お嬢様は、不機嫌になる
アビントン伯爵家。
オールディス王国の西南部にある領地を治める伯爵家。
王国の建国より続く由緒正しい名家にして、アビントン伯爵家が治める領地は広大で歴代当主が開発に力を注いだ豊かな地である。
まさに、名誉と財力の双方を兼ね備えた家だ。
一度、アビントン伯爵家の邸を訪れてみると良いだろう。良い土産話になるはずだ。
領地にある本宅は広大で、それでいて重厚で、かと思えば華美になり過ぎず、訪れた者は誰もが圧倒される。
「そちらの薄紅色のドレスと、後は右から二番目のアクセサリーも荷物に入れておきましょう」
「そうですね。ああ、お茶会用に、こちらのドレスも一応入れておいた方が宜しいかと」
「あまり荷物を持って行くのはどうかしら?当主様も、クリスティーナ様のために新たなドレスと小物を新調させるでしょうし……」
穏やかかつ優美な空気が流れるアビントン伯爵家の屋敷も、例年、この時期だけは騒がしい。
というのも、社交シーズンに向けて領地に住むクリスティーナが王都に行くからだ。
使用人たちは上に下にと慌ただしく王都行きの準備をしていた。
「イームズ。いつも通り、私が王都に向けて立ったら皆にはお礼の品を渡しておいてね」
そんな騒動を眺めつつ、のんびりとクリスティーナが指示を出した。
「いつもお気遣い頂き、ありがとうございます。使用人を代表し、御礼申し上げます」
「皆には本当に良くして貰っているもの。このぐらい、当然だわ」
屋敷の使用人たちは、総じてクリスティーナに好意的だ。
無論、雇用主の娘であるから、ということもあるだろう。
けれども、忠誠心はそれだけでは得られない。
何なら、身支度以外の全てをアルバートが対応し、他の使用人の介在を良しとしない以上、彼女と使用人の交流は最小限。
つまり、使用人の好意を得る為の機会もそれだけ少ない。
それにも関わらず、彼女がそこまで使用人たちの好意を得ているのは、細々とした気遣いを常に怠らないからだった。
例えば、妻の悪阻が酷いという使用人に対しては食べ易い食材と共に助言を与えたり。例えば、病気の母がいるという使用人に対しては、薬を与えたり等々。
無論、彼女にも打算があってのことだ。
穏やかな生活を送るためには、身近な人間関係が円滑であることは必須。
それ故に、使用人たちとの会話は些細なことであれ覚えるし、時にアルバートにお願いをして情報収集することすらあってのことだ。
「アルバートは共に行くとして、他、例の離れに滞在している五人組は今年も領地で待機されているのでしょうか」
「ええ、何かあったらアルバートが呼び寄せるでしょうけど。いつも通り、特に彼らのことを気遣う必要はないわ。彼らも自由にしたいでしょうし。彼らが何か問題を起こしたのであれば、アルバートに連絡しておいてね」
五人組は、屋敷の離れに滞在している。
離れと言っても、敷地の端、本邸である彼女がいる場所からは相応に離れている場所だ。
五人も常にその場にいることはなく、ドブソン子爵家の事件の時のように、アルバートの指示があってはじめて皆が集まる。
「……それで、イームズ。本題は何かしら?貴方がわざやざここに来たのは、例年と同じように対応すれば良いだけのことを、確認しに来た訳ではないでしょう?」
イームズはクリスティーナの問いに頭を下げた。
「ええ、その通りです。実は薬剤師のエッカートが例の場所に入りたいと来ましたが、如何いたしましょうか」
「エッカート?……ああ、前に天才薬師で話題になった方、ね」
「はい。クリスティーナ様にご判断頂こうかと」
「ああ、なるほど……」
彼女はそう言って、溜息を吐いた。
「……私の方で、断りましょうか?」
「いいえ、私が会うわ。ただ、ねぇ。殊、薬剤関連だけは、毒殺事件やらドブソン子爵家のゴダゴタがあったから、他の方々と状況が違うのよね」
「ああ……なるほど。アルバートがいるので危険はないかと存じますが、もし、私めの目や手が必要となりましたら、何なりとご指示くださいませ」
「ええ、お願いするわ」
イームズが去った後、クリスティーナは側に控えていたアルバートに体を向ける。
「やっぱり、大人しくできなかったみたいね。餌に獲物がかかったわ」
そう言って、苦笑を浮かべる。
「王都に行く前に片付けができて、良かったじゃないですか」
「それはそうね。皆に待機するようにお願いしておいて」
その後、クリスティーナは件のエッカートを迎え入れた。
エッカートは、舞台俳優等々、多くの人の目に晒されている職業と言っても通じる程、美丈夫だった。
とは言え、代々血で美を取り入れ続けていた貴族には流石に敵わないが。
それでも、街を歩いていたら注目されるほどには顔が整っている。
「はじめまして、私はアビントン伯爵家長女クリスティーナ・アビントンよ」
クリスティーナの挨拶に、けれどもエッカートからは反応がない。
ポカンと口を開いたままだった。
「……失礼、私の顔に何かついているのかしら?」
「……お美しい」
「……は?」
今度は、クリスティーナがポカンと口を開く番だった。
「……申し訳ありません。私の名前はエッカートです。貴女様のお美しさに、時を忘れておりました。まるで精霊が、目の前にご降臨されたかの如く……」
彼の美麗秀句に、けれどもクリスティーナは眉ひとつ動かさない。
「本日は、どのような用件かしら?」
むしろ言葉を切るように、質問を重ねた。
「……。重ねて、失礼しました。本日はお願いがあり、参りました。どうか、私にもアビントン伯爵家の研究を拝見させて頂きたいのです」
