5 お忍びの皇帝
皇帝レオンハルトは空間に渦の巻く歪みを作ると、その中に入っていった。
手を引かれて、エリナもその渦の中に入る――と、入った先は、ガルドレッドの屋敷の庭先だった。朝陽が眩しく、庭を煌めかせている。
「ほえ~、これも魔法なんですか、陛下?」
「時空間の歪みを利用する魔法『ホール』だ。余がイメージできる場所――一度行った場所などなら、入り口と出口を作れる。使い方は論文にしたのだが、必要魔力量が高すぎて、余以外の誰も使ってるのを見たことがない」
「はは……」
エリナは苦笑すると、レオンハルトに向き直った。
「それじゃあ、ありがとうございました。陛下」
「うむ……。次はいつ逢える?」
エリナは人差し指を顎にあてると、少し考える。
「別に――今夜とかでもいいですけど?」
「そうか。では、今夜、この場所に迎えにこよう」
「けど、今日みたいに長いのは遠慮したいですわ。そうですね……毎夜、午後8時から10時まで――なんて、どうでしょう?」
レオンハルトは微笑した。
「少しずつ――という話だからな。フフ、楽しみだ、エリナ」
そう言うと、レオンハルトはまた空間の渦の中へと消えていった。
エリナはそれを見て微笑むと、屋敷の中へと入っていく。
すると、バタバタと階段を駆け降りる音がした。
「エリナ、帰ったのか!」
現れたカサンドラが、声をあげた。
「あ、ただいま~、カサンドラ」
「エリナ……お前…大丈夫…なのか?」
「大丈夫って何が?」
「いや……その――」
カサンドラは顔を赤らめて横を向く。と、エリナは察して笑ってみせた。
「やだ、なにもないよぉ。皇帝陛下、紳士だったよ」
「そ、そうか……。しかし朝帰りとは――」
「ちょっと話が盛り上がっちゃってさあ。あ~、ちょっと眠いかも。お風呂入って寝るね。今日は道場はお休みする~」
エリナはそう言うと、手をひらひらと振って浴室へと歩いていった。
と、ふと気づいたように振り返る。
「カサンドラ、心配してくれたんだね。ありがと」
「……礼を言うのはこっちだ、エリナ。相手があのゴードンだから、あんな喧嘩を売ったのだろう?」
カサンドラはそう問うた。カサンドラの兄・グラントが自殺した時に、教官だったのがゴードンだった。
エリナは微笑んでみせる。
「あのハゲ頭がおじ様にエラそうな口きいてたから、ちょっとムカついただけ。そうそう、おじ様にご迷惑をおかけしました、って謝っといて」
エリナはそう言うと、歩き去る。カサンドラは苦笑まじりに、それを見送った。
* * *
その日の晩さん時は、ガルドレッドも同席していた。
ガルドレッドが口を開く。
「ゴライアスの指揮下で新しい帝都警護隊がスタートすることになったのだが――」
「どうかしたんですか?」
カサンドラの問いに、ガルドレッドが渋い顔をした。
「半数近くが、今朝、辞表を出してきたそうだ」
カサンドラは驚きに眼を開く。と、エリナが口を開いた。
「集団ボイコットで、新しい人事に抵抗しようっていう腹ね。あのゴードンって人もしぶといわね」
「ゴードンだけではなく、ラインズ侯爵も背後にいると思われる。辞めた者は皆、ラインズ侯爵の警護隊になるというのが辞任理由だそうだ。あのケリーも、その中に含まれている」
ケリーの名を聞いて、カサンドラは複雑な表情をみせた。
「ラインズ侯爵は9人で構成される枢密院のうちの一人だ。うちラインズ侯爵を含めた三人は拘束派、三人は解放派、そしてもう三人は中立派だ。しかしゴードンが抜けたことで、拘束派は二人になった。だが、警護隊の半数が抜けたことを鑑みて、ゴードンの復帰を枢密院から上申するつもりなのだろう」
それを聴いて、エリナは問う。
「けど、皇帝は枢密院の決定を聞く必要はないんですよね?」
「全ての決定権は最終的には皇帝にある。しかし枢密院は、細部の報告とその方向性を決める機関で、影響力は無視できない。皇帝がどうお考えになるか――」
