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外れスキル〈工場〉で追放された兄は、荒野から世界を変える――辺境から始める、もう一つの帝国史――  作者: 工程能力1.33
1章

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第55話 迫る危機

 砦に足を踏み入れた瞬間、男の眉がわずかに動いた。


(また新しい建物……一体、どこまで増えるんだ)


 表情には出さず、商人然とした笑みを浮かべながら、荷車を引いて門を通る。数日前には影も形もなかったはずの施設が、すでに稼働している様子だった。細い金属の管が複雑に絡み合い、中央には丸い筒状の装置が音を立てていた。


(……なんだ、あれは)


 不自然なほど重厚な外装。微かに振動を伝える筐体。その正体がつかめず、男は装置から目を離せなかった。


「そっちは触らないほうがいいよ。爆発はしないけど、びっくりするかもな」


 ふいに背後から声をかけられ、思わず肩が跳ねた。振り返ると、簡素な服を着た若い住民の男が、笑って肩をすくめている。


「なんだ、これ……工房か?」


「へへっ、冷たい空気を出すんだ。『エアコン』ってやつさ。ユリウス様が作ったんだよ」


「冷たい……空気?」


 信じがたい言葉に、スパイは思わず装置を見直す。配管の先からは、確かに冷たい風が吐き出されている。近くの子供たちが顔を当ててはしゃいでいるのが見えた。


(馬鹿な……魔法でもない、火でもないのに冷たい風を?)


 しかもそれを、一部の住民だけとはいえ使わせている。これはただの贅沢ではない。生活そのものを変える「何か」が、この砦で動いている。

 ふと視線をずらすと、訓練場では自警団が槍を振るっていた。素人同然だった彼らの動きが、以前より整っている。列を乱さず、号令に従って整然と動く姿は、すでに寄せ集めの民兵とは言えなかった。

 その先には、またあの男の姿があった。グレン・リルケット。帝国騎士団の象徴とも言える存在が、まるで当然のように辺境の砦に立っている。


(こんな連中が、静かにしているはずがない……)


 胸の奥に、重く冷たいものが沈む。


(……早く報告しなければ)


 男はまた笑顔を貼りつけたまま、砦の奥へと歩き出した。


 日が傾き始めたグロッセンベルグの屋敷。その執務室で、代官ヘルマンは椅子に深く腰掛け、報告書の束に目を通していた。


「……冷たい空気を出す装置? パンと酒の工場、さらに兵の訓練……。まるで小さな都市国家じゃないか」


 机に報告書を叩きつけるように置き、ヘルマンは立ち上がる。


「たかが追放された坊やが、よくもまあ……」


 怒気を含んだ声で呟いた後、彼の顔から笑みが消える。視線は北方、ノルデンシュタイン砦のある方角を向いていた。


「このまま放置していれば、いずれ公爵様やライナルト殿のお耳に入る。いや、すでに気づかれているかもしれん」


 眉根を寄せながら、ヘルマンは静かに、しかし決然とした声で言い放つ。


「動くしかあるまい。砦を潰す。あれ以上、好き勝手はさせん」


 命令が下されると、部下たちは即座に動き出した。鎧の音が廊下に響き、書状が伝令に託される。静かだった屋敷に、戦の気配が忍び寄っていた。


 それは、ノルデンシュタイン砦に迫る最初の危機であった。


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