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第四章:キャンパス祭と部員たち

 キャンパス祭当日。

 普段は講義をサボって昼過ぎからやってくるような不真面目な学生たちも、この日ばかりはこぞって朝からうきうきと会話に花を咲かせている。その様子にはほんの少し前に同じ大学の学生が殺されたという悲壮感もなく、一様に楽しそうな顔をしている。

 それも仕方のないことか、とそんな様子の学生たちを横目に歩きながら、潤は思った。

 高校まではもっと生徒間の距離が近かったように思うが、大学となると急に距離が開く。安孫子佳孝の顔も名前も知らない学生も多いのだろう。

 そんなことを思っていたが、その中に、目を真っ赤にしながら泣いて抱き合っている女子学生の一団がいるのが見えた。

 安孫子のことで泣いているとは限らないのだが、もしかしたら安孫子が兼部していたバドミントン部の部員たちかもしれない。

 その一団の横をすり抜け、潤は集合場所の食堂横にたどり着いた。集合五分前だというのに、そこにはもう、潤以外の部員たちが全員揃っている。勿論、安孫子は除いて、だが。

「これで全員揃ったね」

 全員の顔を見回して、部長の湯川実夏子が言った。今日、ここに召集をかけたのは彼女である。

「みんな、今日はこれを渡そうと思って集まってもらったの」

 実夏子は足元のダンボール箱を見ながら言った。

「キャンパス祭に向けて作って発注した、さんぽ部のパーカーね。毎年やっている部としての展示への参加は見送ることになったけど、もしよかったら今日くらいはこれを着てキャンパス祭を楽しんでね」

 言いながら、部員一人一人にパーカーを渡していく。

 部員それぞれの名前がプリントされた、真っ黒なパーカーである。あの事件さえなければ、今日はこれを着ておすすめ散歩コースの展示コーナーをやっていたはずである。教室を一つ借り切って、半分は展示コーナー、もう半分は軽食も出す休憩スペースにしている。今年はたこ焼きでも出そうかと、ウキウキしながら相談していたのを思い出し、潤はそっとため息をついた。

 水帆の容疑が晴れたのはいいが、安孫子殺しの犯人はまだ見つかっていない。事件はまだ、終わっていないのだ。

 潤は横目で水帆の表情を窺った。

 貰ったばかりのパーカーに袖を通し、奈々と談笑しているその様子は、あの事情聴取の日よりもだいぶ血色は良くなっているように見える。波川がダイイングメッセージの矛盾を天利警部に指摘した一部始終を、潤は既に部員たちに話していた。水帆本人にも、その周囲の人たちにも、ちゃんと警察がもう水帆を疑っていないであろうことを知っておいてほしかったのだ。

