お嬢様は、不機嫌になる(2)
「……かくして、同じ道を辿る……ね」
クリスティーナはアルバートの報告を聞き、眉を顰めてそう呟く。
既に闇の帷は空を覆い、屋敷の中も昼間とは打って変わって静かだった。
「どうして、同じ道を選ぶのかしら」
「……一度成功すれば、二度目も簡単に成功し得ると考えてしまうものなのでしょう」
彼の言葉に、彼女は眉を顰める。
「そんなものかしら。まあ、いずれにせよ不愉快な話だわ」
そう言って、溜息を吐いた。
重苦しい空気が、辺りを漂っている。
「申し訳ないけど、さっさと誘い込んで捕縛して頂戴。それから、明日にでもチュター商会に出かけるわ」
「畏まりました」
……そして陽が明けるのを待ってから、彼女はチュター商会を訪れた。
「いらっしゃいませ、クリスティーナ様。本日も、ご面談でしょうか?」
チュター商会の店の中に入ると、真っ先にカーサがクリスティーナの応対をする。
まるで、カーサがクリスティーナ専属の従業員のようだった。
「ええ、そうよ。……でも、今日は貴女の上司が目的ではないの」
クリスティーナの応えに、カーサは首を傾げる。
「アビー。貴女に用事があって来たのよ」
息を殺すように店の端で縮こまっていたアビーが、ピクリと体を震わせた。
「……失礼ですが、アビーではクリスティーナ様のお眼鏡に叶う応対はできないかと思いますが……」
カーサは困惑しつつも、反論を試みた。
「あら、アビー。私が、何の用件で貴女を訪ねたのか……貴女も、理解しているわよね」
クリスティーナの言葉に、再び体を震わせる。顔色は余程具合が悪いのではないかと思うほど、真っ青だった。
「……はい」
その上で、それでも肯定した。
「それじゃあ、上の会議室を借りるわね」
「承知しました。……私も、立ち会っても?」
「アビー、どうしたい?私だけでは話し難いということであれば、カーサが立ち会っても私は構わないわ」
「……いいえ。貴女様だけが良いです」
青白い顔のまま、それでもしっかりと主張する。
続いて彼女は顔の向きをカーサの方へと変えると、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「……ごめんね、カーサ」
「……別に、私が勝手に心配してるだけで……無理に聞くつもりはないから、そんな申し訳なさそうな顔をしなくても良いよ。困ったこととか辛いことがあれば、いつでも相談に乗るから」
その後、三人はカーサに見送られつつ上階の会議室に入った。
「……さて、アビー。先に私からの報告よ。我が家にエッカートが来たわ」
「……申し訳、ございません……っ」
「あらあら、落ち着きなさい。貴女がエッカートに話さなくとも、我が家が特許を持っている時点で、いずれはチュター商会に薬を卸しているのは我が家だった、ということは分かったと思うの。だから、貴女がエッカートに我が家で精製していることを伝えようが伝えなかろうが、結果は変わらなかったでしょうね」
クリスティーナは相手を威圧しないような柔らかな笑みで告げる。
「……まあ、手足となった筈のチュター商会の一員が、簡単に雇い主の情報を漏らすのは頂けないけれども」
……そう、彼女が告げた時。
言葉とは裏笑に、彼女の表情は先ほどと変わらなかった。
けれども、その目が雄弁に語る。
決して、アビーのことを赦している訳ではないと。
それぐらい、彼女のその瞳は冷ややかなそれだった。
アビーは決して鈍感ではない。
それ故に、彼女は体を震わせていた。
「ねえ、アビー。貴女、エッカートに縁を切られたのではなくって?」
けれども、続けられた彼女の問いにアビーは別の意味で震えた。
彼女の瞳は先ほどまでの生気のないそれではなく、怒りに燃えている。
