11話 ドワーフ娘と町の外
城壁の外は自然の息吹で溢れ返っていた。
見渡す限り生命の緑で覆い尽くされる大地。その香りを運ぶ風は、これから夏へと向かう熱を身に帯び、春の終わりと夏の到来を生き物たちに伝える。
アイレーンに繋がる街道の脇には広大な畑の姿。
かなり離れた位置にあるものの、城壁からでもそこで作業する者たちが薄っすらと確認できた。
空は一面の青。ぽつんと白があるのは寝坊でもして、仲間たちに置いて行かれたのか。
「ナナシちゃんは記憶喪失だったのか」
「まぁな、でも、悩んでいたのはその部分じゃない。人は記憶が無くても、新しく思い出を作ることができるから」
「……」
その何気ない言葉はエリドに効く。
彼も、いや、人は誰しも人には言えない事の一つや二つを持っているのだから。
「俺が悩んでいたのは、金だっ、金っ!」
「え、お金?」
「そう、二十万ルインっ」
「ということは、ナナシちゃんは、どこからか流れてきたってことか」
「うん、気付いたら全裸で草っ原に転がってた」
「ぜっ……!?」
エリドはその光景を想像し、急激に顔が火照った。
乙女よりも乙女らしいナンパ師は、顔の火照りを誤魔化すために明後日の方角を向く。
「なんで全裸だったかも分からないんだよなぁ」
「怪我とかは無かったのですか? その……」
ルーティーは言い辛そうに言葉を濁した。
そういう目に遭っている女性の大半は、盗賊たちに攫われて慰み者にされた後に放棄されているのが概ねである。
「いや、全くと言っていいほど無傷。なんなら確認する?」
ぱしん、と股間を叩くナナシに、ルーティーは小言を言わざるを得ない。
「女の子が、そのような事をしてはいけませんっ」
「わっはっはっ」
「もう……まぁ、何も無かったのであれば何よりです」
ほっと胸を撫で下ろすルーティーは、本当にナナシの事を心配していた。
これに同調するのはエリドだ。
彼の場合は強姦による肉体の傷よりも、心の傷の方を心配していたのだ。
無論、ルーティーがそれを心配していないわけではない。
「ほんと、訳が分からないんだよ。俺の能力もまったく意味不明だし」
「それは激しく同意です」
その珍現象を実際に目の当たりにしているルーティーは真顔で返答した。
ただ一人、それなる能力を知らぬエリドは首を傾げる。
「その能力と素材集めが何か関係しているのかい?」
「あぁ、俺の能力は【捏ねる】なんだ。なんでも捏ねられるんだよ」
「へぇ、それで素材を集めているのか」
「うん、俺にしか作れない何かを売って、一儲けして、アイレーンの町に住むんだ」
エリドにとって、ナナシが同じ町に住む、という響きは何物にも替え難い。
結婚は愚か、告白すらまだだ、というのに彼の頭の中にはゴールの鐘の音が鳴り響く。
「全身全霊で応援するよっ! なんなら、二十万ルインを都合してもいいっ!」
「くっ! お金で篭絡しようとはっ! 見損ないましたよっ、エリドさんっ!」
「始まりをしくじるわけにはっ!」
本人を差し置いてヒートアップするエリドとルーティー。
しかし、ナナシは、この申し出をやんわりと断った。
「いや、二十万は自分でなんとかしたい」
「ナナシちゃん……」
「これくらいで金を借りているようじゃ、この先、独りでやっていけないと思う。だったら、是が非でもやり遂げなきゃ」
ふんす、と鼻息も荒く決意表明する褐色ドワーフ娘の姿に、両者の無駄な熱は急激にクールダウンした。
「そうでしたね。教会暮らしも、あくまで仮のもの。ナナシちゃんの成長を阻害してしまっては本末転倒です」
「お金の譲渡は諦めるとして、協力するのはいいよな?」
「そりゃあ、もちろんっ!」
むっふ~、という満面の笑みに、ルーティーとエリドも釣られて笑みを見せる。
ナナシというドワーフ娘は良くも悪くも人を笑顔にする力を持っていた。
尚、これには【苦笑】も含まれる。
早速、ナナシの素材探しが始まった。
探す場所は城壁から離れず、畑の傍にまでは近付かず、といった範囲だ。
門から出て、城壁に沿って素材を探そうという流れは、安全性を考慮しての事。
一般の生産者であれば、ろくな素材が見つからないであろう素材探しは、ナナシにとっては宝の山で。
「んゆ? これはなんだ?」
「これは【鉄草】ですね。まるで鉄のように固い植物です。でも、植物なので簡単に燃えちゃいます」
「そうなんだ」
ナナシはしゃがみ込み鉄草を指で突っついた。
それは確かに硬く、変形もしないため、指で押すと草全体が揺れ動く。
「良く燃えるから焚火を起こす際に使われるな。そこら辺に沢山生えているから、殆ど価値なんてないよ?」
