第148話 新体制
ヴァルトハイン城、作戦会議室。窓の外では移民の亜人たちが工房や住居を建て、砦の街が日々拡張されていた。
その様子を背に、ユリウスは机上の地図に目を落としていた。そこには南部地域全体と、東部との境を少し越えたところにまで広がる自らの勢力圏が描かれている。
「ユリウス様。そろそろ、組織を整えるべきかと」
リルケットが、真剣な声で口を開いた。
「組織? 軍の再編なら前に話した通り、予備役を――」
「いえ。政治組織です。官僚制度。徴税、治安、民生、法制、外交。それぞれを管轄する局を明確に定め、人材を配し、責任の所在をはっきりさせねばなりません」
ユリウスは、手にしていた鉛筆を止めた。
「……そんなに危ないか?」
「今まではユリウス様の眼と耳、判断力でどうにか回ってきました。しかし、支配地域は広がり、民の数も数千万を超えつつあります。口伝や伝令では情報が錯綜し、判断の遅れが致命となりかねません」
「確かに……」
思い返せば、先日も東部から届いた報告が二日遅れだった。さらに、その内容も現地の状況と食い違いがあり、判断が遅れた。
グロッセンベルグからの役人と、ほぼ平和裏に吸収した地域があるにしても、それらを束ねるユリウスの処理能力は限界を超えていた。
「……政庁を建てよう。各地に派遣する地方官を任命して、評議会を作る。手始めに、信頼できる仲間を各部署に割り振って……」
「はい。全て、草案をまとめてあります」
リルケットが鞄から書類を取り出す。分厚い束には、法案の雛形や組織図までがすでに記されていた。
「リルケット殿は……用意が良すぎる」
ユリウスが苦笑する。だが、その瞳には確かな決意が宿っていた。
「――僕は君たちの未来を託されている。ならば、その責任を果たそう。国として、歩き出す時が来たんだな」
こうして政治機構がつくられたヴァルトハイン城・政庁執務室。
山積みになった報告書と、机上に並ぶ未決の書類の前で、ユリウスは額に手を当てていた。
その隣では、宰相代理のクラウス・アーベントが涼しい顔で帳簿をめくっている。
「労働力不足は明白です。都市整備、兵器開発、移民支援、それに農業。すべてが人を必要としている。現状の人員では維持すら困難です」
アーベントの口調は事実のみを淡々と述べるものだった。だが、それがユリウスの焦燥感をより強く煽る。
「でも、それを言い出したら、どれかを切り捨てろという話になるじゃない。今さら砦の孤児院を閉じろとでも?」
セシリアが珍しく声を荒げた。
「感情では国は動きません。最優先は統治の安定です。国防の強化と徴税体制の構築こそ急務。情けだけで理想は成り立ちません」
「じゃああなたは、理想も情も捨ててこの国を動かすの? ユリウスは、そんなつもりで始めたんじゃ――!」
官僚然としており感情を表に出さず、数字のみで判断するアーベントと、現場の意見に耳を傾けるセシリアの相性は悪かった。
すでに、こうして何度も衝突している。
「セシリア、落ち着いてくれ」
ユリウスが二人の間に手を差し出し、静かに口を開いた。
「クラウスの言うことも正しい。理想を語るだけでは何も変わらない……でも、だからこそ僕は、やるべきことを一つずつ解決していくよ。まずは、農業だ」
「農業、ですか?」
アーベントが眉をひそめた。
「うん。今のままじゃ、農業が人手を食いすぎてる。労働集約型のやり方を見直す。機械化か、それとも魔導技術の導入か――とにかく、農業を変えよう。人を、未来のために解放するんだ」
セシリアは、少し目を見開いた後、ふっと微笑んだ。
「それなら、私の出番ね。魔導式の耕作補助具、研究してみる」
「ありがたいよ、セシリア」
一方のアーベントは口元に小さく笑みを浮かべると、書類の山の中から一枚を抜き取った。
「では、農業改革案を検討するための専門局を設けましょう。人員は……また足りませんが、策はあります。お任せを、閣下」
更にアーベントは続ける。
「南部地域の総人口は概算で1億。現在までに把握されている農村データ、および納税者統計から推計して、約九千万が農業従事者と見なせます。」
「九千万……!?」
セシリアが思わず声を上げる。だがアーベントはその反応にも動じず、淡々と続けた。
「帝国暦527年の統計より、帝国が発行したレポートの内容を比較しました。統計の反映がむずかしい山岳地域を除けば、大陸全体の人口は5億前後。農業従事者の割合は、おおむね同等でしょう。」
「つまり……」
ユリウスが息を吐く。
「産業や技術を担うことができるかもしれない人材が、食うためだけに生活してるってことか。」
「ご明形。民に余裕の時間と意識を与えなければ、技術も軍備も、文化すら生まれません。理想を現実にしたいならば、まず“手”を解放する必要があります。農業を、変えるのです。」
ユリウスは、深く頂頂いた。
「そうだな。農業を効率化して、非農業部門雇用者数を増やせる社会をつくろう。まずはそこから、始めよう。」




