第144話 金剛の印
ユリウスの言葉に涙ぐんだミリが袖で目元を拭っていると、ちょうどリィナがティーセットを乗せた銀の盆を抱えて部屋に入ってきた。
「お茶をお持ちしました、ユリウス様」
「ありがとう、リィナ」
湯気の立つ香ばしいハーブティーが、ほのかに気まずくなった空気を和らげる。
そこに、セシリアもタイミングを見計らって戻ってきた。
ミリは気を取り直し、そっと口を開いた。
「……そういえば、ドワーフの王族の証って、何かあるのか?」
その問いに、ユリウスとセシリアが視線を向ける。
ミリはもじもじと俯いた後、小さな声で答えた。
「……ある。お尻にね、金剛の印っていうのが……あるの。王族にしか出現しない痣みたいなものが」
一瞬、室内が静まり返った。
リィナが素早く一歩前に出て、顔色一つ変えずに口を開く。
「では、確認しましょう」
「えええええええええっ!?!?!?」
ミリが耳まで真っ赤にして椅子から跳ね上がった。
「ちょ、ちょっと待って!? なんでそうなるの!? 今ここで!? 人前で!?」
「王族としての正統性を証明するためには、しかたのないことです」
「なんでそんな冷静なのぉぉぉおおお!!?」
ミリは椅子を盾にして腰を隠し、必死に後ずさる。
「やめてーっ! 兄貴もセシリアも何か言ってぇえええっ!!」
セシリアは口元を押さえながら「ぷっ」と吹き出し、ユリウスも頭を抱えた。
「リィナ、とりあえずお茶にしよう。な?」
「……承知しました」
リィナは少し残念そうに盆を置くと、じっとミリの背中を見つめていた。
ミリは顔を真っ赤にしながらも、意を決したように言った。
「……乙女の尊厳にかけて、見せるのは……セシリアとリィナだけにして……」
そして、女性三人は部屋を出て行く。
やがて小部屋に移動した三人が戻ってくると、セシリアが静かにうなずく。
「金剛の印、確かにありました。紛れもなく、王家の正統な血筋です」
空気が変わった。お茶の香りがまだ残る部屋に、沈黙が訪れる。
その沈黙を破ったのは、セシリアだった。
「でも……南部でも種族間の対立が消えたわけではないの。人間の傲慢さや、異種族への蔑視は根深く残っているわ」
ミリが視線を伏せる。ユリウスは彼女の肩にそっと手を置き、静かに口を開いた。
「だからこそ、今のうちに、基盤を作らなければならない。共存のための現実的な方法を……」
彼は視線を天井へ向け、遠い記憶をたぐるように語る。
「――ノルデンシュタイン砦を思い出してた。あそこには、自然と人間も異種族も集まり、共に働き、食べ、暮らしていた。まだ完全じゃなかったけど、理想が確かに息づいていた。僕たちの出発点でもあった、あの砦が」
リィナがうなずき、補足するように口を開いた。
「初めからすべての偏見をなくすことは不可能です。しかし、居住地をある程度分け、仕事や学校、訓練施設などで自然な交流を生む環境を整えれば、次第に心の壁も崩れていくはずです」
セシリアもまた、深くうなずく。
「時間がかかってもいい。偽りの平和より、少しずつでも心からの共存を。そうよね、ユリウス」
「……ああ。僕たちが最初に築いた砦を、帝国全土に広げよう。ノルデンシュタインは夢じゃなかった。きっと、どこにだって実現できる」
小さな部屋に灯る、未来への希望の光。それは確かに、砦の頃と同じ輝きを宿していた。




