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6 氷龍王と青年


 キグノスフィアはそう言うと、少しうつむいて寂しそうに笑った。


「あの人は……水色の髪をした、猫耳の青年でした」



   ♢   ♢   ♢   ♢   ♢   ♢   ♢   ♢



 その水色の髪を後ろで結わえた、猫耳を持つ青年にキグノスフィアは話しかけた。


「そなた……何をしに、こんな処まで来た?」


 水色の髪の青年は、屈託のない笑みを浮かべる。


「そうだなあ――氷龍王に会いに?」


 だが、その状況で笑顔が出る――という事自体に、キグノスフィアは違和感を覚えていた。


 自分は体長30mほどもある巨体の龍王である。その身体から発散している龍素はどんな魔力や気力よりも強力で、腕に覚えのある者であればあるほど、その底知れなさに畏怖を覚えるはずである。


 ――そのはずだった。

 なのに、この水髪の猫耳は、「お腹空いてない?」くらいの気安さで、自分に笑いかけている。何者なのだ?


 よく見ると、ここまで来るのに遭遇したであろう、眷属の飛竜たちもおとなしくしている。キグノスフィアは、飛竜たちに問うた。


「そなたたち、何故、この男を立ち退かせない?」

「それが……我らにも、何故だか――?」


 飛竜たちが揃って首を傾げている。

 と、青年は笑った。


「あ、なんかね、ぼくは生まれつき不思議な力があるんですよ。動物――それが魔物でもね、なんかおとなしくなるっていう。それで、皆さんには此処まで連れてきてもらいました。みんな、ありがとう」


 青年が笑うと、飛竜たちは何故か少し照れ笑いを浮かべている。


「照れている場合か! ……まあよい。して、そなた、何が目的なのだ? ワタシを殺して名をあげるか? それとも、龍王の加護となるアイテムでも得られると思うての事か?」

「いや、別にそんなこと考えてないけど――」

「では、何をしに来た?」


 水色の髪の青年は、顎を抑えて上目になりながら考えている。


「そうだなあ……しいて言えば、昔の話が聞きたいかな」

「昔の話? 魔龍大戦時のことなどか?」

「ああ、まあ……それも聞きたいと言えば聞きたいけど――」


 青年はちょっと考えている。キグノスフィアは、少し焦れた。


「では、なんなのだ?」

「あなたのことが聞きたいかな。一人でいる時、何を思って過ごしているのか。人間をどんな風に見てるのか、とか」

「……聞いてどうする?」


 キグノスフィアは問うた。

 青年はそれに、微笑を浮かべて答える。


「好きになるかも」


 キグノスフィアは面食らった。

 この人間は――何を言ってるのだ?


「そなた――頭がおかしいのではないか? ワタシが恐ろしくはないのか?」

「別に……危害を加えられる雰囲気じゃないし、恐さはないけど」

「そなたには、恐いものがないのか?」

「ありますよ、沢山。……特に人の悪意は恐い」


 水色の髪の青年は、そう言うと苦笑した。

 キグノスフィアは青い瞳で、じっと青年を凝視した。

 青年も、キグノスフィアを見返す。


 不意にキグノスフィアの全身が光り出す。と、その光が小さくなり、キグノフィアの身体は白銀の髪を持つ女性の姿へと変わった。

 青年が嬉しそうに驚いてみせる。


「へえ~、人間に変身できるんだねえ」

「ヒトの姿の時の方が、能力は落ちるが負担は少ない。普段はこの姿で過ごすことが多いのだ」

「そうなんだ。首が疲れなくてすむから、今度からは、そちらの姿でお願いしたいな」


 青年は冗談めかして笑う。キグノスフィアは、それに対して真面目に返した。


「――まだ来るつもりなのか?」

「なに言ってるの? まだ知り合ったばかりじゃない。ぼくはアリオス。アリオス・シャレード」

「……この姿の時は、スフィアでよい」

「そう、スフィア。また遊びに来るよ」


 アリオスはそう言うと、くったくのない笑みを浮かべた。


*  *   *


「……なんなのだ、あいつは」


 スフィアは一人、部屋を歩きながら呟く。

 龍王は基本的に、単独の存在である。


 飛竜たちは同種の個体というものがいるが、龍王はそれぞれが特別な個体であって同種なのではない。つまり龍王は絶対的な『個』であり、そのことに疑問を持ったことも不満に思ったこと――そして寂しく思ったこともなかった。


