お嬢様は、懸念する(5)
……そうして、四日が経った。
食事や睡眠を取りつつも、彼女は索敵を続けている。
休みを取りつつとは言え、領地全体を覆う魔法を連日放ち続ける魔力量は、驚異的だ。
事実、アルバートが集めた五人の中でも、彼女の魔力量は群を抜いて高い。
「あ、見つけた。おじさん、領地に入って来そう」
アルマの呟きに、ずっと待機していた他二人がすぐさま反応した。
「どっちの方角だ?」
「北西だよ。場所は……待って、今、あんたに視覚共有して見せてあげる。ここは、アップルビーって都市の近くにあるフィース村から北東に進んだ先」
「ああ、大体分かった。んじゃ、ちょっくら行ってくるぜ」
ブラッドリーが出て行った。
アルバートの協力者五人は、全員漏れなく転移魔法を使える。
ただし、アビントン伯爵家の屋敷の中に出入りすることができるのは、アルバートだけ。
そのように、クリスティーナが結界を張っているからだ。
それ故ブラッドリーは、一旦屋敷の外に出てから転移の魔法を行使した。
一瞬にして彼の視界に映る景色が変わる。
濃い緑に囲まれた、森の中。
そしてその奥にいるのは、クレイグを筆頭とした数十人の男たち。
「なんだよ……たったこれだけか」
ブラッドリーが、けれどもつまらなさそうに呟く。クレイグたちも、ブラッドリーの存在にやっと気がついた。
「……なんだ?お前は」
男の一人が、ブラッドリーに問いかける。
「おっさんたち、狙いは領民?それとも、クリスティーナ様?」
ブラッドリーは何も答えず、代わりに問いかけ返した。男達は驚きに口をぽかんと開き、次の瞬間には動揺したように騒めく。けれどもその空気を断ち切るようにクレイグが口を開いた。
「さしずめ、お前はこの領地の守備隊みたいなもんか?……ああ、それもねえか。それにしちゃ、お前以外誰もいなさそうだしなぁ」
見下すように、クレイグがニヤリと笑みを浮かべた。その余裕そうな反応に、彼の後ろにいた男たちも落ち着きを取り戻したようだった。
「ああ?違えよ。俺は、守備隊なんてご大層なもんじゃねえ。……けれど、 『だから』俺が一人って訳でもねえ」
ブラッドリーも余裕そうにニヤリと笑みを浮かべた。
「おっさんたちなんか、俺一人でも十分って訳」
「ほざけ」
クレイグの睨みに、けれどもブラッドリーが声を上げて笑い出した。
「いいね、いいね!楽しくなってきたぁぁあ!」
視線は獲物を狙うが如くギラギラと輝き、彼の全身から濃密な殺気が漂い始める。
「さ、互いに狂い咲こうぜぇぇぇえええ!」
ブラッドリーはそうして、男たちに向かって走り出した。
……一方、その頃。
アルマは引き続き索敵を続けていた。
「ロナルド、別働隊を見つけたよぉ」
「どちらですか?」
「んとね、逆方向。南東なんだけどぉ……今、視界共有するね。ごめん、もう領地に入ってきちゃってるわぁ」
「急いで向かいます。引き続き、索敵をお願いしますね。もし私が終わらせる前に別方向からの敵を見つけたら、片付けておいて良いですよ」
「やったぁ!じゃあ、ロナルド。競争だね」
ロナルドもまた、走って屋敷を出て行き、そのまま転移魔法で消えた。
そして彼が転移したのは草原のど真ん中。
当然、そこを歩いていた男たち十数人は、ロナルドが突然現れたように映り、驚きを隠せない。
「こんばんは。貴方たち、こんな夜更けに武装して街の方に向かっていますが、一体、どのようなご用件でしょうか?」
「俺たちは、ハンターだ。そっちの森の方に出たっつうグリズリーの討伐に出ていたいたんだ」
「はて……グリズリー、ですか」
チラリとロナルドは男たちを一瞥する。ただそれだけで、ぞくりと悪寒が男たちの背筋を駆け上った。
「現在、領地では特別警戒体制を敷いています。疑うようで申し訳ありませんが、ハンター協会支部まで同行させて頂きます」
けれども、ロナルドが浮かべた柔らかな笑みに男達は油断する。
「……邪魔だ、排除しろ」
そして先頭を歩いていた男が、無慈悲な宣告を下した。それに従って、後ろを歩いていた男二人がロナルドに向かって走り出す。