「いや、俺にとっては素晴らしく価値があるものさ」
ドワーフ娘は金色の瞳を輝かせながら、誰にも見向きされないであろう素材たちを回収して回る。
そこら辺に生えている植物はもちろんの事、砂利や石ころ、泥水とてドワーフ娘にしてみれば有用な素材足り得るのだ。
極めつけはこれだ。
ナナシは何気なくタンポポを束ね捏ね始めた。
完全な思い付きなのだが、彼女は捏ねて捏ねて、捏ねまくる。
するとやがて、それは黄色掛かった半透明に変化し、爽やかな香りを放ち始めた。
そしてそれを小さく千切る、と口の中に放り込んだではないか。
エリドは初めて目の当たりのする【捏ねる】能力に呆気に取られていた。
タンポポの成れの果てを、ころころと口の中で転がすナナシは、うんうんと頷き、二人にもそれを分けた。
「美味いぞ」
「えぇっ? 本当ですか?」
「う~ん、信じないわけではないんだけど」
タンポポは苦いもの。
コーヒーの代用品であることを理解している二人は、それでも恐る恐るタンポポの成れの果てを口にした。
「……うん? 甘いっ!?」
「いや、確かに苦みもあるけどっ! この優しい甘みはっ!?」
「たぶん、タンポポの蜜の味じゃね?」
この味を例えるのであれば【コーヒー飴】であろうか。
ただし、硬さはグミ程度のもので、簡単に噛み千切ることができる。
「【捏ねる】能力にこのような効果があるだなんて」
「俺も驚きだ。こいつがな、美味しいよって言ってくるんだよ」
「また、素材の声というやつですか?」
「ま、そんなところ。でも、子供には早いかな?」
「確かに、大人の味ですね」
エリドも、それには同意。
一度食べると病みつきになるタンポポグミは、あっという間に三人の胃袋に納まった。
素材を集めて二時間。城壁を伝い、かなり歩いた場所に彼女らの姿はあった。
「そろそろ昼だな」
「そうだね、町に戻ろうか」
そろそろ昼時とあって町に戻ろうという話になった頃、エリドは妙な気配を感じ取る。
「……二人とも、こっちへ」
エリドの押し殺したかのような声に、何事かと女子二人は彼の背に回る。
そこは見晴らしの良い草原であった。別に異変は見当たらない。
遠くに畑が見え農家たちがせっせと働いている。
平和な日常は盤石の構えを見せ、不穏な空気を締め出そうとする。
だが、エリドは確かに僅かな変化を認めた。
それは勘違いでもなんでもない、と理解すると彼は腰の見事な剣を抜く。
「【圧】っ」
そして、裂帛の気合を籠め、何も無い空間に闘気を送りこんだ瞬間、何者かが姿を現した。
「キシャァァァァァァァァァッ!」
それは、巨大な目玉を二つ備える、奇妙なトカゲだった。
体長は三メートル近く、頑強そうな紫色の鱗をびっしりと生やしている。
「なんで、こんなところに【イリュージア】がいるんだっ!?」
見え無き者の正体を見破ったエリドが驚く。それもそのはず。
この化け物は本来、砂漠地帯にしか生息しない生物なのだ。
にもかかわらず、このような草原、しかも町のすぐ傍に出没しているのは不自然極まりない。
「ちっ、魔物使いが逃がしたか、密輸に失敗したか。迷惑なっ」
「ちょ、どうすんだっ!? 強そうだぞっ!」
「実際、強いよ。一人じゃ無理かも」
まるで、以前にやり合ったことがあるかのような言い回しは、緊張下にあるナナシには伝わらず。
そして、ルーティーもまた、魔物との遭遇は初めての経験となる。
「はわわわ……」
「シスターは、隙を突いてナナシちゃんと逃げてくれ」
「ひぅっ!?」
「しっかりしてくれ!」
「ひゃ、ひゃいっ!」
ガクガクと震える膝を強引に立たせ、ルーティーはナナシの手を取った。
「す、隙をついてっ、に、逃げましょうっ!」
「やだ」
「ちょっー!?」
「確かに護衛は有難いが、俺は仲間を見捨てるのはご免だ」
何かにスイッチが入ったのか、ナナシの眼差しは少女というには遠く離れていた。
それは言うなれば、戦に赴く戦士の眼差し。
「俺は非力だけど、戦えないわけじゃない。一人が無理なら二人じゃどうだ?」
「一応、俺は護衛の依頼を受けている立場なんだけど」
「金銭のやり取りが発生していない以上、ある程度は自由だろ」
「参ったなぁ……格好いいところを見せたかったんだけど」
「じゃあ、あいつをやっつけて、直に見せてくれよ」
エリドは、想いを寄せる女性に背中を押された、と自覚する。
決して退けない戦いの到来を理解し、相棒たる剣に力を籠めた。
「じゃあ、そうさせてもらうよっ!」
紫色の怪物イリュージアが咆哮を上げ、真っ直ぐに突撃してくる。
エリドの退けない戦いが始まりを告げた。




