第123話 ライナルトの撤退
ヴァルトハイン公爵家が北部戦線の本陣として使っているの古城――。
その執務室で、雷帝ライナルト・フォン・ヴァルトハインは、かつてない苛立ちを噛み殺していた。
「……この俺の雷撃を正面から受けて、生き延びただと?」
椅子にも座らず、窓際に立ち尽くしたまま、ライナルトは忌々しげに呟いた。
確かに見た。自ら放った雷槍がユリウスの背に直撃した。パワードスーツの背部にあった巨大な盾が閃光に包まれたのも。
爆発音と煙が晴れたとき、ユリウスは立っていた。
だが、ライナルトは追撃できなかった。あの瞬間、雷撃を受けた衝撃で足元が揺らぎ、自身も一歩よろめいたのだ。
傷ではない。だが、確かに身体に響く違和感が残っていた。
「ユリウス、貴様が……俺の雷を受けてなお、無傷だっただと……!」
拳を握り締める。ユリウスが自分の眼前から逃げおおせたという事実が、何よりも彼の誇りを傷つけていた。
扉が叩かれ、騎士が入ってくる。
「ライナルト閣下、南部より報告が――」
「今は聞かん」
「……いえ、それが――緊急です」
騎士の緊迫した声音に、ライナルトは目を細めた。
「言え」
「フォルクシュタイン貴族連合が、南部から進軍を開始しました。すでに国境を越えたとのこと。恐らく、我が軍が北に集中している隙を突いたかと……」
雷帝の眼が光を帯びる。怒気が部屋全体に満ちた。
「――ユリウスに気を取られていた隙か」
低く、唸るように言った。
これ以上の失態は許されない。セシリアを囮にしてユリウスを引きずり出した策は、確かに彼を出撃させた。
だが、仕留め損ねたばかりか、南部の連合軍にまで動かれたとなれば、完全に裏をかかれたことになる。
ライナルトは踵を返し、命じた。
「本隊を再編しろ。南へ向かう。奴らに背を見せる気はない」
「ですが、ユリウス軍は――」
「動けん。奴は盾で雷を防いだが……それだけだ。パワードスーツの構造に何かがあったのだろう。だが、奴の体はもう限界だ。セシリアを奪われた腹いせは、後で返す。今は南部の火事場泥棒のような敵を叩く」
その声音は冷たく、しかし苛烈だった。
ユリウスは生き延びた。
ならば、次こそは確実に――。
ライナルトの心のうちには雷鳴が鳴り響いていた。
一方、ユリウス陣営。
天幕の外から駆け込んできた斥候が、一同の視線を集めた。
「報告! ライナルト閣下率いるヴァルトハイン軍、撤退を開始しました!」
その場にいた者たちがどよめく。
「撤退……? 何故だ? まさかセシリアの脱出が原因じゃないよな」
ミリが眉をひそめながら口にすると、リィナが無言で首を横に振る。
ユリウスはベッドの上で上体を起こしながら、鋭い目で地図の上に視線を落とす。
「補給の限界か? いや……雷槍投爆の残弾不足はあっても、あれだけの兵力をあっさり引かせるとは考えにくい」
そのときだった。
陣幕が開き、騎馬のまま帰還したリルケットが姿を現した。
「……遅くなりましたな」
全身に旅塵をまといながらも、リルケットはどこか満足げな表情を浮かべていた。
「リルケット!」
セシリアが立ち上がりかけるのを、ユリウスが手で制して彼の報告を促した。
「南部のフォルクシュタイン貴族連合。説得に成功した。彼らはライナルトに恨みを抱き、再び立ち上がる決意を固めた」
「まさか、もう動き出しているのか?」
「ああ。すでに南部から進軍を開始している。おそらく、ライナルトの撤退はそれを察知しての判断だろう」
その場が安堵の雰囲気につつまれる。
すべてが一本の線で繋がったように、ユリウスは頷いた。
「なるほど……だから撤退か。セシリアを失った報復で強引に攻めてくるかと思ったが、まだ理性は残っていたようだな」
リィナが腕を組みながら小さく唸る。
「それにしても、フォルクシュタインを動かすとは……さすが元帝国騎士団長」
「お褒めにあずかり光栄だ」
リルケットが冗談めかして笑うと、ミリがぐるりと一同を見渡しながら言った。
「じゃあ、こっちも戻ろうぜ。整備も補給も不十分なまま、ここで戦を続ける理由はもうない」
ユリウスも頷いた。
「本陣に戻って再編する。これからはフォルクシュタイン連合と連携しながら、次の一手を考えなければな」
戦の風向きが変わったことを、誰もが肌で感じていた。