 他の個体に、心をかき乱される――そういう経験がなかった。

 特に、魔龍大戦時に中立を保ち、ヒトとも他の龍王とも関わらなかったキグノスフィアは、まさに氷のような冷たさで他の世界を拒絶していたのだった。


 それが一人の人間に――アリオスに乱されている。

 というのも、アリオスは迷宮内のスフィアの居住エリア近くにキャンプを張り、そこで野営暮らしを始めたのだった。


 極限と思われるような高山地帯で、飛竜たちは何を食料にしているのか、などと他の飛竜たちを捕まえて聞いている。そして飛竜たちが食べる洞穴ゴケなどを採取しては、調理したりしているのである。


 かと思うと、アリオスは不意にスフィアの元にやってくる。


「こんにちは」


 アリオスはいつも屈託のない笑顔で現れる。

 挨拶、というものをスフィアはしない。ので、いつも返事に困る。

 だが、アリオスは気にした様子もなく、スフィアに話しかける。


「スフィアはさ、スィーツって食べたりする?」

「スィーツ?」


 スフィアは首を傾げた。


「ちょっと持ってきてた食材で作ってみたんだよね。パンケーキに苺ジャム挟んだだけのものだけど。一緒にどうかな、と思って」


 アリオスは鞄から丸い皿を取り出す。と、その上に丸い形のものが乗っていた。


「これがその……スィーツか?」

「パンケーキ。じゃあ、ちょっと食べてみようか」


 アリオスはナイフを持ち出すと三角に切り分け、持ってきた皿にスフィアの分と自分の分を取り分けた。そしてスフィアの前にフォークを置く。


「小麦粉を練って焼いたものに、苺をつぶして煮詰めたものを挟んだ――って言えば、いいかな。まあ、甘いものだから、どうぞ」


 アリオスはそう言うと、まず自分の分のパンケーキをフォークで少し切り取る。それを刺して、口に運ぶ。


「うん、美味い! やっぱり、甘いものは癒されるなあ」


 にこにこしているアリオスを見て、スフィアもパンケーキを口にいれてみた。


「……甘い、という感覚か、これが」

「どう? 龍王の口には合わなかったかな?」


 アリオスが、ちょっと不安げに訊ねる。

 スフィアはすまして答えた。


「いや……大変に美味だ」

「そう、よかった」


 アリオスが笑った。

 スフィアはその笑顔に魅せられ――見惚れている自分に気付いて動揺した。


 ケーキを食べながら、アリオスはスフィアに色んなことを訊いてくる。

 今まで起きたことや、これからの事をどう思っているのか。


 アリオスは人間の世界の色々な話を交えて、スフィアに聞かせた。

 人間になど興味はなかったし、充分、知っている――キグノスフィアはそう考えていた。だが、アリオスの話につい聞き入る自分に、驚くのだった。


 アリオスは言った通り、毎日訪ねてきて、スフィアと話をした。

 スフィアもまた、アリオスが来るのをそれとは顔には出さないが、心待ちにするようになった。


 しかしそれが、不意に途切れた。


「アリオスはどうしたのだ?」


 スフィアは眷属の飛竜に訊いた。


「姿が見えません。野営してた場所にも、何も残っていません」


 キグノスフィアの胸を、今まで感じた事のない苦しさが走った。

 その締め付けられる痛みに、スフィアは戸惑うしかなかった。


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