6 氷龍王と青年
キグノスフィアはそう言うと、少しうつむいて寂しそうに笑った。
「あの人は……水色の髪をした、猫耳の青年でした」
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その水色の髪を後ろで結わえた、猫耳を持つ青年にキグノスフィアは話しかけた。
「そなた……何をしに、こんな処まで来た?」
水色の髪の青年は、屈託のない笑みを浮かべる。
「そうだなあ――氷龍王に会いに?」
だが、その状況で笑顔が出る――という事自体に、キグノスフィアは違和感を覚えていた。
自分は体長30mほどもある巨体の龍王である。その身体から発散している龍素はどんな魔力や気力よりも強力で、腕に覚えのある者であればあるほど、その底知れなさに畏怖を覚えるはずである。
――そのはずだった。
なのに、この水髪の猫耳は、「お腹空いてない?」くらいの気安さで、自分に笑いかけている。何者なのだ?
よく見ると、ここまで来るのに遭遇したであろう、眷属の飛竜たちもおとなしくしている。キグノスフィアは、飛竜たちに問うた。
「そなたたち、何故、この男を立ち退かせない?」
「それが……我らにも、何故だか――?」
飛竜たちが揃って首を傾げている。
と、青年は笑った。
「あ、なんかね、ぼくは生まれつき不思議な力があるんですよ。動物――それが魔物でもね、なんかおとなしくなるっていう。それで、皆さんには此処まで連れてきてもらいました。みんな、ありがとう」
青年が笑うと、飛竜たちは何故か少し照れ笑いを浮かべている。
「照れている場合か! ……まあよい。して、そなた、何が目的なのだ? ワタシを殺して名をあげるか? それとも、龍王の加護となるアイテムでも得られると思うての事か?」
「いや、別にそんなこと考えてないけど――」
「では、何をしに来た?」
水色の髪の青年は、顎を抑えて上目になりながら考えている。
「そうだなあ……しいて言えば、昔の話が聞きたいかな」
「昔の話? 魔龍大戦時のことなどか?」
「ああ、まあ……それも聞きたいと言えば聞きたいけど――」
青年はちょっと考えている。キグノスフィアは、少し焦れた。
「では、なんなのだ?」
「あなたのことが聞きたいかな。一人でいる時、何を思って過ごしているのか。人間をどんな風に見てるのか、とか」
「……聞いてどうする?」
キグノスフィアは問うた。
青年はそれに、微笑を浮かべて答える。
「好きになるかも」
キグノスフィアは面食らった。
この人間は――何を言ってるのだ?
「そなた――頭がおかしいのではないか? ワタシが恐ろしくはないのか?」
「別に……危害を加えられる雰囲気じゃないし、恐さはないけど」
「そなたには、恐いものがないのか?」
「ありますよ、沢山。……特に人の悪意は恐い」
水色の髪の青年は、そう言うと苦笑した。
キグノスフィアは青い瞳で、じっと青年を凝視した。
青年も、キグノスフィアを見返す。
不意にキグノスフィアの全身が光り出す。と、その光が小さくなり、キグノフィアの身体は白銀の髪を持つ女性の姿へと変わった。
青年が嬉しそうに驚いてみせる。
「へえ~、人間に変身できるんだねえ」
「ヒトの姿の時の方が、能力は落ちるが負担は少ない。普段はこの姿で過ごすことが多いのだ」
「そうなんだ。首が疲れなくてすむから、今度からは、そちらの姿でお願いしたいな」
青年は冗談めかして笑う。キグノスフィアは、それに対して真面目に返した。
「――まだ来るつもりなのか?」
「なに言ってるの? まだ知り合ったばかりじゃない。ぼくはアリオス。アリオス・シャレード」
「……この姿の時は、スフィアでよい」
「そう、スフィア。また遊びに来るよ」
アリオスはそう言うと、くったくのない笑みを浮かべた。
* * *
「……なんなのだ、あいつは」
スフィアは一人、部屋を歩きながら呟く。
龍王は基本的に、単独の存在である。
飛竜たちは同種の個体というものがいるが、龍王はそれぞれが特別な個体であって同種なのではない。つまり龍王は絶対的な『個』であり、そのことに疑問を持ったことも不満に思ったこと――そして寂しく思ったこともなかった。
他の個体に、心をかき乱される――そういう経験がなかった。
特に、魔龍大戦時に中立を保ち、ヒトとも他の龍王とも関わらなかったキグノスフィアは、まさに氷のような冷たさで他の世界を拒絶していたのだった。
それが一人の人間に――アリオスに乱されている。
というのも、アリオスは迷宮内のスフィアの居住エリア近くにキャンプを張り、そこで野営暮らしを始めたのだった。
極限と思われるような高山地帯で、飛竜たちは何を食料にしているのか、などと他の飛竜たちを捕まえて聞いている。そして飛竜たちが食べる洞穴ゴケなどを採取しては、調理したりしているのである。
かと思うと、アリオスは不意にスフィアの元にやってくる。
「こんにちは」
アリオスはいつも屈託のない笑顔で現れる。
挨拶、というものをスフィアはしない。ので、いつも返事に困る。
だが、アリオスは気にした様子もなく、スフィアに話しかける。
「スフィアはさ、スィーツって食べたりする?」
「スィーツ?」
スフィアは首を傾げた。
「ちょっと持ってきてた食材で作ってみたんだよね。パンケーキに苺ジャム挟んだだけのものだけど。一緒にどうかな、と思って」
アリオスは鞄から丸い皿を取り出す。と、その上に丸い形のものが乗っていた。
「これがその……スィーツか?」
「パンケーキ。じゃあ、ちょっと食べてみようか」
アリオスはナイフを持ち出すと三角に切り分け、持ってきた皿にスフィアの分と自分の分を取り分けた。そしてスフィアの前にフォークを置く。
「小麦粉を練って焼いたものに、苺をつぶして煮詰めたものを挟んだ――って言えば、いいかな。まあ、甘いものだから、どうぞ」
アリオスはそう言うと、まず自分の分のパンケーキをフォークで少し切り取る。それを刺して、口に運ぶ。
「うん、美味い! やっぱり、甘いものは癒されるなあ」
にこにこしているアリオスを見て、スフィアもパンケーキを口にいれてみた。
「……甘い、という感覚か、これが」
「どう? 龍王の口には合わなかったかな?」
アリオスが、ちょっと不安げに訊ねる。
スフィアはすまして答えた。
「いや……大変に美味だ」
「そう、よかった」
アリオスが笑った。
スフィアはその笑顔に魅せられ――見惚れている自分に気付いて動揺した。
ケーキを食べながら、アリオスはスフィアに色んなことを訊いてくる。
今まで起きたことや、これからの事をどう思っているのか。
アリオスは人間の世界の色々な話を交えて、スフィアに聞かせた。
人間になど興味はなかったし、充分、知っている――キグノスフィアはそう考えていた。だが、アリオスの話につい聞き入る自分に、驚くのだった。
アリオスは言った通り、毎日訪ねてきて、スフィアと話をした。
スフィアもまた、アリオスが来るのをそれとは顔には出さないが、心待ちにするようになった。
しかしそれが、不意に途切れた。
「アリオスはどうしたのだ?」
スフィアは眷属の飛竜に訊いた。
「姿が見えません。野営してた場所にも、何も残っていません」
キグノスフィアの胸を、今まで感じた事のない苦しさが走った。
その締め付けられる痛みに、スフィアは戸惑うしかなかった。




