう――――なぁ? それも一興であろう? 『赤い夜』よ」
魔王は、桔音を見ながら不敵に笑みを浮かべ、心底残念そうな声音でそう言い、振り向く。
すると、そこには魔王を探し、そして居場所が分かっているかのように一直線に此処へと向かってきた少女がいた。白髪を靡かせ、黒いワンピースを揺らしながら、赤い瞳で魔王を見ている。
「魔王……だね」
「ああ、久方ぶり―――いや、お前とは初見であったな……今はレイラ・ヴァーミリオンと名乗っているのだったか」
「……」
「そう警戒するなよ……私は今のお前には興味がある……あの中途半端な魔族であったお前が、何があったか完全な魔族に成っている……おそらくはあの2人目が原因なのだろうが……中々どうして、面白いではないか」
そこに居たのは、レイラ・ヴァーミリオン。
同じ魔族であり、気配を偽装している魔王の気配を感じ取り、直感で此処までやって来たのだ。自分の中の、『赤い夜』という瘴気が本能に告げていたのだ、この目の前の存在が魔王なのだと。
「さて……此処に来た目的は1つだろう? 少し、遊んでやろう」
魔王は手を揺らし、不敵に笑みを浮かべて、そう言った。




