お嬢様は、提案する(2)
「さっきクリスティーナ様が言っていた『資料庫』は、一体何なの?」
「ああ、我が家には歴代の研究成果が収められた場所が屋敷の中にあるのよ。その成果を更に研究したいって、あまり多くはないけど何人か研究者が集まっていてね。その内の一人がダイアー、という訳」
クリスティーナの言葉は、ともすれば、あまり大したことのない施設に聞こえるかもしれないが……『あの』アビントン伯爵家の研究成果だ。
勿論、その中には、一つの公爵領を救った二代前の当主弟の研究成果も含まれている。
他の研究成果も、各分野において現在では再現不可能な理論上の代物すらあるほど、隔絶したそれだ。
ところが、アビントン伯爵家では殊更にその成果を外部に流していない。
モーガンの金属加工のように、領地の発展の為にと出したものはあくまで一部。
殆どは、ただ趣味の延長だから……という理由で、表に出していない。
むしろ発表することに時間を取られるぐらいなら、研究に充てたいとすら。
そのまま研究者当人の代では資料庫に眠り、そして当人以外はその危険性を理解し、結果、資料庫で眠らせたままになってしまっている……という訳だ。
にも関わらず、アビントン伯爵家の門戸を叩く研究者が存在する。
狂的にその分野を突き詰めようたした者ほど、その傾向は強い。
研究過程で自ら気がつくか、あるいは、幸運にも耳に入ったか、で。
つまり、資料庫にある研究成果も、資料庫に集まる面々も常軌を逸しているのだ。
「クリスティーナ様ぁぁぁ!」
ノックなしで男性が一人入って来た。
「ダメよ、べサニー」
腰の武器を構えようとしたべサニーを、クリスティーナが抑える。
「新しい研究のお誘いを頂き、ありがとうございまあぁぁぁぁす!」
綺麗な礼だった。但し、頭を下げ過ぎて膝と頭がくっついている。
儀礼としては不合格であるものの、一本線に見えるほど上半身と下半身がくっついているその姿勢は、『綺麗な礼』と表現するより他にない。
「こういうのを作りたいんだけど、ダイアーなら作れない?」
ダイアーの勢いに呑まれることなく、クリスティーナは先ほどまで書き込みをしていた紙をダイアーに見せる。
「透明の布で包むことで、太陽光を遮らず、冷風からも守り温める……なるほど、この布をどのように生み出すか、ですね」
「ええ、そうよ。報酬は貴方の専門分野……そうね、十一代前の秘匿論文の一つ、でどうかしら?」
「ありがたくぅぅ!」
件のダイアーと分かった上でも切り捨てたい衝動に駆られるほど、ダイアーの反応は挙動不審だった。
「試したい素材は?」
「ううん……ベールマーの樹脂と、ククロチアールの樹脂を試してみたいです。あとは薬剤を幾つか確保させて頂きたいのと、メダランの胃液が欲しいですね」
「数量を後で紙に書いて私に頂戴」
「畏まりましたぁぁ! もし、今言った素材以外で必要なものが出て来たら?」
「アビントンの名に賭けて、揃えるわ。但し、必要素材以外を書いたら……」
「資料庫からの除籍ですよね!勿論、理解してますぅぅぅ!」
それじゃ、色々考えますんでぇぇ!と叫びながら、ダイアーは部屋を足早に出て行った。
「……普段はもう少し大人しいのよ。でも、やっぱり研究のこととなると、妙に受け答えが明るくなるみたいなのよね」
終始、不審人物を見るような目つきであったベサニーに対して、あまりフォローにならないような言葉を、クリスティーナはべサニーに告げた。
「……なかなか、個性的な人物ね」
ベサニーは溜息を吐く。
「あら、アビントン伯爵家の資料庫に在籍する方よ?あの手の方は当たり前……というよりも、まだ貴女の理解の範囲にいる方だと思うわ」
「……そう、なの」
クリスティーナの言葉に、最早べサニーは笑うしかなかった。
そしてその翌日、べサニーに代わりアルマがクリスティーナの私室を訪れた。
「クリスティーナ様、よろしくお願いしまぁす!」
「ええ、こちらこそよろしくね。午前中、私は授業なのだけど……べサニーに、暇つぶしの方法を聞いたかしら?」
「はぁい!魔力操作の訓練ですよねぇ?」
「そうそう。……貴女が自信を持っているなら、授業中、アルバートと同じように三周勝負をする?」
