お嬢様は、提案する(1)
アビントン伯爵家。
オールディス王国の西南部にある領地を治める伯爵家。
王国の建国より続く由緒正しい名家にして、アビントン伯爵家が治める領地は広大で歴代当主が開発に力を注いだ豊かな地である。
まさに、名誉と財力の双方を兼ね備えた家だ。
一度、アビントン伯爵家の邸を訪れてみると良いだろう。良い土産話になるはずだ。
領地にある本宅は広大で、それでいて重厚で、かと思えば華美になり過ぎず、訪れた者は誰もが圧倒される。
「……クリスティーナ様。アルバートが休暇の間、私とアルマが交代でクリスティーナ様の護衛に就くわ。五日間だけど、よろしくね」
ベサニーが、そう言って頭を下げた。
「まあ、ベサニー。こちらこそ、よろしくお願いするわね。貴女たちが就いてくれて、とても心強いわ。……そうは言っても、この五日間は大人しくする予定だから、貴女は飽きちゃうかもしれないけど」
「……いいえ。むしろ、その方が私もありがたいわ。貴女の身に万が一のことがあれば、私の命はないもの」
「それは大丈夫よ。貴女も知っての通り、私、怪我をしても治せてしまうから。万が一のことが仮にあったとしても、治してしまえば大丈夫よ」
「……仮に貴女様が治癒したとしても、アルバートはそれを嗅ぎ分けることが可能と思うけど?」
「……それは否定しきれないわね。でもそうなっても、貴女のことは私が傷一つない形で蘇生させるから安心して」
「お言葉を返すようだけど……あまり、安心できる言葉ではないわね」
「あら、そう?」
そうして始まった一日目。
クリスティーナは大人しく授業を受け、合間に貴族令嬢らしく刺繍をしていた。
ベサニーは、その様子にホッと内心安堵した。
クリスティーナに告げた言葉は、誇張でも何でもない。
もしも、クリスティーナの身に何かあれば、尚且つそれがべサニーの職務怠慢と看做されれば、どのような罰が下るかべサニーにも想像がつかない。
とは言え、全く理不尽な指示でもなかった。
何せ、アビントン伯爵家の屋敷には彼女の結界魔法が張り巡らされている。
故に、この屋敷の敷地内では彼女の許しなく魔法を使えることは叶わず、更に屋敷の奥……彼女の私室周りでは、他人を身体的に害する行為をした場合、結界に弾かれて自動的にとある場所に弾き飛ばされる仕組みになっていた。
つまり、クリスティーナが外にさえ出なければ、問題は起こり得ない。
そういった意味では、楽な仕事かつ実入の良い仕事ではあった。
そして、二日目。
べサニーは、再びクリスティーナの私室で警護をする。
「……私の護衛、つまらないのではないかしら?」
「そんなことないわ」
彼女の問いに、ベサニーは全力で否定した。
けれども彼女は、納得した様子ではない。
「ちょっとこっちに来て」
彼女はベサニーに手招きをした。
「貴女、鑑定魔法を使えるのよね?」
「え、ええ……まあ」
「それなら、貴女の目から見て、私の手の力の配分はどうかしら?」
「……薬指が多くの魔力を纏っているような気がするわ」
……魔力じゃないけれども、というクリスティーナの呟きは外に漏れることはなかった。
「ええ、そう。今、全身に流れる力の総量はそのままに、手に流れる力を薬指と小指に纏めたの」
「はあ……」
「更に、貴女の言った通り薬指に流す力を七割、小指に流れる三割に分けたイメージね」
「……そんなこと、可能なの?」
「アルバートは貴女たちに魔力操作の訓練を課していないのかしら?」
「いえ……しているけど……」
「この動作もその一種よ。この動作がスムーズにできるようになればなるほど、魔力操作は格段に上手くなるわ。……私にあれやこれや魔力の訓練方法について言われるのは不快かもしれないけれども、これは暇つぶしも兼ねているから、是非試してみてね。慣れるまでは、一つの指に纏めるだけで試すことをオススメするわ」
「はあ……」
試しに、べサニーはやってみた。
けれども、指一本に魔力を纏めるような繊細な魔力操作をしたことがない。
アルバートの訓練では、例えば身体強化の効果を高めるようにと片腕や片足に集める、ということはしていた。
指一本に流す魔力量を変えるのは、その訓練以上に繊細な操作を必要とし、彼女が思った以上に難しかった。
気がついたら、彼女は夢中になって試している。
「慣れたら、こんな感じで順々に魔力を流す指を変えていくの」
その横で、クリスティーナは薬指から小指に7割を移し、小指から親指に三割を移した。
更にそのまま流れるように親指、人差し指、人差し指と中指、と順々に変えていった。
それを高速で繰り返す。
「クリスティーナ様は、何故このような繊細な魔力操作を?」
「人を治癒する為には、繊細な魔力操作が必要不可欠なのよ」
「な、なるほど……」
クリスティーナが授業を、その横でベサニーが魔力操作の訓練をしている間に、午前中は終わった。
「少し、執務室に行くわ」
昼食を食べた後、彼女は執務室に向かう。
「お供するわ。……ちなみに、執務室に結界は?」
「張ってはいるけれども……私室の結界よりは設定が弱いわね」
「……気を引き締め直すわ」
