4 歯を食いしばるのは何故か
朝起きて、布団を抜け出す。二人はまだ寝ている。
少しだけ、キャルの寝顔を見る。……そこで、心を決める。
家を抜け出して、僕は朝もやの中、森を走り出す。まずは長距離だ。
あまり家から離れないように注意はするけど、10kmくらいは多分走ってる。
最初は全然、長い距離なんか走れなかった。大体、僕はマラソンが大嫌いだ。
それでも毎日少しずつ、距離を伸ばしていった。今日で五日目。
長距離が終わったら、庭で短距離50mくらいを20本。これは全速力。
たちまち息が上がる。タイムを計ってないから、速くなってるかどうかは判らない。速くなっていてほしい。
腕立て伏せ。初日は26回しかできなかった。自分の腕力のなさに、改めて気づかされる。けど、それから決めた。とにかく、毎日、一回でもいいから回数を増やす。五日目の今日は、何回できるか?
……45回。昨日より5回増やした。今までで一番高い伸び率だ。
スクワット。これは二日目の筋肉痛がひどくて驚いた。けど、それを無視してやった。今のところ200回。もっと増やせるかもしれない。
素振りをする。自作の鉄棒だ。危ないから刃はつぶしてある。
けど、素振りの仕方が判らないから、自己流だ。両手で持って振り上げ、真ん中を切ると同時に前に進む。確か、こんな形だったはずだ。
小学生一年生の時、三ヶ月だけ剣道教室に行ったことがある。その記憶を頼りにしたのだ。
三ヶ月で止めたのは、僕が嫌になったからだ。
僕はそもそも、人と戦ったり、喧嘩したりするのが嫌いだ。競い合うのも好きじゃない。
それなのに剣道教室へ行くと、上級生たちが面白がって僕の頭を叩いた。多分、僕がトロくて、すぐに打てたんだろう。
一緒に入った同級生たちも、すぐに僕を打つようになった。僕はやられてばかりで、少しも打ち返せなかった。
僕は打ち返したくなかったんだ。
躍起になってやり返す――そんな事、したくなかった。
僕がベソをかいていると、剣道の先生が僕に言った。
「今は打たれてばかりかもしれないけど、稽古して強くなったら、打てるようになるぞ」
打って――どうするの?
人より強くなることが、そんなに大事なことなの?
僕は剣道の日に、お腹が痛いと言い出した。父が言った。
「打たれっ放しでいいのか? 強くなって、打った相手を見返してやれ」
見返すって何?
上級生たちみたいに、威張るの?
僕はそんな事したくない。
動こうとしない僕を庇うように、母が言った。
「久遠は優しいから、争いごとに向いてないのよ」
僕は水泳教室に行くことになった。水泳は、しばらく続いた。
だけど、タイムを出すことに懸命じゃない僕に、母もコーチも諦めの顔を見せるようになった。
「久遠くん、努力したら、それだけ結果がよくなるぞ」
コーチはたまに笑顔でそんな事を言った。
僕は別に、速く泳げるようになりたいわけじゃなかった。だから努力したいわけでもなかった。
何かを頑張ることが、人より優れることだとしたら――
僕は特にそれを望まなかった。人と競い合うのは嫌いだ。
だから僕は、今までの人生で、懸命に努力するという事をしたことがない。
ずっと、そうやって生きてきた。
争ったりするくらいなら先に謝るし、殴られても我慢してればそのうち終わる。
そうやって、戦わないで生きてきた。
他人とも――自分とも。
「――少し、重くしてみるか」
僕は独りごとを言って、振ってる鉄棒を重くしてみた。
ズン、と重量が加わる。
「クッ……これでいくか」
僕は歯を食いしばって、重い鉄棒の素振りを続けた。
今まで歯を食いしばって努力なんかした事ない僕が、頑張るのは――
キャルのためだ。
人より強くなりたいわけじゃない。ただ、キャルに向かってくるかもしれない敵に、負けられない。――それだけだ。
今までの相手は、たまたま勝てた。だからキャルを守ることができた。
だけど次の相手に勝てるとは限らない。昨日の僕より強い相手が敵のことだって、全然ありえる。
無論、努力したって明日の僕より強い敵が来るかもしれない。そうしたら、努力は無駄になるのか?
……そうかもしれない。けど、努力しなければ、1%も0.001%も強くなれない。
強くなるためには、たとえ0.001%ずつでも、強くなることを積み重ねていくしかないんだ。
少しでもいいから、昨日より強くなりたい。ならなきゃいけない。
僕が負けることなんか、どうだっていい。キャルを守ることができるなら、負けたって全然かまわない。勝つことが目的じゃない。
勝って相手を見下したいわけじゃないし、人から褒められたいわけでもない。
――ただ、キャルを守りたいんだ。
そのためなら、僕は努力を惜しまない。
昨日の僕より…少しでも強く。
*
「――最近、朝練してるんだね、クオンくん」
朝食を食べてると、エリナがそう言ってきた。
「ああ、なんか朝の方が清々しいから。ハハ」
僕は笑って、そう答える。
「努力家だなあ、クオンくんは。少しは見習うかな」
「あ、けどエリナさんとキャルは、書物読んだりする頭脳的な面が多いから、ちゃんと寝たほうがいいんじゃないですかね」
僕がそう言うと、エリナはフーンと頷いた。
「ま、各自、自分のペースでやるのが一番か。ところで、個室の片づけが大体終わったんだ。そろそろ個室を使うようにするのがいいかと思うんだが――大きな部屋と小さな部屋がある。大きな部屋を私とキャルちゃん、小さな部屋をクオンくんの部屋にするのがいいと思うんだが、どうだろう?」
エリナの提案に、キャルは頷いた。
「いいと思う、それで」
僕はちょっと、二人に悪い気がした。
「え、二人が個室を使って、僕はリビングで寝ればいいんじゃないですかね?」
「女の子同士には、色々と相談ごともあるのだよ。クオンくんが、大っぴらに着替えるのも悪くはないけどな」
そう言うと、キャルが少し赤くなってうつむいた。
そうか。僕が半分裸でウロチョロするようなのも、キャルたちに問題があるということか。
「…判りました。じゃあ、エリナさんの案でいいです。ありがたく、一人で使わせてもらいます」
「うん。それでいいだろう」
エリナは満足げに頷いた後に、いたずらっぽく言った。
「大きな部屋を二人が使うのも悪くはないが――まだ、ちょっと刺激が強いだろ」
「ちょ、ちょっとエリナさん! そんな事できないですよ!」
キャルを見ると、赤くなってうつむいている。
「もう……エリナってば…」
* * * * *
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