「もっちろん!クリスティーナ様には負けませんよぉ?」
「それじゃ、私が片手を上げたら開始の合図、それから三周したところで手を挙げる。これで如何かしら?」
「うん、それで良いよ!」
午前中、クリスティーナは体調が回復した家庭教師に貴族令嬢としての教養を学ぶ。
授業中、クリスティーナが片手を挙げた。
「お嬢様、何か質問が?」
家庭教師は、まさか別の合図だとは思わず反応する。
「ええ、トライデントの戦いに関して質問です。トライデントの戦いでは、領土を巡った争いとのことですが、シャビルディ皇国が関与しています。シャビルディ皇国は、このトライデントの戦いに関与しても、直接的な利点はないのでは?」
そう質問しながら、クリスティーナは早速三周を終えて手を挙げた。
「もう一つ、質問です。シャビルディ皇国は当時、国内南部の一都市で反乱が起きた理解です。仮にこの時、反乱の首魁である南部をオールディス王国が支援していたとしたら、何か変化があったか、先生の見解をお聞かせ下さい」
その時点で、アルマはようやく一周が終わったところだった。
家庭教師の目に映らない範囲で、アルマが悔しくて地団駄を踏んでいる。
「クリスティーナ様ぁ!なんで、あんなに速いんですかぁ?!というか、あれ、本気の速さですかぁ?」
家庭教師が帰った後、アルマがクリスティーナのもとに駆け寄って問いかけた。
「本気なら、このぐらいの速さね。さっきのは授業中だったし、貴女とは初めての勝負だったから、このぐらいだったかしら」
最初の『このぐらい』という説明の時、クリスティーナは実際にやってみせていた。
それはアルマの目から見て、高速過ぎるが故に、ともすれば流れる力の大きさの移り変わりは分かるものの、指に纏う力の移り変わりは断言が難しい。
二回目の『このぐらい』と言った時には、最初の半分以下の速さで力の配分が移り変わった。
けれども、その速さでもアルマは追いつけない。
「なーんで、そんなに速くできるのぉ?」
「慣れよ、慣れ。空いた時間には、暇潰しも兼ねて、いつもやっているもの」
「ふぅん」
「そういえば、貴女は鼠を魔力で生み出すことができるのよね。ぜひ、それを見せて貰えない?」
「良いよぉ!」
クリスティーナはアルマの答えに頷きつつ、自身のオリジナルの魔法を作った。
「ふーん……やっぱり凄いわね。一匹一匹が、完全に貴女の魔力で出来ていて……自立は可能なの?」
「自立?」
「勝手に動いてくれるのか、ということ」
「ううん、完全に私が動かしているよぉ」
「ああ、なるほど……。でも、どちらにせよ凄いわね。自立だとしたら、創造の域に入るし……そうでなくとも、貴女が一から百まで、何百匹もの魔力体を同時に操っている、ということだもの」
食い入るようにその鼠を眺めつつ、まるで独り言のように呟く。
「……こんな魔法、見たことがないわ。貴女、本当に凄いのね」
「ふふん。でっしょー?」
それからも、クリスティーナは興味深げにアルマに質問を重ねていた。
そうして時間が過ぎていき、二人が気がついた時には午後になっていた。
食事もそこそこ、クリスティーナはすぐに執務室に向かう。
入ってすぐに、ノック音が響いた。
「……クリスティーナ様」
入室を促すと、入って来たのはダイアーだった。
「……あ、あれからずっと考えていたんですけど……実験では、これを使ってみたい、です……」
ボソボソ、と、小さな声で呟きつつ、クリスティーナに紙を渡した。
その声の小ささは、先ほどのクリスティーナの独り言の比ではないほど小さなそれだ。
「……分かったわ。素材を集めるのに、二週間は見たいわね」
けれども慣れているのか、クリスティーナは難なくその声を聞き取る。
そして渡された、幾つもの素材が書き込まれた紙を一読しつつ言葉を返した。
「素材を集め終えて貴方に渡して……まずは一ヶ月半後には最初の報告を私にしてくれる?勿論、いつものようにその時点で成功していなくとも構わないわ。ただ、どういった実験で、その結果、どういうことが分かったのか。状況を教えてくれれば構わないわ」
「……は、はい……分かりました」