「あらあら……研究?我が家に今、薬学研究者はいないけど」
「いいえ、そんな筈はありません!ドブソン子爵家の非道な行いが明るみになってから、チュター商会より多くの薬が出荷されましたています。それらは、アビントン伯爵家より特許に登録され精製されたものと聞いています」
彼の芝居がかった動作に、クリスティーナは苦笑を浮かべた。
「そうは言ってもねぇ……仮に我が家に研究成果があったとして。貴方に見せるメリットは何かしら?」
「勿論、薬学の発展のためです!」
即答した彼の言葉に対し、彼女は何の反応も見せない。
ただ、ジッと真意を探るように見つめるばかりだった。
「……私はこの度、新たな薬を作り上げ、学会でも名を挙げました。お美しい貴女様の手足となり、必ずやお役に立ちましょう」
「あらあら……そうだとすると、仮に貴方の言う通り我が家に研究成果が眠っていたとしても、貴方にお見せすることは難しいでしょう」
彼女はクスクスと笑い声をこぼしながら、そう言った。
「な、何故ですか!?」
「分からない?何故、アビントンが発表せずに眠らせているか。それは、急激な技術革新を恐れているからこそ。だからこそ、貴方のように華々しく学会に発表したい方には、お見せできないの。尤も、仮に研究成果が我が家にあればの話だけど」
「私の名誉の為に申し上げている訳ではありません」
「あら……そう?でもね、薬と毒は紙一重なのよ。命に直結するからこそ、より慎重にならざるを得ないと思わない?」
「私では役者不足だと?私はこれでも、天才薬師との評価を頂いていますが」
「そうねぇ……。貴方、研究以外の自由を捨てる覚悟はあるのかしら?」
そう言って、彼女は笑った。
「仮に我が家に研究成果があったとして。それは、貴方の触れたことがない知識。それはつまり学者の貴方にとっては、千枚の大金貨以上の価値があるもの。それを、タダで見せるのであれば、我が家にも相応のメリットがなければ渡せないわ。例えば、学会どころか外部に発表するのは、我が家の事前の承諾を得てから。当然、外とのやり取りには監視もつけさせて貰う。加えて、我が家の新たな研究には無条件で協力をして貰う。そんなところかしら。……無論、研究者の方たちを縛るような契約だから、辞めるまでの間は、給料もあげるわ」
「そんな……っ」
彼は彼女から目線を逸らした。
まるで、何かを考え込むように、無言が続く。
「……少し、考えさせて下さい」
「あら、そう?」
そうして、エッカートは退室していった。
「……随分と、お優しい」
エッカートが去った後、アルバートがポツリと呟く。
「そうだったかしら?」
「ええ。あのような無礼者に、既にいる資料庫の面々が訪れてきた時と同じ条件をお伝えになったじゃないですか」
アルバートの言葉に、クリスティーナはクスクスと笑った。
「……妬いている?」
「まさか。……あのような軽い言葉に、貴女が惑わされる筈がないことは分かっていますから。ただ……不快だっただけです」
アルバートは反論していたものの、その唇は少しだけ立っていて、不機嫌そうに見えなくもない。
クリスティーナは、更に笑みを深めた。
「……そうねぇ。不快、だったわね。毒殺事件でテッドの報告書を見ていたから、尚更」
彼女の目が、妖しく光る。それは、美しくも攻撃的であった。
「それにしても、ああいう反応を見ると、資料庫にいる人たちって本当に研究が好きなのね。彼にしたのと同じ質問しても、即答でイエスだったわ」
「だからこそ、彼らには資料庫を解放することができたのでしょう?」
「それはそうね。あの熱意には勝てないけど……そもそも、機密情報の塊だから、やはり信頼できないと無理。それを踏まえると、既にエッカートの信用は全くないわね」
「それならば、何故?」
「何故、初手で断らなかったか、って?どうせ私の申し出は断るか、検討で持ち帰ると思っていたからよ。ただ、その反応を見たかった、それだけ」
「ああ、なるほど……」
「……それに、楽しみじゃない?この後、彼がどんな動きをするのか」
「彼の動きが短絡的であれば良いですね。貴女様の貴重な時間は、あんなのに浪費されるべきではないですから」
楽しむ彼女とは対照的に、彼はどこまでも淡々としていた。
……一方、その頃。
エッカートは屋敷の出口に向かって、歩き出す。
「あーあ、全く。クリスティーナ様の我儘、本当に迷惑だよねぇ」
「こらこら……仕方ないでしょう?シーズン前なんだから、色々クリスティーナ様もお悩みになられてるのよ」
二人のメイドが囁くように小さな声で喋っているのが聞こえ、エッカートは足を止めた。
「でもでもぉ、赤いドレス持って行きたいって言ってたのは自分なのにぃ、後で何で水色のドレスが入ってなくて赤いドレスなの!?だよぉ。それにぃ、普段からあれやってこれやって、って本当に我儘ばかりぃ。マクシミリアン様の方が、お優しいわぁ」
「貴女は単にマクシミリアン様贔屓なだけでしょ。ほら、こんなところで油を売ってないでさっさと水色のドレスを準備したら?」
「はぁい……でも、どうせ後で気が変わるから、無駄だと思うけどねぇ」
そう言って、文句を言っていた薄桃色の髪を持つメイドはゆっくりと歩いて行った。
エッカートは、小さく微笑むと彼女の後をつける。
「……失礼。先ほどクリスティーナ様との面談があったのだが、帰り道に迷ってしまって……」
そして周りに誰もいなくなった頃合いを見計らい、彼はその女性に声をかけた。
……その瞳は、妖しく光っていた。