剣を振り上げ、まさにロナルドを切り裂こうとしたその時……鈍い音と共に、けれども切り裂かれたのは二人の男たちの方だった。
「……は?」
「ああ、恐ろしい。斬り殺されるところでした。……という訳で、これは正当防衛ですね?」
この場に他の四人がいたら、揃って『過剰防衛だ』『無理に暴れる口実を作るな』と口を揃えて言っただろう。けれども生憎と、この場にいるのはロナルドだけ。
「ぷっ……ははははは、ははははは」
そしてロナルドは楽しそうに笑った。頬は赤く染め、愛おしげに目を細めて。
「さて、狂い咲きましょうか」
ロナルドの言葉がキッカケか、三人の男たちがロナルドに向かって走り出す。
けれども、ロナルドは動くことがない。
ただ、魔法によって作り出した風の刃を飛ばし、男たちを切り裂くだけ。
見えないその刃を避けることも防ぐこともなく、男たちは鋏で切られた紙のように切り裂かれた。
「ちゃんと、避けて頂けるとありがたいのですが。私としても、手品を披露するだけの簡単作業で終わるのはつまらないので」
落胆したようにロナルドが呟く。
アルバートや他四人であれば、こうも上手くいかない。当然、易々と避けるし防ぐ。
かかしのように立って、ただ魔法を放てば勝てるような、楽な訓練ではないのだ。
一つ一つの動きに意味を持たせ、相手の次の手を読み、息を吸うように魔法を放ち続け動き続けなければ訓練にさえならない。
「な、なんだよ……お前!」
「……落ち着け。無詠唱だが、恐らくこの男、魔法を使っている」
恐怖に染まった男たちに言い聞かせるように、先頭の男が囁いた。
「ま、魔法か……」
実際、男たちはその言葉に安堵したように息を吐く。
「全員、散れ」
男たちは、指示に従ってロナルドを囲むように散った。
ロナルドは慌てることなく、それを楽しげに眺めている。
そして囲んだ男たちは、一斉にロナルドに向かって走り出す。
けれどもロナルドは後ろに向けた風の刃を放ち、その刃を追うように背中を向けたまま走る。
風の刃に倒れた男を踏みつけ、そのまま円を狭めた面々を大きな風の刃で一撃で沈めた。
「……あっという間でしたね」
ポツリと、ロナルドが呟く。
『アルマ、こちらは終わりました』
『それならぁ連絡役らしき二人組を見つけたから、その人たちを確保して。まだ確定じゃないから、生かしたままだよぉ?あ、今、そこに鼠ちゃんがいるから、その子を通じてその人たちの姿を送るね』
『……分かりました。他は?』
『残念なことにぃ、私の方が動き出しが早かったんだぁ。だから大人しく、その二人を捕まえておいてねん』
『……ちっ。分かりましたよ』
ロナルドは魔法で物言わぬ屍を送ると、そのまま自身も転移で姿を消した。
……時は少し遡る。
部屋に一人残されたアルマは、ロナルドに教えた別動隊とは別の面々を見つけていた。
彼女は嬉々としてその面々のもとに転移魔法で向かう。
場所は領地の東側、隣の領地との境に近い場所だった。
「おじさんたち、こんばんはぁ」
夜遅く、人通りが全くない場所に少女が一人立っている。……当然、男たちは警戒した。
「ダメだよ、おじさんたち。幾ら人通りがないからってぇ、計画の話をしちゃ。おかげで、私は見つけ易くて楽だったけどぉ」
ケラケラ、とアルマが笑う。
「一体、何の話をしているんだ!」
「え、クレイグ……だっけぇ?あれ、グレイルだっけ?ともかく、そのおじさんの話ぃ」
急に、男たちが真顔になった。
「一体、どこでその話を聞いた?!」
「え、道中おじさんたちが話してたじゃん。この子を通して聞いてたのぉ」
ニコニコと、少女が指差した先には薄ぼんやりとした塊があった。
魔力の扱いを訓練したことのない者からすれば、ハッキリとした形、つまり鼠と認識することは難しく、彼らにとってはそれが限界だった。
「お嬢ちゃん、幽霊か何かの類か?」
「むむ、失礼だなぁ。こんなに可愛い子を捕まえて、幽霊?ちゃんと足だってあるのにぃ」
「可愛い子が幽霊になっちゃいけないなんて、ないんじゃないか?」
「むーまあ、確かにそうかも。幽霊を見たことがないのに、決めつけはよくないよねぇ」