その後、そそくさとダイアーは部屋から去って行った。
彼と入れ替わるように、イームズが入室する。
「さっきダイアーから、実験に必要な物を教えて貰ったわ」
クリスティーナはダイアーから受け取った紙を、そのままイームズに渡した。
「……ふむ、なるほど」
「メダランの胃液と、ワームベールの胃液はアルバートに後で採ってきて貰うわ。それから、薬剤は私の方で調合が可能だと思うの。調合の為の素材も、今我が家にある分で十分可能だわ。それで、樹液関係は貴方の方で手配をしておいて貰えない?」
「畏まりました。予算に計上する費用の試算を致しておきます。数日以内に、昨日ご指示を賜った作物の転換に関する支援金も併せて、ご報告致します」
「ええ、お願いね」
イームズもまた、すぐさま執務室から出て行った。
その後、クリスティーナは私室に戻ると縫い物を始めてそのまま一日が終わった。
そうして、残りの日々も淡々と過ぎていく。
べサニーとアルマは、引き続き魔力操作の勝負を挑み続けたものの、全くクリスティーナに勝てなかった。
イームズは諸々予算の試算が終わり、クリスティーナの確認も終わった。
後は、現当主であるモーガンの承認を得るだけ。
ただ、クリスティーナが了解したそれをモーガンが否認することは余程のことがない限り、ないだろう。
「……クリスティーナ様、ただいま戻りました」
……そしてアルバートの休暇が終わり、彼女のもとへと戻って来た。
「おかえりなさい、アルバート」
クリスティーナは、蕩けるような笑みで彼を迎え入れる。
「……お休みは、どうだった?」
「しっかりと体を休めましたよ。ただ、心が休まったかと言えば……申し訳ありませんが、無理でした」
「まあ……休みが、足りなかった?それとも何か足りない物があった?」
そう言った彼女の表情には心配の感情が、色濃く映っていた。
「……お分かりでしょう」
そう呟いて、彼は自嘲を浮かべる。
「貴女様が無事か、何かお困りのことがないか等々……心配で。そもそも、貴女様がいなければ、私は息苦しいだけだというのに」
そう言って、彼女の手を彼は取った。
まるで、壊れ物を扱うかのように優しく。
そして、彼女の手の甲に口付けを落とした。
「つまり、長期休暇を取らせるな……と?」
彼女はそう言って、小さく笑った。
彼もまた、同じように笑う。
「全く……せっかく、貴方が側にいないことを我慢したというのに。そんなに甘やかされちゃ、私が益々ワガママを言ってしまうわよ?」
「それに勝る喜びはありましょうか」
「それじゃ、アルバート。今日はずっと私の側にいて」
「勿論」
彼女はアルバートの了承に、再び蕩けるような笑みを浮かべた。
「……そう言えば、アルバート。貴方にお礼があるの」
そう言いつつ彼女は立ち上がると、ベッド脇のチェストから袋を取り出した。
そしてそのまま、それを彼に渡す。
「……お礼?」
「ホラ、ドブソン子爵家の件。貴方の協力者には渡していたけど、貴方には何も渡していなかったでしょう?」
「そんな……お気を使わずとも、良いのに。ありがたく頂戴はしますが……」
「開けてみて」
彼女の言葉に従って、袋を開ける。
そこには細かな刺繍がされた、剣帯が入っていた。
「貴方とあの五人を一緒にするつもりはないわ。貴方は外部の協力者ではなく、私の身内だもの。……でも、身内であっても……ううん、身内だからこそ日頃のお礼を渡したいでしょう?だから、これを作ったの」
五人には、全て既製品を買って渡した。
けれども、アルバートへのお礼は異なる。
アルバートがいない五日の間、彼女が手づから縫ったそれだ。
「せっかくだから何か手作りをと思ったのだけど……ごめんなさい、私の技量が足りなかったわ。剣帯そのものは職人に作って貰ったのだけど……」
「……いいえ、大切にさせて頂きます」
かつて……彼がアルバートとして生まれ変わる前、聖女の護衛についていた頃、彼が背負っていた紋様。
咆哮する獅子と、剣二本。そして、桜の花。
それが、見事に刺繍で再現されていた。
「ありがとうございます、クリスティーナ様」
そう言ってアルバートもまた、蕩けるような笑みを浮かべたのだった。