「それにしても、倉敷くんに名探偵の知り合いがいたなんてね」

 水帆と話していた奈々が不意に潤の方を見て、興味津々といった顔でそう言った。

「おかげで水帆の容疑も晴れたみたいだし! 水帆も倉敷くんには足を向けて寝られないね!」

「い、いや僕は波川に頼んだだけで、大したことはしてないし……。春川さんの容疑が晴れてよかったよ」

 潤がそう言うと、水帆は奈々の横でくすりと笑った。

「……うん。本当にありがとう。その波川くんって人にも、機会があったら是非お礼させて。今日、このキャンパス祭に来るかもしれないんだよね?」

「うん、一応呼んでるけど……。でもあいつ、面倒くさがりだし気分屋だから、来ないかも。もし来たら、春川さんにも紹介するよ」

「ハイハイ! 俺にも紹介してー! 潤の友達の名探偵ってどんな奴か気になるし!」

 不意に翼が潤の肩に手を乗せながら入ってきた。

 この明るく騒がしい友人と波川は性格的に合うだろうか、と余計な心配をしつつ、潤は翼にも頷いて見せた。

 元々パーカーを配るために集められただけだったので、その場で解散となった。

 潤はスマートフォンのメッセージアプリを確認したが、波川から連絡はない。今朝家を出るときに改めて今日がキャンパス祭の日だとメッセージを入れておいたのだが。

既読のマークは付いているので、読んではいるはずだが、面倒くさがって返信を怠っているらしい。

 これは来そうにないかな、と潤が思ったそのとき、人ごみの向こうに見覚えのある長身が覗いているのが見えた。


                  *


「まさか来てくれるとは思ってなかったよ」

「んだよ。来いって言ったのはお前だろうが」

 不機嫌そうな顔でたこ焼きをつつきながら、波川は言った。

 中庭のベンチに潤と波川、それから翼が横一列に座りながら、それぞれに出店で買った軽食を食べている。波川がたこ焼き、潤がフランクフルト、翼が焼きそばだ。

「改めて紹介するな」

 潤は波川の方を興味深そうにジロジロ見ている翼に苦笑しつつ、波川の肩を叩いた。

「波川友隆。春川さんの疑いを解いてくれた、僕の―――まあ、一応友達ってことになるのかな」

「は、友達? 俺とお前が?」

 一笑に付された。

 翼はそんな潤と波川を面白そうに見比べていた。

「なんかフクザツな関係ってやつ?」

「そんな大層なもんじゃないけど……」

 潤は新郷家で巻き込まれた殺人事件と、波川がそれを解決してみせたことを掻い摘んで説明した。

大学の友人たちには事件に巻き込まれたこと自体言っていなかったので、翼は吃驚した様子で目を見開いていた。

「なんだよ、潤そんな大変な目に遭ってたのかよ! ちょっとくらい言えよな」

「ごめんごめん。なんだか、そんな気分になれなくてさ」

 どこかで早く日常に戻りたくて、悲しい死を忘れたくて、考えないようにしていたところはあったかもしれない。今回の安孫子の件で、否応なく思い出す羽目になってしまったのだが。

「じゃ、やっぱマジモンの名探偵ってわけだ! すごいじゃん! 波川、よろしく!」

「……いきなり馴れ馴れしいやつだな」

 肩をぽんぽんと叩いてくる翼に、波川が少し引き気味に零す。

 波川は傍若無人に見えて、好意的かつ押しの強い相手に弱い傾向がある。波川にとって翼はやや苦手な相手かもしれないな、と潤は苦笑した。

「潤と波川はこれからどこ行くか決めてるか?」

「んー、そんなにしっかりは決めてないんだよな。波川は希望とかある?」

「なるべく疲れねえところ」

 意外と体力のない名探偵は身も蓋もない希望を出した。

「んじゃ、デニム同好会がやってる喫茶店とかどうだ? 梶浦さんの兼部先だから、もしかしたら何かサービスしてくれるかもしれんし!」

 見るからにインテリな雰囲気を醸し出している梶浦は、意外とデニム愛好家であり、家には十着以上のジーンズを保有しているのだとか。中には一着十万円以上するものもあるそうで、相当お金もかけているようだ。

「行ってみるか」

 波川が興味を示したので、潤たち三人はデニム研究会の喫茶店へ向かうことにした。


                  *


 デニム研究会の喫茶店は、特にデニム要素のない普通の喫茶店だった。

 しいて言えば店員の学生たちがみんなデニムのジーンズやジャケットを身に着けていたが、別に制服のごとく意図的に揃えたわけではないらしい。

 喫茶店では店番として梶浦がいる他、客として伊藤美沙都と和田樹里香が来ていた。

「あ、こんちは! 倉敷さんと辻丸さんと……あと一緒にいるのは、噂の名探偵さんですか!?」

 桃色のヘアバンドで結んだ髪を揺らしながら、樹里香が興味津々といった様子でこちらを見てきた。

 隣の美沙都は目元を隠す長い前髪の隙間から、窺うように波川の方を見ている。

「ああ、そうだよ。こいつが波川」

 潤はそう言ってから、波川に樹里香と美沙都、それから梶浦を紹介した。

 店自体が講義棟の奥まった教室にあり、特に目を引くコンセプトもないこの喫茶店は閑古鳥が鳴いており、梶浦も暇そうだった。近くの席に座って潤たちの会話に混ざりだしたが、周囲も何も言ってこない。

