6 憎しみの苦しさ
少し……カリヤの顔を眺めた。
ボコボコに腫れあがり、もう原型をとどめてないが、ひどい顔だ。
それが涙と鼻水、あとは出血で薄汚れている。
僕がずっと怯えてきたのは、こんなみすぼらしい男だったのか?
「……帰ろう」
僕は呟くと、キャルとエリナを脇に寄せた。
「同調して。軽く」
「う、うん」
二人が軽くなったので、僕は一気にジャンプした。
戻る道を悟られないために、別方向に跳んでいる。
奴らの視界から充分離れたところで、ゴム脚ダッシュで駆け抜けた。
カリヤのことだ。きっとまだ、しつこくつきまとうだろう。
けど、それでもいい。次は容赦しない。
家に帰り着いて二人を降ろすと、急にガクンを膝の力が抜けた。
「あ、あ――」
膝から崩れ落ちて、僕は地面に手をついた。
「クオン!」
キャルが駆け寄ってきて、僕の肩に触れた。
「大丈夫、クオン?」
「うん。大丈……」
そう笑って答えようとした僕の眼から、涙がボロボロと零れてきた。
苦しかった。胸が張り裂けそうなくらい苦しかった。
僕はこらえきれず、嗚咽した。
「クオン……」
「――苦しいんだ」
僕はキャルに言った。
「自分の中に、こんなに人を憎む気持ちがあるのが苦しい……。ドス黒くて大きな塊が、僕の中で蠢いて暴れてる。憎い相手を叩きのめしたって、スカッとしたとか、ザマあみろとか思えない……。ただ、苦しいだけだ」
「クオン、わたしが止めたのがよくなかったの?」
「ううん、それは違うよ。もし止めてくれなかったら、僕は憎しみに任せてあいつを殺してた。そしたらもう…元には戻れない」
僕はキャルを見つめた。
キャルも僕を見つめている。と、キャルが口を開いた。
「わたしもいるよ……殺したいくらい憎い相手」
「え」
「本当に憎くて…夜中に震えるくらい憎しみが沸いてきて……眼が冴えちゃうくらい憎い相手――わたしにもいるよ」
僕は驚いてキャルを見つめた。
キャルは静かな眼で僕を見ている。
「だから判るよ。クオンの苦しさ。だから……ひとりで何処かへ行かないで」
そう言った瞬間、キャルの眼から涙があふれ出した。
「ご…ごめん」
僕がそう答えると、キャルが急に抱きついてきた。
僕を強く抱きしめている。
僕も……キャルの細い身体を、強く抱きしめ返した。
そして僕は――意識を失った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
意識を失ったクオンとは対照的に、カリヤ・ダイヤモンドははっきりとした意識を保っていた。
(クオンの奴……殺してやる! 殺してやるぞ! 絶対、このままじゃすまさねえ)
最初に大木に叩きつけられた、眼に炎のペイントをしているゲイルが、ふらふらとカリヤの元にやってくる。
「カリヤ……生きてるのか?」
「ああ……治癒士を呼んで来い」
「いいけど――もう、あいつに関わるのはやめようぜ」
カリヤはぎろりとゲイルを睨んだ。が、眼が腫れ上がっていて、そもそも外側からは瞳の位置が判らないほどだった。
急に胸からこみ上げてきて、カリヤは口から血を吐いた。
肺が潰れている。右肩も潰されて、激痛を通り越して痛みが麻痺していた。
すぐにでも失神しておかしくない負傷の中でカリヤが意識を保っているのは、クオンに対する憎しみによって、心を支えているためだった。
(あの野郎――あの野郎のせいだ。クオン! あいつのせいで、オレは精鋭部隊から追い出されて、冒険者なんかに成り下がったんだ。あいつだ! あいつがオレの異能を奪いやがったんだ!)
カリヤは、これまでの事を思い出していた。
*
カリヤは兵士に両腕を抱えられ、連れられていくクオンを見ていた。
(ハハハ、憐れな奴だな、能なしなんかに転生したばっかりに――処分だと!)
その時、抱えられたクオンが顔だけ振り返って泣き声をあげた。
「狩谷! 狩谷! 助けてくれ!」
その情けない姿を見て、カリヤの胸に歓喜の感情が沸き上がった。
カリヤは勝ち誇った気分で、クオンに言った。
「情けない姿だな、千藤! やっぱりお前はカス野郎なんだよ! 何の役にも立たないお前は、ここでサヨナラだ。せいせいするぜ、千藤! ――オレの前から消えろ!」
クオンの顔に、絶望が浮かんだ。
その時、隣にいた片眼鏡の男が、カリヤに問うた。
「なんだね、君たちは友人ではなかったのかね?」
「あいつが? バカいっちゃいけねえよ、あんなカス野郎! オレの前にちょろちょろする、目障りなクズ野郎さ!」
カリヤはそう言い捨てた。
すると片眼鏡は、冷静そのものの声で兵士に命じた。
「そいつで最後だ。残りも処分しておきなさい」
兵士は短く返事をすると、そのままクオンを何処かへ連れて行った。
(処分って何だ? 元の場所にって言ってやがったが……殺すってことか)
カリヤは片眼鏡の男を見た。
黒い長いコートに、灰色の髪をオールバックにした、壮年の男。
(こいつは何者だ……?)
「さあ、という訳で、残された君には、その才能を伸ばしてもらう訓練を受けてもらう。改めて名乗っておこう。私はガロリア帝国特務機関ファフニールのオーレム支局局長、ギュゲス・ネイだ。キミの名は?」
「オレは……カリヤだ」
カリヤは自分の名前が嫌いだった。
平太、という名は父がつけたものだが、「平たく太く」生きてほしいという父の希望でついたと聞いた。
聞いた、というのは、五歳の頃に父親が失踪していたからだ。
うっすらと覚えているが、母親はとにかく怒鳴る女だった。父をいつも怒鳴っていた記憶だけがある。
そして父がいなくなった後、怒鳴られるのはカリヤの役割だった。
怒鳴られながら、カリヤは思っていた。
(こんなに怒鳴られるんじゃ、姿を消したくもなる)
いつも不満を抱え、他人にあたり怒鳴り散らす母親を、カリヤは無視するようになった。しかし母親の怒鳴り声は止まらなかった。
しかし中学二年生の時、カリヤは母親を殴った。
「うるせぇっ! ギャンギャン喚くなっ!」
怯えた眼でカリヤを見た母親は、それ以来、カリヤを怒鳴らなくなった。
暴力によって、他人が従う事は学校でも学習していたが、親もそうだとカリヤは知った。
(力がある奴が、周りを従えさせる)
それがカリヤの確信だった。
(なにが平たく太く、だ――くだらねえんだよ!)
「おい、オレはこの世界で生まれ変わった、って事だよな?」
「ああ、そうだが」
ギュゲスの答えに、カリヤは笑った。
「じゃあ、オレはカリヤ――カリヤ・ダイヤモンドとして生きていくぜ!」
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