2 カサンドラの逡巡
震える声で、カサンドラはそう言った。
「……こんな屈辱のなかで…生きていけるものか――」
手で覆う奥の眼から、涙がこぼれていた。
あれほど強かったこの女性が、こんな風に涙を流すなんて――
「じゃあ、死んでもいいです。ただし……あなたたちを皆殺しにした人物を、ギルドに証言してから」
僕の言葉に、カサンドラは顔の手を外した。
涙に濡れたままの眼が、大きく開かれている。
「あなたが証言しないと、僕たちが疑われる可能性がある。だから証言してください。生きていけないと思うなら――その後で、自死すればいい」
カサンドラはキッと僕を睨むと、歯を食いしばった。
「……貴様は、自分たちのためだけに私を助けたのか? 身勝手な奴め!」
「あなたに言われる筋合いじゃない」
僕は静かに言った。
「それに、死にたい気持ちも判ります。僕は何年間も殴られ蹴られ罵られ――もう毎日死にたいと思って生きてた。誰かに踏みにじられ、自分の尊厳なんて無いもののように扱われ、屈辱に苦しむ毎日……。僕がそれでも死ねなかったのは、結局、恐かっただけだ。あなたに勇気があるなら、死を選ぶのもいいでしょう。ただ、その前に証言してくれ――と頼んでるだけです。そうでないと、あなたの部下たちも、誰に殺されたのかも知られることのないままになる」
僕の言葉を聞いているうちに、カサンドラの涙が止まっていた。
恐ろしく真面目な顔をして、カサンドラは口を開いた。
「そもそも……お前たちは、何者だ?」
「僕はクオン。――こっちはエリナで、こっちがキャル。僕たちは『ブランケッツ』という冒険者のパーティーです」
カサンドラが眼を見開いた。
「あの男が言っていたぞ……私を刺した、黒マスクの男が。私たちを全滅させたことを、『クオンの仕業』としてギュゲスに報告すると」
「黒マスクの男? そいつがあなたたちを全滅させた犯人ですね?」
「ああ……カリヤ――カリヤ・ダイヤモンドと名乗った」
今度は僕が驚愕する番だった。
だが、微かに予感はしていた。そうではないか、と。
カサンドラは細い指を紅い髪に分け入れると、震える声で言った。
「あいつは私を犯し……ガントレットも奪っていった。隊員たちは、あいつとその部下二人に殺されていったんだ」
カリヤが――そこまでする奴だったろうか?
……いや、そこまでする奴になったのは、恐らくこの前、僕が叩きのめしたせいだ。
僕の暴力が、カリヤをより凶暴な人間に変貌させた。
あいつは多分……もう、モンスターだ。
「――そのギュゲスというのは、もしかしてファフニールの片眼鏡のことかな?」
僕の後ろから、エリナが声をあげた。
カサンドラが顔を上げると、頷いた。
「そうだ。ギュゲス・ネイ。特務機関ファフニールの支局長だ」
「あなたもファフニールの人なの?」
「いや、ファフニールは研究機関だ。私は軍の人間として、政府機関からの要望に応えたにすぎない」
僕は後ろを振り返って、エリナに訊ねた。
「エリナさん、いつの間にそんな事を知ったんですか?」
「この前、ジョレーヌに色々この世界と国の事を聞いたんだよ。その中で――私たちを殺そうとした機関のことを知った」
僕とエリナは、黙って見つめ合った。
エリナの言いたい事が判った。これは、この人に話すべきことだと。
「僕とエリナは――ファフニールによってこの世界に呼び出された転生者です」
僕はカサンドラにそう告げた。
カサンドラの眼が、大きく開かれる。
「けれど僕らは能力が低かったので、『不用品』として処分されかけた。巨大ワニの棲む地下水道に放り込まれたんだ。そこで僕は、目の前で他の人が喰われるのを見た。僕たちはたまたま、異能が目覚めて生き延びたけど……。あなたはファフニールが、そういう研究機関だって知ってて協力してるんですか?」
カサンドラは、驚きの表情のまま首を振った。
「じゃあ、ファフニールが青霊鳥を獲る理由は?」
「それも……知らない」
僕は少し厳しい口調で言った。
