第204話 刺客
ユリウスの部屋に漂う鉄の臭いと、金属が焦げ付いたような残滓。それは、わずか数分前まで命の危機がそこにあった証だった。
鉄の臭いは当然血液である。
刺客――おそらくは高位のスキル保持者が送り込まれたが、それを阻んだのはアルだった。小柄な体に不釣り合いな大刀を構え、冷静に敵の急所を断ち切ったその動きは、ゴーレムとは思えぬ精密さと、まるで守護天使のような決意に満ちていた。
「お兄ちゃん、大丈夫? もう大丈夫だからね」
そう言って微笑むアルは、まるでいつも通りの幼い妹のようでありながら、膝に広がる返り血がその現実を否応なく突きつけていた。
ユリウスは苦笑しながら頷く。
「助かったよ、ありがとう。君がいなかったら……今ごろは本当に危なかった」
実際にその通りで、警戒している中をユリウスのところまでたどり着いた刺客である。
その腕は容易に想像できた。
「えへへ……お兄ちゃんのためなら、何度でも頑張るから!」
そこへ、剣を手に駆け込んできたのはリルケットとセシリアだった。
「遅れて申し訳ありません、ユリウス様……!」
「けがは!? ……血? 違う、これは……アル?」
「あたしがやったんだよーん」
と、アルは得意げに血まみれの剣を構えたままニコッと笑って見せた。
状況を確認し終えたリルケットが、重々しく言葉を紡ぐ。
「このような刺客を送るということは、アーデルハイト侯爵に与する貴族の誰かか……もしくは侯爵自身の命令でしょう。ですが、敵のとれる手段も限られてきました」
「限られている?」
「はい。もはや堂々と軍を進めるには、大義が足りない。そうなれば、彼らに残された手は――こうした刺客か、あるいはスキルを持つ当主自らが出向いて戦う、という選択だけです」
そう語るリルケットの声には、冷徹な現実と分析の鋭さが滲んでいた。
そのとき、扉をノックして入ってきたのは、シャドウウィーバの連絡員だった。黒衣をまとい、素早く一礼すると、封をされた文をユリウスに差し出す。
中を読み、眉をひそめるユリウス。
「……前線に、アーデルハイト侯爵が“兵器”を配備しているらしい」
「兵器……?」
セシリアの目が鋭く細められる。
「間違いないわ。魔導錬金術による兵器化の兆候。ヴィオレッタが開発していたあの技術を、彼が引き継いで実用化に踏み切った……」
「敵も、本気になってきたということか」
ユリウスは静かに頷き、今は亡き者たち――リィナ、ライナルト、そしてヴィオレッタの狂気に巻き込まれた人々の顔を思い浮かべた。
これは、もはや避けようのない戦争。
その最前線には、自分自身が立たねばならない――。
決意の強さを表すかのように、強く握った拳は己の爪で皮膚を切り裂いていた。




