第83話 ライナルトの決意
戦勝の喧騒がようやく静まり返った軍の野営地。その中央に構えられた天幕で、ライナルトはヴァルトハイン公爵――己の父と、重苦しい沈黙の中に向き合っていた。
「……やはり、兵を返してグロッセンベルグを叩くべきです」
ライナルトの進言に、公爵は鼻を鳴らした。
「愚かなことを言うな。お前の兄は、たまたま一都市を手に入れただけだ。あやつは軍人ではない。領地の一つや二つで、勝ち誇るほど我らは浅はかではないぞ」
「ですが、父上。兄上は砦に民を集め、技術と秩序でその地を統治しています。ただの僻地ではありません。あの男を中心に、帝国の残党すら動き始めているのです」
「民など放っておけ。王侯貴族を制するのが国の柱だ。それに、グロッセンベルグを奪って何になる? あそこは周囲を森と山、それに荒野で囲まれた陸の孤島。維持する兵站すら苦しいわ」
「……兄上を放置すれば、やがてこちらが苦しくなります」
「――お前は、まさか兄に劣ると思っているのか?」
その言葉に、ライナルトの眉がわずかに動いた。
「兄に対する嫉妬か? 小さき弟が、優れた兄に嫉む姿は見苦しいぞ」
「……!」
ライナルトは静かに立ち上がり、拳を握った。
「私は、嫉妬などしていません。ユリウスが成したことを正しく評価し、脅威と見るべきだと申し上げているだけです」
「戯言だ。あやつは失敗作だ。お前と違って、己の剣すら振るえん男だ。武門の家に生まれながら、剣を捨てた不忠者だぞ」
その言葉に、ライナルトの瞳がわずかに揺れた。
「……ならば、その不忠者に民も都市も奪われた貴族たちは、何なのでしょうね?」
「……ライナルト」
公爵は目を細めてライナルトを睨んだ。
しかし、ライナルトは臆することなく続けた。
「この地の維持など、私でなくともできるでしょう。私が必要なのは、あの地を断つこと――」
公爵は机を叩いた。
「命令だ、ライナルト。兵を残し、この南の拠点を守れ。それが公爵家の次期当主としての責務だ」
しばし沈黙ののち、ライナルトは目を伏せ、頭を下げた。
「……承知しました、父上」
だがその背に、従順の気配はなかった。
(父上。あなたは何も見ていない。兄上の強さも、民の声も。このままでは、ヴァルトハイン公爵家は滅びる)
天幕を出たライナルトの視線は、夜の空を超えて、遠くグロッセンベルグの地を見据えていた。
(ならば――変えるしかない。公爵家を、俺の手で)