「伊藤と和田は意外とよく見るコンビだよな。仲良いんだ?」

「バイトも一緒ですしね! 伊藤さん、意外と天然で可愛らしいところもあるんですよー」

「わ、和田さん……私はそんな……」

 樹里香と美沙都は、翼と他愛のないことをワイワイ話している。

 それを横目で見ながら、梶浦が波川に話しかけてきた。

「春川が犯人ではないということを見抜いたそうだが……では真犯人が誰なのか、ということまでは、分からないか?」

「さあ。俺が頼まれたのは春川って女のことだけだからな。誰が犯人か、気になるのか?」

 素っ気ない様子で波川に聞き返され、梶浦は少しだけ視線を下に向けた。

「動機という面で見たら、俺も疑われてもおかしくない、からな」

「え……?」

 思わず潤が聞き返すと、梶浦は少し慌てた様子で「何でもない」と答え、足早に去って行ってしまった。

「梶浦さんに安孫子さんを殺す動機があるって、どういうことだろ?」

「あれぇ、知らないんですか、倉敷さん。三角関係の噂」

 いつの間にか会話を切り上げていた樹里香が意外そうに首を傾げながら潤の方を見ていた。

「梶原さんたちが一年生の頃……湯川さんを巡って、梶浦さんと安孫子さん、バチバチだったらしいですよ」

「湯川さんを?」

 さんぽ部の三年生の三人。

 特に仲が悪そうにも見えなかったが、実はかつて湯川実夏子を巡って三角関係になっていたということか。

「結局、湯川さんが同じ学科の男友達と付き合い始めて、梶浦さんも安孫子さんも撃沈したらしいんですけどねー」

「二人揃って振られたんなら、殺すほど憎む理由にはならないんじゃないか?」

「普通に考えればそうなんですけど、湯川さんに彼氏ができて二人のライバル関係にピリオドが打たれるまでは、かなりえげつない争いがあったみたいなんですよねー。未だに恨みを引き摺っていてもおかしくないほどの」

 樹里香は梶浦に聞こえないように声を潜めた。

「梶浦さん、お父さんが今、塀の中なんですって。表向きただの会社員だったけど、実は詐欺師という裏の顔を持っていたとか……」

「えっ!?」

「どこから調べてきたのか、それを安孫子さんが、湯川さんだけじゃなく大勢の学生がいる前で暴露したんだとか。普段冷静な梶浦さんが見たこともないくらい激怒して安孫子さんに殴り掛かる騒ぎになったって聞きました」

 信じられない。

 理系男子を体現したような、クールで論理的でいつも落ち着いている梶浦が安孫子に殴り掛かったことがあるなんて。それだけ梶浦にとっては恥ずべき、絶対に誰にも知られたくない秘密だったということだろうか。

 それを無理やり暴くようなことをした安孫子に嫌悪感が募る。

「詳しいね、和田さん……。どこからそんな話を仕入れてくるの」

「えへへ、あたしには独自の情報網がいくつもあるのですよ、伊藤さん」

 若干呆れも含まれているようにも見える美沙都の言葉に、樹里香は胸を張って答える。彼女はさんぽ部でも随一のゴシップ好きだった。

「梶浦さんも気が気じゃないってわけか。俺は泥棒かなんかの仕業じゃないかって思ってるけどなぁ」

「部室に泥棒なんて入るかな? 高価なものなんて置いていなかったし」

 翼の言葉に、美沙都が首を傾げる。

「そうなんだけど、俺と潤は事件のあった夜、部室の中に人魂みたいな明かりが灯ってたのを、一緒に目撃してるんだよ。今思うと、あれって犯人が懐中電灯かなんかで作業していたんじゃないかって。安孫子さんを殺害した後に現場で何らかの工作をしていたのかもしれないけど、もしかしたら、こっそり忍び込んで懐中電灯片手に泥棒してるところだったのかも。んで、それをたまたまやってきた安孫子さんに見つかって居直って殺した―――どうよ、筋が通ってないか?」