「……っ。ええ、そうですよ!毒殺事件のせいで、チュター商会に勤めている私と一緒にいるところを見られたら、自分の地位が危なくなるって!それなら仕事を辞めるって言っても、彼は、私がチュター商会に勤めだったっていう過去は消せないからって!それで、一方的に……っ」
「あらあら、まあ……。それなのに、何故、雇い主の情報を漏らしたの?」
「彼が、私を必要としてくれたから……っ。ヨリを戻そうって、言ってくれたから……」
「それで、チュター商会を売ったの?」
彼女の問いに、アビーは一瞬口を閉じた。
「だって、そうでしょう?この前言った通り、チュター商会の信用は地に落ちて、崖っぷち。今は信用回復の為に、奔走している最中。それなのに、雇い主たる我が家の情報を売ったのよ。それで我が家に切られた場合、最早、チュター商会の皆は路頭に迷うことになるしかないと思うのだけど?」
「だって、チュター商会のせいで、私は彼に捨てられたんですよ!?こんな商会、なくなってしまっても良いじゃないですか!」
「あら……それはカーサも路頭に迷っても良かった、ということかしら。随分と仲良さそうにしていたけれども」
「……っ」
彼女の言葉は、アビーに響いたらしい。
みるみる内に怒りに染まった表情から、迷子のような途方に暮れたそれに変化していった。
「泣きたいのは、テッドの方でしょうね。……貴女のせいで、天才の称号から遠ざかったのだもの」
毒殺事件の首謀者であるテッドの名を、彼女は口にした。
「……そ、それは……っ」
すると今度は、再び怯えたような表情に変わっていった。
「あら、知らないと思って?……エッカートの名前が売れるキッカケとなった新薬。あれの基礎理論を作ったのは、テッドでしょう?そして、テッドからチュター商会に持ち込まれたそれを、貴女がエッカートに漏らした」
「……っ!」
「テッドも随分と抗おうとしたみたいだけど。残念ながら、我が家の家人の目はとても悪かったみたい。彼の訴えを退けてしまったなんてね。勿論、二度とそんなことがないように鍛え直している最中なんだけど……」
やれやれ、と、彼女は溜息を吐きつつ呟く。
「それはさておき、多方面から踏み躙られた結果、名を売ることに固執してしまった彼が、チュター商会の甘言に惑わされて毒殺作りに関与してしまった。……あら?つまり貴女が彼に捨てられたのって、そもそも貴女こそが、その要因の一つを作ったということよね」
彼女の鋭い問いに、アビーは呆然としていた。
「ダメよ、泣いては。さっき言った通り、泣きたいのは処刑される彼の方でしょうから」
涙をその瞳に溜めたアビーに、彼女は追い討ちをかける。
結果、逆にアビーはポロポロと大粒の涙を流した。
そんなアビーを見て、彼女は深く溜息を吐く。
「ちなみにね、エッカートは我が家に来て、何をしたと思う?」
アビーにその問いを答えるだけの余裕はない。
だからこそ、涙を流しながら口を閉じたままだった。
「あの男、なんと性懲りも無く女を口説いて情報を得ようとしたのよ」
「……っ!」
「貴女で成功しているからって、安易過ぎると思わない?……本当、女を何だと思っているのかしら。不愉快極まりないわよね」
クスクス、と彼女は笑った。
その笑い声は、嘲笑のそれ。
「まあ、お陰で気掛かりが一つ消せるから良いのだけど」
「……私は、いったい何の為に……」
アビーがポツリと呟いた。
その姿は、いっそ哀れだった。
彼女も彼女とて、罪を犯した。
彼女の手によって、一人の男性の人生は狂わされた。
そして今なお、多くの人々が彼女の手によって人生が狂わされそうになっている。
その罪は、決して軽くはない。
けれどもそれでも、哀れだと思えるほど、彼女の姿は憔悴しきっていた。
