4 皇帝とエリナ
レオンハルトは自ら赤ワインを注ぐと、エリナの前に置いた。
「何かつまむものがあった方がよかったかな?」
「――そこのチョコレートをいただければ」
エリナはそう微笑すると、レオンハルトはテーブルの上にあった銀の皿ごとエリナの前に差し出す。エリナはそのカラフルな紙に包まれたチョコを一つとると、包み紙をとって口に入れた。
「美味しいですね。さすが皇帝の口にするもの」
「フフ……面白いな、エリナ。まさか、余の前に来て、チョコをねだるとは」
レオンハルトが愉快そうに微笑み、エリナの向かい側に座った。
と、レオンハルトの胸から、獅子が抜け出す。
「あ――」
これにはさすがのエリナも驚きの顔を見せた。
獅子は少し部屋をうろつくと、隅に行って身体を沈めた。
「合体してたんですか?」
「いや、合体というものではないな。あれ――ライガは半身のようなものだ」
「ほえ~」
エリナは珍しそうに、獅子を見る。ライガの方は腕に顎をもたせたまま、片目を開けてエリナを見返した。
「恐くはないのか、エリナ?」
「ライオンがですか? 襲われないなら、可愛いですけど」
「いや……余が、だ」
レオンハルトがエリナを見つめる。エリナは微笑んだ。
「そりゃあ、少しは緊張しますよ。なにせ、皇帝ですから」
「フン、少し、か。そのような者には、今まで出会った事がない。あのゴードンに……よく、あんな真似をできたな」
そう口にしながらも、レオンハルトは笑っていた。
「いや、色々あったんで少し懲らしめてやろうと。――陛下だって、笑ってるじゃないですか」
「あのハゲ頭が、クリームだらけになったのだからな――クク、そりゃあ笑うだろう?」
レオンハルトは思い出したように笑みを洩らすが、不意に鋭い目つきでエリナに問うた。
「あれほどの事をしたなら、あの部屋から逃げ出してもよかったはずだが……お前はまだあの部屋にいたな? 何故だ」
「それは――皇帝陛下にお会いしたかったから」
エリナは静かにレオンハルトを見つめると、そう答えた。
「……何故、余がパーティーに現れると?」
「空の玉座がおいてあるんですもん。いずれ参るのだろうと思いましたわ」
「何故、余を見ようと思った?」
レオンハルトの眼はもはや笑ってはいない。
しかし臆する様子もなく、エリナは答えた。
「興味があったんです――レオンハルト皇帝陛下に。私、ミラン・ソローの書いた陛下の伝記『ガロリア皇帝レオンハルト』を読みました。
降天歴853年に傭兵レオンハルトの記録が初めて見られる。数々の戦争に参加する中で頭角を現し、やがて将軍にまでなったレオンハルトは、神聖帝国からの独立を目指す民衆を率いてガロリア帝国を建国した。
……今は1015年、陛下は最低でも160歳を越えています。しかも皇帝陛下は世界最高の魔道理論家でもある。陛下の書かれた『時空間の16次元解析による魔導理論のスパイラル顕現法』は、魔法学界を震撼させた論文だとありました。
ガロリア帝国は今や、世界三大国の一つ。そのような国の支配者であると同時に、世界最高の魔導士。そのような伝説的な人物は、何を考え、どんな内面をもっているのか……とても興味があったんです」
エリナの言葉を聞き、レオンハルトはエリナを見つめた。
「――で、直接目にした皇帝は、どのようだと思った?」
エリナはレオンハルトの視線を避けるように目を伏せる。
そしてゆっくりと口にした。
「……頭のよすぎる孤独な倫理家」
虚を突かれたように、レオンハルトは眼を開いた。
「倫理家――? 余がか? これは面白い、余はそのような事、考えた事もないわ」
「不正と偽りを憎み、恐怖の鎖をかけなければ、権力者が腐るということを熟知しておられます。けど、そのような権力者を一掃しようとするのは……混沌と戦乱を招くだけだとも。支配はすれども――干渉は最低限。そのご自分の力の範囲を、頑なに守っておられます。これは自らに課した倫理の枷」
エリナの静かな言葉に、レオンハルトは息を洩らした。
「……余をそのように思う者などおらぬ。力を持ち、人の上に君臨している者として、恐れている」