ニコニコ、とアルマは笑っている。男たちがどれだけ睨みつけても、どこ吹く風だ。
「おじさんたちが、幽霊になったら見えるのかなぁ?」
「……は?」
「試してみないと分からないよねぇ。それじゃ、おじさんたち。私と一緒に狂咲こうねぇ」
アルマはそう言って、弓を構えるように腕を動かした。けれども、その手には弓も弓矢もない。
その姿を見て、男たちは笑った。その行動が、命取りになるとは知らずに。
「ばびゅーん」
アルマが、そんな力の抜ける擬音語を呟く。そして次の瞬間、空から流れ星が落ちて来た。
……否、流れ星と思い込んだのは男たち。実際は、光魔法で作られた矢だ。
そして輝くそれらで、一瞬で男たちは倒れて行った。
「あーあ。そんな油断しているから、簡単に死んじゃうんだよぉ?私が話している間に仕掛けてくれば、私も楽しめたのになぁ」
瞬く間に殲滅した彼女の表情には、何の感情も映っていない。強いて言えば、つまらない、か。
彼女は片手間に戦っていた。
事実、今この時も索敵を止めていない。
領地に張り巡らされた鼠達は、今なお残党を探している。
それは、鼠達を作り上げることも、それらと視界や聴覚を共有することも、彼女にとっては息をするのと同じぐらい自然で当たり前のことだったからだ。
右手と左手を同時に異なる動かし方をするのは難しくとも、右手を動かしながら息をすることは誰だってできる。
それと同じだ、と彼女は思っている。
「やっぱり、幽霊なんていないね。だって、私、おじさんたちのことが見えないもん」
そう呟いてから、彼女はロナルドと同じく死体を片付けてから部屋に戻った。
……その頃、ブラッドリーはクレイグと対峙していた。
「あーあ、随分と時間を喰っちまったなぁ」
既に、クレイグは瀕死の状態で座り込んでいたその体に、傷のない部分などない。傷口からは止めどなく血が流れ続けている。
その後ろには、クレイグを慕って付き従っていた男たちが血の海に沈んでいた。
誰一人として、ブラッドリーから逃げることができた者はいない。例外なく、紅に染まっていた。
「ば、化け物……」
ブラッドリーは頬にかすり傷が一つあるだけ。
どれだけ策を弄そうとも、決死の覚悟で挑もうとも、残酷なまでに実力の差があることを、その傷こそが物語っていた。
「俺が化け物だなんて、冗談キツイぜ。……高みを知らないっつうのは、幸せなのか不幸なのか分からんなぁ。俺の仲間がな、言ってたよ。この領地に手を出すなんて、馬鹿を通り越して愚か者だってなあ。俺も、そう思うぞ?何で、そんなに弱っちいのに、俺たちに喧嘩を売った?」
「お、俺の意思じゃない!脅されたんだ」
「んあ?脅し?……一体、誰にだよ」
「レルフ侯爵家だよ」
ふーん、と適当な相槌を打ちつつ、ブラッドリーはクレイグに目線を合わせる為にその場でしゃがみ込んだ。
「意外だなあ。おっさん、こんなに簡単に情報を売るのかあ。そんなんで、よくぞこんな人数の統率ができたもんだ」
鼻で笑った。けれども、クレイグは怒りを見せることも反論をする気力もない。
「……ま、良いか。そのレルフと共謀したっつう証拠は?」
クレイグはその問いに、ブラッドリーから視線を外した。
「そりゃそうか。駒にそんなもん、渡すわけもないよなぁ」
溜息を吐きつつ、クレイグは立ち上がる。
「これ以上、聞いてもしゃあないよな」
「……待ってくれ!た、助けてくれ……!」
「……忘れてんじゃねえぞ。レルフっつう野郎に脅されようが何だろうが、その前にお前自身が犯罪者に堕ちてたんだろ?一体、その手で何人殺したよ?助けてっつう言葉を、お前自身が何回聞いたよ?んで、何回無視した?」
『それが答えだろう』……ブラッドリーが呟くと、クレイグは倒れた。
「なーんてな。お前は証人として、生かされるんだと。とはいえ、生き残る方が辛いかもしれねぇけどな」
そして気絶したクレイグと死体を全て事前に指定していた場所に送ると、ブラッドリーは待機した場所に戻った。
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