ガルドレッドの言葉を受けて、エリナは肩をすくめた。
「あちゃ~、潜在化してた分断を、明るみにしちゃいましたか?」
「まあ、いずれは決定的な対立が生じるだろうとは思っていたが……。しかしエリナさんが皇帝に気に入られるとは――驚きましたぞ」
「あ、その事なんですけど」
エリナはなにげない調子で、口にする。
「今夜から皇帝が迎えに来ることになってるんですけど」
「「なにぃっ!」」
ガルドレッドとカサンドラが、驚きの声をあげる。
ガルドレッドは椅子から腰を浮かせ、エリナに訊ねた。
「そ、それはどういう事なんだね?」
「あ~……屋敷の庭先に皇帝がいらっしゃるんです。で、『ホール』でビューンと」
「な……」
ガルドレッドは腰が抜けたように、椅子に腰を下ろす。
と、カサンドラが不意に笑い声をあげた。
「笑ってる場合か、カサンドラ! お迎えの準備をせねば!」
「いえ、おじ様。これは――お忍びなんじゃありませんか?」
「お忍び?」
ガルドレッドは問い返す。カサンドラは頷いた。
「ええ。だから家中で出迎えたりするのは野暮というもの。エリナに任せましょう」
「まあ、お忍びで密会、みたいなロマンチックな感じでもないんだけどね。あんまり大仰にしない方が助かります」
エリナが微笑むのを見て、ガルドレッドは深いため息をつく。
カサンドラは苦笑した。
「エリナ、お前という奴は……まったく想像を越えてくるな」
「そう?」
エリナはとぼけた感じで、そう答えた。
それから後――カサンドラはエリナの姿を見て言った。
「……お前、その格好で皇帝にお会いするつもりか?」
「そうだけど――なんかまずい?」
エリナはパンツスタイルで、ゆったりとした生地のブラウスを身に着けている。
そして眼には眼鏡。まったくの普段着だった。
「いや……なんというか…昨晩はドレスだっただろう? それとのギャップが大きいんじゃないかと思ってだな」
「それで私に興味を無くすなら、それでもいいんじゃないかな。――じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
エリナはそう言うと、手を振って部屋を出ていく。
カサンドラはカーテンを開けて、暗い窓の外の階下を見下ろした。
庭先に出ていったエリナの元に、突如、皇帝レオンハルトが現れる。
二人は一言二言言葉をかわすと、すぐに空間の歪みの中に消えていった。
カサンドラは微笑みで、それを見送った。
* * *
カサンドラは午前中はガルドレッドの道場へ行き、午後はノウレムの魔法学習に向かう。
エリナは午前は道場にいるが、午後は屋敷に戻って自主練をし、執筆をする。そして夕食後、皇帝の元に出向き、二時間ほどで帰ってくる。そんな風に過ごした二日後の朝、道場でカサンドラはガルドレッドに呼ばれた。
「カサンドラ、少し話があるんだが」
「どうかしましたか、おじ様」
カサンドラを前に、ガルドレッドは口を開いた。
「実は、ジュール様に稽古をつけてもらえぬかとお願いしていたのだ。ジュール様は乗り気ではなかったのだが――どうやら皇帝陛下が、儂の願いを聞くようにジュール様に口添えしてくれたらしい。……カサンドラ、世界最強の剣士と立ち合う機会、得たくはないか?」
カサンドラは眼を大きく見開いた。
「あの……『皇帝の黒剣』ジュール様と…剣を合わせられるのですか?」
「うむ。どういう形になるかは判らぬが」
「ありがとうございます、おじ様! 是非、お願いします!」
カサンドラは深々と頭を下げた。ガルドレッドはその様子に、相好を崩した。
二人は王宮へ向かい、広々とした控えの間で待った。
そこに――黒い装いの『皇帝の黒剣』ジュール・ノウが現れる。
「私と立ち合いたというのは――その女か? ガルドレッド」
白い肌で、妖しいまでの美貌の剣士は、低い声でそう呟いた。