「だから孤独なのです。――力の過大さと処罰の容赦のなさに人々は震えあがるが、その背景に深淵な倫理観があるのを知っているのはごく僅か。そしてその類稀なる頭脳の明晰さまでもが、陛下と他の者たちを隔てる壁となってきたことでしょう」
「……余に取り入るつもりか、エリナ?」
「そういう興味はありません。陛下は、陛下を称賛する言葉など聞き飽きているでしょうから。私は別に、その孤独を賛美してるわけでもありません。――孤独はただ、事実として孤独なだけです」
エリナはそう言って目を伏せる。
レオンハルトは、一つ息をついた。そしてワインを口にする。
「……どうして、そのような事を考える?」
「私は陛下のように、世界の支配者でもなければ、天才的な頭脳の持ち主でもありません。ただ――書、特に物語をこよなく愛する者なのです。だから、皇帝陛下の『心』は、どのような姿なのだろうと――夢想したまでです」
「……お前の言ったことが…判らないではない。お前は何者なんだ、エリナ?」
「私は転生者なんです」
エリナの言葉に、今度は皇帝が少し眼を丸くした。
「転生――というと、別の世界から来た、ということか?」
「はい、そうです」
エリナの微笑みに、レオンハルトは笑った。
「なるほど! 道理で、この世界の理屈が通じぬわけだ。別の世界を見る目をもってすれば、この世界の常識や人物評……そういうものは全く我らとは違う形で映るはず。そなたにとって、余は一人の異世界人に過ぎぬ――そういう訳だな?」
「そう……思っておりましたが――」
エリナは少し顔を赤らめて言った。
「――やはり、陛下は非常に特別な存在です。あまたの書物の物語の中でも、類例を見ないほどに」
「ふむ……エリナ、お前の元いた世界の話を聞かせてくれ。そんなに書物があり、物語がある世界だったのか?」
レオンハルトはエリナに訊いた。エリナは嬉しそうに答える。
「はい! それは、もう! この世界では書物は一部の人しか目にすることのできない嗜好品か、高級品ですが、私のいた世界――リワルドでは書物は万民に開かれた知識です。そして物語は、他人の人生を一緒になって体験してみることで、人の心の奥深さを知り共感することができるものです。リワルドでは、誰もが安価で書物を買い、娯楽として物語を享受していました」
エリナの嬉しそうな表情を見て、レオンハルトは表情を和らげた。
「やっとお前の素の顔が見れたような気がするな――」
「はい。私はただのオタクですから」
「なんだ、オタクというのは?」
「それは――趣味に没頭する人々への敬称ですね」
「ほう……」
レオンハルトは興味深そうな顔をして、顎を撫でた。
「興味深い。お前の世界の話を聞かせてくれないか、エリナ」
「私の知ってる範囲なら――喜んで」
エリナは笑顔でそう答えた。
レオンハルトはそれから、リワルドの政治体制、その成り立ち、経済、科学技術や工業製品、メディアと学問、軍事技術に至るまで様々な事を聞いた。
エリナはレオンハルトに訊かれるがまま、そして訊かれること以上に、元いた世界のことを話して聞かせる。瞬く間に時間が過ぎ、気付くと二人は夜明けを迎えていた。
「――む。もう、夜明けではないか。エリナ、疲れてないか?」
「さすがに少し疲れましたわ、陛下」
エリナはレオンハルトに笑ってみせた。
そのエリナに真面目な顔をして、レオンハルトは言った。
「エリナ、もっとお前の話が聞きたい。お前は王宮で暮らせ」
「嫌です」
「な、何故だ? 余の願いがきけんというのか?」
「私は帝都に剣術の修行に来てるんです。それに、カサンドラとお風呂に入るのが楽しみなんで」
エリナの笑顔の言葉に、レオンハルトは少し困り顔をした。
「ならば、夜――余のために時間をつくれ」
「それならば……喜んで。けど、毎日これでは大変です。私は一ヶ月は帝都にいますから、少しずつ、色んなことをお話しできたらと思います」
「そうか。それもよかろう」
レオンハルトは嬉しそうに微笑んだ。
「では、お前をガルドレッドの屋敷に送ろう。――エリナ、余は立派なオタクになれると思うか?」
「はい。必ずなれます!」