「何も知らないんですね? 自分がどんな機関に所属してるのか。自分が受けた命令が、どんなものか? 何も知らないで、言われたことをホイホイと実行するわけだ。それでどの口が『国のため』とか言ったんですか? 何も知らないのに、何のためになるとか断言できるわけないでしょう? あなたはただ、考えるのを放棄して非人道的な命令を実行してただけだ」
「黙れっ!」
カサンドラが怒りの声をあげた。
「私は――軍人として、命令に従っただけだ……」
カサンドラが、苦悩に満ちた顔でうなだれた。
僕はまだ――追い打ちをかける。
「思うんですが……戦争って、大の大人がやることですかね?」
カサンドラが驚きの顔をあげた。
「……戦って、勝った負けた、どっちが強い。それで他人の物と取るとか威張るとか――幼稚でしょう? 親にやりなさいって言われたら、なんでもやる。あの子を叩いてきなさい、あれを獲ってきなさい。親に言われたら、考えもなしに何でもやるのは未成熟な証ですよ」
カサンドラは、呆然とした顔で僕の言葉を聞いていた。
「大半の人は、ちょっと豊かな暮らしがしたいだけですよ。人殺ししてまで、何かを得ようとかいうのは強欲です。けど、そういう強欲な命令に従う人間がいるから、命令する側も命令ができる。『これが自分たちの利益』とか、もっともらしい理屈をつける。けど、自分たちの利益が一番なんてことは、世界征服を狙う悪の組織だって言えることですよ。『国』って言い換えたって、所詮、エゴが一番だと言ってるにすぎない。……そんな処に『正しさ』は1gだってないんだ」
僕は苛立っていた。
この弱っている人を、こんな風に責めるのは過酷な仕打ちかもしれない。
けど、自分のしたことも知らずに、ただ自分が被害者でいると思ってるのは間違いだ。
僕は背を向けて、部屋を出ることにした。
と、背中にカサンドラの声が響く。
「お前は! ……私をどうするつもりだ!?」
僕は振り返った。
「どうもしません。何かを強制したりとか嫌いなんで」
「じゃあ……私はどうすればいいんだ?」
カサンドラは、ほとんど泣きそうな声で僕に訊いた。
「それが――あなた自身が考えるべき事なんじゃないんですか?」
そういう話をしてたんだけど――と、言いたくなったがやめておいた。
僕の後ろから、エリナとキャルがついてくる。リビングに集まってから、僕は二人に言った。
「悪いんだけど――二人はあの人に優しく看護してもらえないですか」
「それは構わないが……やっぱり、わざと厳しい言い方をしたのかい?」
エリナの問いに、僕は苦笑した。
「わざとって訳でもないんですけどね。やっぱり、目的のために手段を選ばない人って嫌いだし。……何が本当に大事なことか、考えてみてほしいと思ったんです。自分が傷ついた今なら、判るかもって。――ただ、ヘタに慰められるより、目的とか次にやることが判ってる方が、立ち直りが速いんじゃないかな、とは思ったんです。強そうな人だし……。まあ、実際、強かったんですけど」
僕の言葉に、エリナは頷いた。
「うん、そうだな。確かに、強い人だったけど……やっぱり、ケアは必要だって思ってるんだろう?」
「心が折れる時って、どんな人でもあるでしょうから。あとデリケートな事なんで、女性にしか判らないこともあるだろうし……」
僕がそう言うと、キャルが口を開いた。
「判ったよ、クオン。あの人の事は任せて」
「うん、頼むよ。――僕はちょっとギルドに顔出してきます。事態の経緯も気になるんで」
僕はそれだけ言うと、カサンドラの事を二人に任せて、一人で街に行った。
ギルドに顔を出すと、ちょうどランスロットの顔を見つけた。僕はそのテーブルの向かいに腰を下ろした。
「お、クオン! あの女隊長の具合はどうだ?」
「うん、身体の方はもう大丈夫だと思う。ただ、心の方がね――回復には時間がかかるかも。ランスロットは大丈夫?」
ランスロットは少し苦笑した。
「いや、ダメージは残ってるな。あいつの最後の技は死ぬほど強力だった。あんな敵に会ったのは初めてだよ――今日はそれでも、事の経緯を報告しないといけないんで出てきたのさ」