「あの明かり……やっぱり事件に関係あるよな?」

「そりゃそうだろー。無関係と思う方がどうかしてるって」

 あの明かりの持ち主が、殺人者だったかもしれない。

 そう思うと、潤は背筋が冷えるのを感じた。

「おい、なんだその明かりって。俺は何も聞いてないぞ」

 二人で話し合っていた潤と翼に、波川が不機嫌そうに足を組みながら言った。

「そういう重要そうなことをどうして事前に話さないんだよ。気の利かない男だな、お前は」

「なっ……!」

 波川の言い様に潤は思わずムッとする。

 確かに、話しておくべき重要情報ではあったのかもしれないが……。

「まあいい。とりあえず、その人魂みたいな明かりとやらのことをちゃんと話せ。あと、事件現場の部室にも案内しろよ。……もう、部室からは警察も引き上げているんだろ?」

 いつの間にかこの事件に関わる気になっていたらしい波川の目は、すっかり事件を見通す探偵のものになっていた。


                  *


 部室に行くと、そこには二人の先客がいた。

共に今朝話をしたばかりの女子学生二人は、潤たちの姿を認めると少し意外そうな顔をしていた。

「どうしたの? 倉敷くんたちも忘れ物?」

 話しかけてきたのは、さんぽ部部長の湯川実夏子。

 実夏子と並んで立っているのは、春川水帆だった。

「あ、いえ。そういうわけじゃないんですが。湯川さんたちも部室に用ですか?」

「ええ、水帆ちゃんが部室に忘れてしまったノートを取りに行きたいっていうから、鍵を開けに来てあげたところ」

 実夏子がそう言うと、水帆は少し恥ずかしそうに頷いた。

 そういえば、部室に入るには湯川か梶浦が持っている鍵を使わなければならないのだった。そんなことも忘れて無計画に部室までやってきてしまったことに気づき、潤は少し赤面する。

「事件もあって、取りに来られなかったから。キャンパス祭が終わったら試験も近いし、なるべく早く取りに来たかったの」

 そう言う水帆の手にはピンク色のキャンパスノートがある。目的のものはちゃんと見つけられたのだろう。

「ねえ、もしかして倉敷くんと辻丸くんと一緒にいるその人って……」

「あ、気づきました、湯川さん! 彼こそが噂の名探偵、波川友隆ですよ!」

 何故か潤ではなく先ほど知り合ったばかりの翼が波川の肩をぐいっと持ってきて紹介する。

 それに湯川よりも早く、強く反応したのは、水帆だった。

「あなたが! あの、ありがとうございます! 私が犯人じゃないって、警察に証明してくれたって聞きました。あのとき、本当に精神的に参ってしまっていて……本当にありがとうございました」

 少し潤んだ瞳で波川を見上げる水帆は、とても綺麗だ。

それを向けられるのが自分ではない、という事実に潤は少し胸が締め付けられる。

 だが当の波川は興味なさそうに頭を掻いていた。

「あの程度、推理のうちにも入らねえし、俺が口を出さなくても警察も同じ答えに辿り着いていただろうぜ」

「それでも、助けていただいたことに変わりはありませんから」

 水帆はそう言って、改めて頭を下げた。

 有能だが態度が悪く、敵も多い波川は素直に感謝されることに慣れていないらしく、終始落ち着かなそうだった。

「ところで、あなたたちはどうして部室まで? 忘れ物じゃないらしいけど」

 実夏子が不思議そうに尋ねてきたので、潤は顔を引き締めた。

「ここが安孫子さんの亡くなっていた現場ですから。波川もいるし、何か気づくことがないかと思って」

「やっぱり犯人が分からないままなんて、気味が悪いっすもんね! 警察が粗方調べた後だろうけど、部員である俺たちが見たら何か気づくこともあるかもしれないじゃないですか」

