第194話 夢
ユリウスは夢を見ていた。
灰色の空。どこまでも続く荒野の中、ぽつりと三人の姿が立っていた。
リィナ、エリザベート、ライナルト。
ユリウスは歩み寄り、静かに告げる。
「……倒したよ。ヴィオレッタを」
三人は何も言わなかった。ただ、微かに口元を緩め、満足そうに、安堵するように、頷いた。
それだけでユリウスの胸は熱くなった。喉が詰まり、もう一言、何かを伝えようとしたとき、三人は背を向けた。
「……待って……」
手を伸ばそうとするが、腕が重くて動かない。まるで自身の体が鎖で縛られているようだった。
「行かないで……お願いだ、まだ……」
だが三人は振り返らず、薄明かりの向こうへと静かに歩いていく。
焦燥が胸を締めつけ、呼吸が浅くなっていく。
――行かないでくれ。
その心の叫びが喉までせり上がった瞬間、目の前の光景が溶けていった。
ユリウスは目を覚ました。
重いまぶたをゆっくりと持ち上げると、見慣れた天井があった。ヴァルトハイン城の医務室。
自分はベッドに寝かされていて、隣のベッドには……ミリがいた。彼女もまだ眠っている。顔色は良く、呼吸も穏やかだった。
それを確認してから、ユリウスはようやく大きく息を吐いた。
――終わったんだ。あの悪夢は。
ミリの傍らには、絞った冷たい布が置かれている。きっと誰かが額を冷やしてくれていたのだろう。ユリウスはその心遣いに、感謝と申し訳なさが入り混じった気持ちになる。
そのとき、小さくミリが身じろぎした。
「……ん……兄貴……?」
掠れた声で目を覚ました彼女は、ユリウスの顔を見るなり、ほっとしたように微笑んだ。
「良かった……生きてた……」
「君こそ……」
ユリウスも微笑み返す。その瞬間、視界がにじんだ。
「あれ……」
頬を伝う熱い雫に、自分でも気づかなかった。
「兄貴……泣いてるの?」
「夢を見たんだ。リィナと、エリザベートと、ライナルトに……ヴィオレッタを倒したって、報告した」
「うん……」
「でも、三人とも何も言わずに頷いて、それで……行っちゃったんだ」
言葉にした瞬間、胸の奥で締めつけられていたものが、ふっと緩んだ。
「……もう会えないんだって、そう思ったら……気がついたら、泣いてた」
ミリは静かに手を伸ばし、ユリウスの頬に触れる。震える指が涙をぬぐった。
「大丈夫、兄貴。三人とも、わかってるよ。ちゃんと見ててくれた。兄貴が、どれだけ必死だったか」
「……そうかな」
「うん。だから、私たちが生きていかなきゃ。三人のぶんまで」
ユリウスは頷き、そっとミリの手を握った。
あたたかいその手が、今、たしかにここにあるという事実に、救われる思いだった。
その時、医務室の扉が静かに開き、セシリアとアルが顔をのぞかせた。
「ユリウス……!」
「お兄ちゃん……!」
二人の姿を見て、ユリウスは微笑んだ。すぐにセシリアがベッドへ駆け寄り、ユリウスの手をそっと握りしめる。
アルも反対側のベッドから身を乗り出して、ユリウスの胸にぽすんと額を預けた。
「無事で、よかった……っ」
セシリアの手が震えている。普段は気丈な彼女の瞳に、うっすらと涙が滲んでいた。
「心配かけてごめん。でも……終わったよ」
ユリウスの声はまだ本調子ではないが、確かな決意と静かな満足感があった。
「リィナと……ライナルト、そしてエリザベート。みんなの仇は、取れた」
静かな言葉に、セシリアとアルは息を呑む。
セシリアはしばらく何も言えず、ただユリウスの手を握りしめていた。その白い指先が少し強くなる。
「……ありがとう、ユリウス」
そう言って彼女は、ベッドの縁に腰を下ろした。静かに、語り始める。
「……ごめんなさい。ヴィオレッタのこと……もっと早く気づいて、止められたはずだったのに……」
「セシリア……」
「わたしの家族だったのに……あんなにも狂っていくのを、私は……目を背けてた。どこかで、きっと理解し合えると……姉妹だからって……甘えてた」
彼女の声はかすれていた。言葉の端々に、苦しみと悔いがにじんでいる。
「でも、もう……終わったんだね……」
セシリアは顔を歪めて、涙をこらえるように笑った。
「あなたが……ヴィオレッタを止めてくれた。家族である私には、できなかったことを……あなたがしてくれたの……」
その言葉に、ユリウスは目を閉じて静かに頷く。
「君の気持ちは、分かるよ。僕だって……できるなら、こんな結末は望まなかった」
「でも……」
セシリアが顔を上げ、涙をこらえながら言う。
「それでも、あなたがいてくれてよかった。ユリウスが……私のそばにいて、闘ってくれて……本当に、ありがとう」
ユリウスは小さく微笑み、手を返してセシリアの指を握り返した。
「こちらこそ……ありがとう。君がいたから、僕はここまで来られたんだよ」
「お兄ちゃん、アルもがんばったよっ」
突然割って入ってきたアルが、得意げに胸を張った。
「お兄ちゃんのこと、心配で、何回も診察室の前で待ってたし。泣いたセシリアちゃんの背中もさすってあげたんだから」
「アル……」
セシリアは微笑みながら涙を拭い、アルの頭を撫でる。
それは、ほんのわずかにほころびかけた姉妹の呪縛から、ようやく一歩を踏み出したような穏やかな表情だった。
静かな、けれど確かな絆の温もりが、医務室を包んでいた。




