第143話 南部の海と、物理が効かない不良品
「ふフーン、ふフフーン♪」
俺はハンドルを握りながら、上機嫌で鼻歌を漏らした。レンタカーの窓を開けると、湿った潮風が吹き込んでくる。目的地は本島南部、糸満の海岸だ。
カーステレオからは、地元ラジオ局が流す懐メロが響いている。これがまた、やけに音が良い。
「今のレンタカーはすげぇな。スピーカーが良いのか?ベースの弦が震える音まで、ケツに響いてくるぞ」
俺が感心して呟くと、スマホからリクの冷静なツッコミが入った。
《……それは音響機器の性能ではありません。太郎さんの聴覚野が、龍玉のエネルギーによって過剰励起しているためです》
「オーバードライブ?」
《はい。マイクの感度が最大値に固定されている状態です。路面の摩擦音、エンジンのピストン音、全てを過剰に拾っています》
「ん? よく分からんが、まあ俺の耳が良いってことだな。便利でいいじゃん」
《……推奨しませんが、太郎さんが快適なら記録のみ継続します》
俺はリクの警告を軽く聞き流し、アクセルを踏み込んだ。身体の調子はすこぶる良く、鋭敏になった五感のおかげで世界が鮮やかに見えている。青い空、白い雲、そしてこれから向かう静かな海。最高の一日になる予感しかしない。
車を停め、俺は崖沿いの小道を降りていった。リクが選定したポイントは、観光ガイドにも載っていないような断崖の下にある岩場だ。岩肌が荒々しく海に突き出し、波が砕け散る。まさに男の一人旅にふさわしい、荒涼とした絶景……のはずだった。
「……おいリク、話が違うぞ」
俺は岩場の入り口で立ち止まった。誰もいない穴場だと聞いていたのに、そこには先客がいた。それも一人や二人じゃない。数十人の人々が、岩場に腰を下ろしたり、波打ち際に立ったりしている。
「先客でいっぱいじゃねぇか。なんだあれ、映画の撮影か?」
彼らの服装は奇妙だった。色褪せたモンペを履いた女性や、国民服を着た男性。丸刈りの子供たち。まるで昭和初期からタイムスリップしてきたような集団だ。
「それとも地元の集まりか? ……こんにちはー、お邪魔します」
俺は軽く手を挙げて挨拶をし、砂浜へ降りようとした。だが、リクからの返答は冷ややかだった。
《……否定します。スキャン実行。半径五〇〇メートル以内に、人間の生体反応は『ゼロ』です》
「は? ゼロって……じゃあアレは……」
俺は足を止めて、目を凝らす。今の俺の目は、遠くの文字までくっきり見えるはずだ。その目で見て、違和感に気づく。
彼らは、誰一人として瞬きをしていなかった。モンペ姿の女性は、虚空に向けて手を差し出している。まるで、そこにいるはずの子供の手を引くように。国民服の男は、微動だにせず、ただひたすらに南の水平線を睨み続けている。そして、波が洗う砂浜に立っている子供たちの足元に……足跡がない。
ゾワリ、と背筋に冷たいものが走った瞬間。数十人の「彼ら」が、一斉にゆっくりと首を回し、膨大なエネルギー源である俺の方を向いた。
――水……
――母ちゃん……
――……だ……熱い……
「ぐああっ!?」
物理的な声ではない。脳の血管を直接鷲掴みにされたような、強烈な圧力が頭の中に雪崩れ込んできた。ただの音じゃない。数十人分の「絶望」と「渇き」だ。それがヘドロのように脳内に流れ込み、強烈な吐き気を催させる。
「う、うぉぉぉ!!」
俺は頭を抱え、反射的に魔力を練り上げた。普段から肌にまとっている薄い結界膜ではない。物理的な干渉を完全にシャットアウトする、広範囲の防御壁だ。
「結界!!」
ブンッ、と空気が震える。俺を中心に、半透明のドーム状結界が展開された。雨風を凌ぎ、害獣すら弾く。その気になれば野宿だって快適にこなせる、俺の頼れる万能シェルターだ。
ピタリ、と風が止み、潮騒が消える。物理的な遮断は完璧だ。世界から切り離されたような静寂が訪れる……はずだった。
――水……水を……
――痛い……痛いよぉ……
「な、なんでだ!?」
俺は膝をついたまま、頭を振った。止まらない。風も音も止まっているのに、こいつらの「声」だけが壁を素通りして、頭の中でガンガン響き続けている。むしろ、波音が消えたせいで、悲痛な叫びだけが鮮明に脳を削ってくる。
「結界は張れてるはずだろ!? なんで声だけ聞こえるんだ!」
波の音も風の音も消え、完璧な無音が訪れたはずの空間。だが、結界が完璧であればあるほど、逃げ場のない脳内に直接響く「ノイズ」は、いっそう鋭く、鮮明に鼓膜の裏側を叩いてくる。世界で一番静かな場所で、世界で一番うるさい絶叫に晒されるという、理不尽な矛盾。俺はただ、割れそうな頭を両手で押さえ、砂浜に蹲るしかなかった。
少し長くなりそうなので2話に分けて投稿します。
久々の投稿で皆さんの心温まるコメントをいただきありがとうございます。
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