「本当にね。……さて、本題よ。当然、チュター商会で貴女を雇わせ続けることはできないわ。退職金を出すことも、紹介状を出すことも許すことはできない。今回のは既に公表された事実だったから罪には問われないけど、過去の情報漏洩で、数年の禁錮か罰金か……それが貴女への罰」
「……っ」
「貴女がこの先どうなるかは貴女次第だけど……貴女が確りと自分を持ってくれると嬉しいわ。二度と、詰まらない男に引っかからないようにね」
クリスティーナは、アルバートを見た。
アルバートが頷くと、ノック音と共にトーマスが現れる。
そして、トーマスはアビーを連れて部屋を出て行った。
「……さて、チュター商会の商会長とカーサには伝えてあげないとね」
彼女もまた、そうして立ち上がる。
ふと、階下を眺めた。
アビーが大人しくトーマスに連れて行かれる姿が彼女の目に映る。
「……本当に、不愉快な案件だわ」
そう呟いて、部屋を出て行った。
……一週間後。
エッカートは夜間にアビントン伯爵邸を訪れていた。……非公式で。
「こちらですぅ」
クリスティーナに取引を持ちかけ玉砕したあの日、彼は彼女に不満を持っていたメイドに声をかけた。
あとは簡単だった。
彼女の愚痴を聞き、優しい言葉で慰め自尊心を満たすだけだったのだから。
そうして僅か一週間の交流で彼女の心を掴んだ。……アビントン伯爵邸に忍び込む手引きをして貰えるほどに。
庭を駆け抜け、屋敷の中に入った。
既に真夜中であり、屋敷の中も暗い。
そんな中、メイドが先導し彼は進んでいく。
僅かな月明かりの中、彼女の薄桃の髪色だけが頼りだった。
暫く進み、彼女がとあるドアを指差した。
幸いにも、ここまでに誰とも遭遇していない。
トントン拍子に進む現状に彼は満足し、にんまりとほくそ笑んだ。
そうして、扉を開く。
「招かれざる客人だな」
けれども、そこには研究資料や論文の山ではなく、一人の使用人。
エッカートも、その人物には見覚えがあった。
初めてクリスティーナに面会をした際に、彼女の側に立っていたからだ。
エッカートは慌てて、メイドに視線を向ける。
彼女もまた、驚いたように目を見開いていた。
「……も、申し訳ありません!私は、愛しい彼女に会いたいと……。彼女が、ここであれば会えると……」
「それは他人の邸に無断侵入する言い訳にはならないことは、幼児でも分かることだと思うが?更に言えば、ここはアビントン伯爵家の邸宅。お前の首を刎ねる理由に十分なる」
アルバートが、エッカートを睨みつけた。
それだけで、彼はその場に立っていられずに尻餅をつく。
「ひっ……!わ、私は、彼女に誘われただけで……」
「もう、茶番は止せ。……こう言っているが、お前にこの男は何と言っていた?」
アルバートは、メイドに視線を向ける。
「資料庫に入りたいから、手引きをしてくれってぇ……」
彼女は小さな声で答えた。
「だと」
「天才薬学者たる私と、一介の使用人、どちらの言葉を信じるのですか!?」
「天才薬学者だろうが何だろうが、お前は平民ではなかったか?それに、どちらを信じようとも、お前がアビントン伯爵家に不法侵入した事実は変わらない。身分制があるこの国で、貴族に正面切って喧嘩を売りにいくのは蛮勇だろう」
「……っ!」
「……尤も、そもそもお前は天才薬学者ではないだろう?他人を利用することに関しては天才だったみたいだが。……こんな簡単に捕まる男に研究を掠め取られたテッドも、浮かばれないな」
既に青ざめていた顔色は、自身が犯した罪が知られていることを理解し、青色を越えて土気色になっていた。
「さて、お前が行くのは資料庫ではなく監獄だ」
アルバートが、エッカートを拘束する。
「我が主人からの伝言だ。虚飾の才を誇るような人間はアビントン伯爵家には不要だ、と」
そうしてエッカートはアルバートに引き摺られて部屋を後にした。