 潤の言葉を、翼が引き継ぐ。

 実夏子は難しい顔をして腕を組んだ。

「うーん、実を言うと、あたしと梶浦くんは部室の様子で事件前と変わったところはないか、って聞かれて、警察の現場検証にも立ち会ったんだよね。でも、特に気づくことはなかったな」

 現場検証の立ち合いは、部を代表して実夏子と梶浦が請け負ったらしい。

「でも確かに、見る目が増えれば気づくこともあるかもしれませんね。私も協力します!」

 水帆が握り拳を作ってそう言った。可愛い。

 そうして、今いるメンバーで再度部室内を調べてみることにした。

 無くなっている物、動かされている物など何かないものかと備品のキャビネットの抽斗やスチール椅子の裏まで覗いてみるが、気になる点はどこにもない。床も今は血の跡が綺麗にクリーニングされており、事件前と変わらず艶やかにフローリングが光を反射している。

「んー、やっぱり、特に事件前と変わっている点はないっすよね」

「ええ、部長のあたしが一番この部室のことはよく知ってる。だから断言するけど、部室にはこれといった変化はないよ」

 翼の言葉に、実夏子が大きく伸びをしながら答える。

「おい、このドアは?」

 波川が開きっぱなしの部室のドアを眺めながら言った。

「ああ、部室のドアね。壊れてるの。鍵をかけていないと勝手に開くようになっちゃって」

「え、そうだったんですか」

 水帆が少し驚いたように聞く。その話は潤も初耳だった。

「そういえば、部員のみんなにはまだ言ってなかったね。安孫子くんが殺害された日の赤迫での散歩の前に梶浦くんとこの部室で打合せしてて、そのときにあたしがうっかりドアを壁に結構な勢いでぶつけちゃって。それで建付けがおかしくなっちゃったみたいなんだ」

「……それ、事件の夜に知ってたのは誰だ?」

「あたしと梶浦くんだね。安孫子くんも知らなかったと思うけど……それが何か?」

 実夏子の言葉には答えず、波川は気難しげな顔で黙り込んだ。

「ねえ、彼、どうしたの? 急に黙り込んでしまったけど……」

「何らかの手がかりを得たのかもしれない。ああなったらあいつの中で思考が一区切りするまで何を言っても無駄だよ」

 水帆の問いに、潤は波川から視線を外しながら答える。

 きっと今、波川は思考の海に沈みこんでいるのだろう。それに没頭できる並外れた集中力こそが波川の名探偵たる所以ということか。

「あれ、春川さん。パーカー汚れてない?」

 不意に水帆の背後の辺りでキャビネットの中の資料をパラパラと捲っていた翼が声を上げた。

「え、あ、本当だ……」

 水帆は慌ててパーカーを脱いだ。

 潤も横から覗いて見てみると、パーカーの背中部分に白い塗料の汚れが付いていた。さほど大きなものではないので目立たないが、しっかりと生地に染み込んでいて簡単には落ちそうにない。

「ペンキ……かな?」

「そういえば、ここに来る前、演劇サークルの友達に差し入れに行ったんだけど、その小道具の塗料が剥げちゃったとかで急いで塗りなおしてた。確か白いペンキもあったはず。その時に着いちゃったのかな」

 潤の言葉を引き取って、水帆は苦笑いを零した。

「まあ、これくらいなら目立たないし。このまま着ておくことにするね」

 水帆はパーカーを再び羽織ると、腕時計を見て「あ」と声を上げた。

「ごめん、昼過ぎから予定があって。私行くね」

「うん、分かった。付き合ってくれてありがとう」

 潤が言うと、水帆は微笑んで、それから軽やかな足取りで去っていった。

 結局、その後しばらく波川は黙ったままで、部室から何か気になるものが出てくることもなかった。


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