第141話 ポセイドン
ヴァッセンブルク伯爵家
かつてアルケストラ時代にも栄えた海港都市を治める由緒ある一族。誇り高く、他勢力がユリウスの技術供与に頼ることを「野蛮人の真似」として拒絶している。
ユリウスたちはこのヴァッセンブルク伯爵を降伏させるため、新兵器を開発していた。
ヴァルトハイン城の南、かつて人工湖だった施設跡地。いまやユリウスの管理下で、水陸両用兵器の開発テスト場として再整備されている。
高く立ち上がる蒸気と魔素の噴射音を伴って、水中から巨大な影が浮上する。
指揮官用パワードスーツ、PS-03《ポセイドン》。
深海の王の名を冠したその機体は、漆黒と深青の複合装甲をまとい、肩部と脚部に展開式の水流推進ユニットを備えていた。
周囲では、量産型のPS-03-Cが二機、テストに同行する形で水中を旋回している。
コックピットに乗り込むユリウスの姿を見上げながら、リルケットが双眼鏡を下ろす。
「……なるほど。あれなら、ヴァッセンブルク伯爵も無視はできませんな」
「海軍力を鼻にかけて、技術供与を拒否してきたんだろ?」
ユリウスの声が、無線越しに返る。
「ええ。ですが、あの連中の誇りは“制海権”です。海上戦闘で敗れるようなことがあれば、そのプライドは音を立てて崩れましょう」
リルケットは静かに微笑む。
試験開始の号令が飛ぶと、ポセイドンは水中に再突入。滑らかに姿勢を変えながら、敵役として想定された旧型の水上兵器を一撃で破壊する。魔素と圧縮空気の複合推進により、陸上でも水上でも損なわれぬ機動性。
しかも、ユリウスの搭乗するポセイドンには戦術演算支援ユニットが搭載され、複数機のカリュブディスを指揮する能力を持っていた。
「これが見せられれば、交渉の余地も生まれる……少なくとも、ヴァッセンブルクが“技術を乞う屈辱”と“海上戦力の喪失”を天秤にかける日も遠くないでしょう」
湖畔に立つリルケットの目が、戦場を冷静に測っていた。
――――
ヴァッセンブルク伯爵の城のテラス。
海を見渡す高台に立つ城からは、青く澄んだ湾と、そこに並ぶ五隻の大型帆船軍艦がよく見える。
「ふん、所詮は辺境の成り上がりか。工場とやらを持っているだけで、海の覇道を語るとは笑止千万だな」
ヴァッセンブルク伯爵は椅子に身を沈め、シガーをくゆらせながら、そう吐き捨てた。
彼の隣では、豪奢な軍服に身を包んだ二人の息子たち――長男ルートヴィヒと次男エドゥアルトが、同じく傲慢な笑みを浮かべていた。
「父上、見てください。あの“ヴァルキューレ”と“ベルナデット”の新装具合……もはや帝国随一の艦隊では?」
窓の外には自慢の軍艦が見える。
「どれほどの陸軍を誇ろうが、海は我らの庭よ」
そう、笑いあっていた次の瞬間。
沖合の水面が突然、激しく爆ぜた。
ドンッ――!
「……な、何だ今の音は!?」
海面が白く泡立ち、轟音とともに巨大な水柱が上がる。
見れば、“ヴァルキューレ”の艦尾が一瞬で吹き飛ばされ、船体が傾き始めていた。
ユリウスが開発した新兵器、ポセイドンとカリュブディスが装備する魔素魚雷、「トライデント」が初めて実戦で使われた瞬間であった。
「港内で爆発が!? なぜっ……!」
直後、第二の爆発。続いて第三の爆発。
“ベルナデット”と“カタリナ”も、艦底から破壊され、ゆっくりと沈み始めた。
「港内に敵など……いや、海中から!? まさかっ!」
そう叫ぶ伯爵の目に映ったのは、爆煙を突き破り、水上へと跳ね上がる二体の巨影。
漆黒の重装甲に包まれた、指揮官用パワードスーツ「ポセイドン」。
それに続いて、水棲生物を模した装甲と推進器を備える汎用型「カリュブディス」。
両機体は跳躍の勢いをそのままに、残された戦艦“ローゼリンデ”に接近。
ポセイドンの右腕に装着された巨大な戦槌が、帆柱を薙ぎ払う――!
ズドンッ!
「ローゼリンデのマストが……叩き折られた!?」
港はすでに混乱の極みにあり、砲手たちは何一つ反応できない。
カリュブディスが放った補助魚雷が、さらに波止場の弾薬庫を爆発させ、戦場は完全に制圧された。
――すべて、数分の出来事であった。
呆然とその光景を見つめるヴァッセンブルク父子。
しかし、それがユリウスによる攻撃だとすぐに理解する。
伯爵は、歯噛みしながらつぶやいた。
「これが……魔素技術の真価か……」
数日後、ヴァルトハイン城の門前、玉砂利にひざをつき、ヴァッセンブルク伯爵は顔を地面に押しつけるようにして土下座していた。
「命だけは、命だけはお助けください! 我が愚かさをお許し願いたい……!」
その姿は、かつて港の軍艦を見下ろして高笑いしていた男とはまるで別人だった。派手な軍服の裾は泥にまみれ、頬は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。
城の階段に立つユリウスは、静かにその様子を見下ろしていた。背後ではリルケットやセシリア、ミリたちが緊張した面持ちで見守っている。
やがて、ユリウスは一歩、階段を下りた。
「顔を上げてください。ヴァッセンブルク伯爵」
ユリウスの声は冷たくも温かくもなかった。ただ、真っ直ぐに相手を見据える声音だった。
伯爵がおそるおそる顔を上げると、ユリウスははっきりと告げた。
「我々は、従う者を拒みはしない。ただし、裏切りは二度許さない。命を懸けて示してください。あなたが本当に、我が理想に従う気があるのかどうかを」
「……は、はいっ!」
震える声で返事をしながら、伯爵はまた深々と頭を下げた。
この出来事が広まると、徹底抗戦を唱えていた他の強硬派貴族たちも次々と降伏の意志を示し始めた。
彼らはユリウスが容赦なく戦力を叩き潰す実力を持ちながら、恨みを根に持って報復する人物ではないことを理解したのだ。
かくして、南部はユリウスのもとにまとまりつつあった。