その後、彼女は執務室の席に着いた。
濃い茶色の木で造られた、執務机のセット。
色なのか、はたまた机そのものの作りのせいなのか、重厚的な印象を人に与えるそれ。
クリスティーナは綺麗目な顔立ちであるものの、年齢故か、まだ可愛らしいという表現が合っている。
そのせいで、彼女が席に着くと妙にアンマッチだった。
「イームズ」
二人が入った後、年老いた男性が入って来た。
年老いたと表現するも、背筋はピンと伸びて動作一つ一つが美しい。
白い髪は後ろに流れるようにセットされていて、着ている服にも皺ひとつない。
顔にある皺だけが年齢を感じさせるような男性だった。
「ベサニー、貴女は彼に会ったことは?」
「ええ……家令のイームズ、よね?アルバートのもとで働き始める時に、挨拶をしたわ」
「そう。それなら聞いていると思うけど、彼は普段はお父様の右腕として、領地経営のサポートをしているわ」
だから、間違っても彼のことは攻撃しないでね……という言葉をクリスティーナは告げた。
ベサニーは、彼女の言葉に首を縦に振る。
「過分なお言葉、恐縮でございます」
「さて、イームズ。一つ相談だけど、来年の植付けはメルソン麦ではなくて、ダーラム麦を中心にして。大体比率はメルソン麦を一割、ダーラム麦を九割」
「畏まりました」
「野菜も、寒さに強いものを中心に育てるように指示をしなさい。それらにかかる費用は、領の予算から支援を」
「はい。薬草は如何いたしましょうか?」
「今需要がある薬は、寒さに強い薬草を代用して精製が可能だから問題ないわ。……だけど、今後の為に寒くとも一定の温度を保てるような施設ができると良いわね」
「仮にそのような施設ができるのであれば、野菜栽培にも流用が可能では?」
「まああ……それはそうね。少し本格的に研究をしても楽しいかもしれないわ。資料庫の……そうねぇ、ダイアーを後で呼んで来て来れる?」
「畏まりました。研究予算はクリスティーナ様がダイアーと話し合われた後に試算するとして、作物の切り替え費用と支援金に関しては早急に試算してお持ちします」
「ええ、お願いね」
イームズは一礼して答えると、そのまま颯爽と退室して行った。
彼女はイームズが退室すると、机の中から紙を取り出して何かを書き出す。
「……あんまり邪魔するつもりはないのだけど……」
イームズとクリスティーナが会話を広げまる中、べサニーは難しい顔をしていた。
「何か、気になるの?」
それに気がついていたクリスティーナは、続きを促すように問いかけた。
その間も、視線は紙からは動いていない。
「……貴族のご令嬢が、領地の経営に口を出せるものなの?」
「ああ……こんな小娘に生活を握られている、と思ったら、怖いものね?」
クリスティーナは、殺気を出した訳ではない。ただ、圧倒される雰囲気が彼女から発せられているようにべサニーには感じられた。
「え、いや……それは……」
「大丈夫よ。普段は領主たるお父様が方針を出して、そのお父様の指示のもとでイームズが差配しているわ」
クリスティーナは気分を害した様子はなく、むしほクスクスと楽しげに笑っていた。
「でもねぇ……気になることがあると、ああしてお願いをするの。お父様もイームズも、私には甘いから聞いてくれることが多いわね」
……それが、口出しをしているということでは?とべサニーが心の中で呟く。
「ああ……後で、さっきの件もお父様に報告しないとね」
しかも、事後報告だ。むしろ、クリスティーナこそが方針を出している、と言っても過言ではないだろう……と、更にべサニーの頭の中で疑問符が並んだ。
「ちなみに、何故ダーラム麦を?ダーラム麦は、メルソン麦と比べて不味いじゃない?」
「その代わり、寒さに強いでしょう?」
「そう言えば、野菜も薬草も、寒さに強いものを……って言ってたわね?何故、来年は寒いなんて分かるの?」
「クラーク国からの輸出品の値が、全体的に上がっていたからよ」
クリスティーナの回答に、けれどもべサニーは首を傾げた。
「クラーク国からは、あちらで生産された農産物を輸入しているわ。クラーク国は、どこにあるか分かる?」
「オールディス王国より、南西部にある島でしょう?」
「ええ、そう。調べたらね、クラークは今年とても暑かったらしいの。それで、農作物に影響が出るほどクラーク王国が異常なほど暑かった年の翌年は、オールディス王国は夏に、とても寒くなるの。その法則は、我が家に保管された歴代当主の記録と照らし合わせても分かることよ」
「そ、そうなの……す、凄い勉強しているのね」
「あら……ありがとう」
特に彼女は否定しなかったが、クリスティーナが教師より教わっている内容は、貴族令嬢として恥ずかしくないように、という目線だ。
つまり、歴史や各地の特産を含めた地理、詩学を含めた国語、音楽、刺繍だ。
当然、経営学や気象学は含まれていない。
とは言え、アビントン伯爵家には歴代当主の記録や研究結果が多く保管されている。
自身が求めれば学ぶことが可能な環境は整っているのだ。
それ故、彼女はべサニーの言葉を否定することがなかった。




